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12月 2 ①

「柴田さん、今日もご指名ありがとうございます」  ラブホテルの無人のフロントで深々と頭を下げた朔は、今夜は黒いウールのコートをしっかり着こみ、紺色のマフラーを巻いていた。美しい形の目や整った眉を見て、やはりきれいな子だなと晃嗣は思う。半月ほど会社で姿を見なかったので、素直に嬉しい。 「体調は悪くない?」  晃嗣が尋ねると、朔はグレーのマスクの上の目を細めた。 「柴田さんには弱ってるとこばかり見せてますけど、僕は基本的に元気ですよ」 「良かった、ならいいんだ」  朔は部屋の鍵を取り、晃嗣を促しながら廊下を進んだ。 「ご心配いただくのは申し訳ないんですけど、反面ちょっと嬉しかったりします」  言いながら上目遣いで晃嗣を見る。 「僕も一人暮らしが長いので……孤独死とか全然あり得るんで」  部屋の扉を開け、晃嗣は自分を先に入れようとする朔と、その場でしばし見つめ合う。話の流れから、何となく朔の様子に違和感を覚える。 「……本当は何処か具合が悪いんじゃないのか? 人事担当として出来ることがあるかもしれないから、気になってることがあるなら話してくれないか」  朔は晃嗣の真剣な声に、目を丸くする。そして晃嗣を部屋の中に入れて扉を閉めた。  部屋の中は、暖房がよく効いて暖かい。晃嗣はコートを脱ぎ、それを受け取るべく手を出す朔に託した。彼はハンガーに2人のコートをかけながら、他人事のように言った。 「僕は元気ですよ……気になることがあるとしたら、父の具合がちょっと」  前も父親の話をちらりと聞いたことを思い出し、そう、と晃嗣は応じて続きを待つが、朔は浴室に行ってしまう。話したくないのだろう。今は晃嗣が金を出している時間だから、深刻になってしまいそうな話をするべきでないと考えているのかもしれない。 「柴田さん、お風呂入りましょう」  朔は屈託ない笑顔で誘ってきた。晃嗣はソファから腰を上げて、従順に彼に従った。 「あのね柴田さん、実は3回同じスタッフを指名していただくと、ちょっとしたサービスが発生します」  朔は初めてお試し指名をした夜と同様に、腰にタオルを巻いただけの蠱惑的な姿で、ボディソープをスポンジで泡立てながら言った。ちょっと期待してしまった晃嗣は、何があるの? と彼のきれいな横顔を見ながら尋ねる。 「まず今日僕のLINEのIDを教えちゃいます、プライベートなお話もできるようになりますよ」  朔の返事に、やはり目の前がぱっと明るくなってしまう晃嗣である。 「じゃあきみが会社を休んで心配になった時も、そっちに連絡していいんだ?」  朔は声を立てて朗らかに笑う。 「もちろんです、夜に寂しくなったら雑談のお相手もします」  朔に肩を擦らせながら、晃嗣はほんわりと胸の中を温かくする。朔は続けた。 「もう一つ、任意ですけど、ディレット・マルティールのパトロヌス制度に参加できます」  聞き慣れない言葉に晃嗣は思わず首を傾げた。簡単に申し上げると、と朔は続けたが、少し営業口調なのが可笑しい。 「定期的にちょこっとお支払いいただき僕のパトロンになってくださると……楽しい特典がいくつか」 「朔さんのパトロン?」  それを聞いて、自分が首を突っ込んでいるゲイ専デリヘルの会員に、セレブが多いらしいことを思い出す。そんな制度を楽しむ人々が、この国にまだ存在することが驚きだ。 「……純粋な興味で訊くんだけど、朔さんにもそういう男性が沢山いるってこと?」 「沢山ではないですよ、それに僕はお支払いいただく金額の上限が低いから……積立預金を代わりにしてもらってるくらいの感じです」  朔はてきぱきと両腕を洗ってくれた。定期的とはどれくらいを指すのかわからないが、毎月や隔月で朔に貢ぐ余力は無い。ただ、特典というのがかなり気になるのは、困りものである。  この間は上半身だけ洗ってもらったが、今夜は脚も擦ってもらう。 「特典ってどんなものがあるんだ、ちょっと興味ある」  晃嗣は控えめに訊いてみた。朔は足の指の間まで、丁寧に泡を通してくれる。くすぐったいが気持ちいい。 「一番喜んでいただけるのは、通常コースのビフォアかアフターに30分おつき合いすることですね……ホテルの外ですが」 「なるほど……」 「あとは……贔屓のスタッフの翌月のスケジュールが先行公開されます、そのスタッフを指名した際のポイントが常時3倍、お客様のお誕生日や指定なさる記念日にはスタッフがメッセージを送ります」  朔の話を聞きながら、そんなことで喜ぶ客たちが可愛らしく思えた。若い男を買う財力があっても、寂しい人が多いのかもしれない。 「指定する記念日って、どんな日をみんな祝ってほしいのかな」  晃嗣の問いに、僕のお客様の中では、と朔は手を止めず応じた。 「会社を開設した日とか、国家資格の試験に合格した日……」  朔の良い声を耳に入れながら、これだけで朔の「パトロン」がどんな人種かが窺い知れて、少し居心地が悪くなる。  朔は足許からぱっと晃嗣を見上げて、明らかに弾んだ声でつけ足した。 「あ、僕を初めて指名した日ってかたもいらっしゃいます」  また下を向いた朔のきれいに巻いたつむじを見ながら、晃嗣は無邪気なところがあるのだなと思う。この独特な、桂山営業課長とはまた違う嫌味の無い人懐っこさは、営業をする上でも風俗で働く上でも、きっと彼の大きな武器だ。 「朔さんは人が好きなんだね」 「柴田さん、こないだも同じこと言いましたよ」 「そうだっけ?」 「柴田さんは人が好きじゃないんですか?」  そう問われると微妙だ。人は楽しいが時に面倒くさい。少なくとも晃嗣は、前の会社でのいざこざで、他人と接触すること自体が怖くなった。罪をなすりつけてきたチームリーダーから好かれていない自覚はあったが、何故はなから忌避されたのか、今でもわからない。 「うん、今は好きじゃない……でも寂しいからって朔さんを指名してるんだから、矛盾してるよな」

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