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1 暁の別れ
明け方の空がゆっくりと白んで行くのをイリゼは乱れた寝台の端に座り込みぼんやりと眺めた。
春まだ浅い夜を通し、恋人と情を交し合った後の気怠い身体には未だそこここにちりりっと甘い疼きの余韻が残る。
(夜が明けた……。明けてしまった)
イリゼは最愛の恋人に気取られぬように、形良い唇から密やかに嘆息を漏らした。
本当は愛しい男の暖かな腕の中、黄金の微睡みの恩恵をとろとろと与えられ続けていたかった。
しかしそれでは先送りにし続けた決心が鈍ってしまうのだ。
全てを明るみに晒す朝日を一身に浴び、その光の矢に心に巣食う迷いごと彼への思いを断ち切らせて欲しかった。
(どんより曇ってる……)
別れの日ぐらい彼と初めて迎えたあの幸福な夜明けのように、一面燃えるような朝焼けだったのならば、いっそもっと抒情的だったのに。
今朝はあいにくどんよりと重たい雲が立ち込めたままで、イリゼのもやもやとした心を晴らしてはくれなかった。
「イリゼ」
まだ眠っているとばかり思っていた男の放つ、艶めいた昨夜の名残り漂う低い声は起き抜けでやや掠れていた。背後から耳をずんっと撫ぜるような低音で呼びかけられれば、自然と胸が波打つ心地になってしまう。
自分でもどうしようもないほどときめくのだ。
続いて長く筋肉質な腕がイリゼの華奢な腰に回され、ぐいっと自らの方に強引に引き寄せてくる。肩口で切り揃えられた癖のない髪を揺らし、イリゼは首だけ巡らせ振り返る。するとまだ寝台の上、逞しい裸体を晒したままいる恋人の、ぞくりとするほど強い眼差しと視線が合った。
「起こしちゃったね。ごめんなさい」
前髪を上げていないと幾分若く見えるが、夜通し抱き合いながら散々イリゼの身体を食み蕩けさせ貪った唇が大人の色気迸る微笑みをうっすらと浮かべていた。
ただ美男と一言で片づけるには剣呑で妖しい魅力をまとっている。それはこの男の生業のせいか、それともなくば雛罌粟の花の如き赤毛と深い碧眼の落差の産み出す鮮やかな印象のせいなのか。
(外が明るければ、もっとしっかり顔を見られたのに)
今後彼が彫像のように鍛え上げられた裸体や、寛ぎきった私的な姿をこんなふうにイリゼの前で晒すとは思えない。だからこそ幼い頃から見守ってきた彼の事をじっくり噛み締めるように、目覚めのその一瞬から見つめ続けたかった。
「まだ横になっていろ」
「……家に一度帰ってから王都へ出発するのでしょう? もう起きた方がよいよ?」
「いいから、ここに戻れ」
強引に、そして素早く。子供が無造作に人形でも抱き上げるような仕草で、イリゼは横たわったままの彼の逞しい腕に易々と褥へ引き戻された。
イリゼのしっとりとした柔い胸が熱く硬い男のなめしたような浅黒い肌にひたと擦り付けられる。
(温かい……)
その温みを失うのかと思うと泪が滲みそうになる。
「……冷えきってる」
傍らで眠りについたはずのイリゼが恋人を置き去りに床を抜け出そうとしたとでも思ったのか、咎めるような口ぶりだ。
腕や胸、そして首筋に男の唇が次々と押し当てられ、合わさった部分から彼の熱がゆっくりとイリゼに流れ込む。
「んっ……」
同時に、じわっと広がる甘い疼きがイリゼの身体の内にも容易に沸き上がる。男が再び求めてくる情熱をも優しく背中を愛撫する掌から伝わってきて、狂おしい気持ちのままイリゼは男の胸に手を突きいやいやをした。
「駄目……」
呼び起こされた官能に飲まれそうになる。それはもう嫌だった。
「どうしてだ? 夜通し俺を求めてくれたじゃないか? お前ときたらいつも恥ずかしがるばかりで。……あれも可愛かったが、素直に乱れて強請るお前はなおさら可愛い。もっともっと欲しいって、欲張って、この綺麗な脚を絡めてきてくれただろ?」
(それは……。お前とああするのはもうこれが最後だと思ったから)
ただ細くて生っ白いだけの男の脚なのに、男は殊更滑らかで触り心地がいいなどと誉めそやしてくる。今もまた太ももを感触を確かめるように撫ぜ上げられ、不埒な指が双丘の間を探るに至り、イリゼの未だ火照りの引かぬ身体の奥が性懲りもなくまたじわりと疼く。
「もう、しちゃ、いやだ。ダイのこと、ちゃんと、見送りたいから」
漏らしかけた吐息ごとなんとか唇を噛みしめ、涙が滲む瞳で男を上目遣いに見つめれば、彼は僅かに目を見開くと魅入られたような顔をしながらイリゼをぐっと覗きこんできた。
「ただ少しの間、留守にするだけだ。今生の別れでもあるまいに。半月もすれば戻ってくる。いい子で待っててくれ」
(でもその時には……、お前はもう他の誰かのものだろ?)
イリゼはそう口をついて出そうになったのを何とか堪えた。代わりにつぷり、と長く節だった指が蜜壷に差し入れられ、今度こそ喉をそらしながらイリゼは「ああっ」と淫らに喘ぎ声だけを漏らす。
「ほら。まだ、蕩けたままだな? ああ、柔らかい。温かいな?」
「い、いわないで」
一晩中擦られ続けたいちばん敏感な部分に遠慮なく硬い指の腹を当てられ、自分でする時にはとても届かぬあたりまで、わざと官能を高めるようににちゃりにちゃり、と音を立てながら執拗な刺激を繰り返される。
「ひゃぁ……、あっ、だめ」
イリゼはしがみついた背中にかなり強く爪を立てたが男はまるで意に介さない。彼はむくりと起き上がると、イリゼを素早く組み敷いた。そして美しい恋人が零し続ける悩ましい吐息を奪うように荒々しく口付けてくる。そのまま見る見るうちに硬さを取り戻した屹立を柔い尻にあてられて、イリゼを誘惑する様に動かされた。
「やあっ……」
「いいな? イリゼ?」
「ん……。や……」
イリゼの形ばかりの抵抗など彼を味わうために撒かれた香辛料だとでも言わんばかりだ。聞き分けのない男は熱い吐息を耳元に吹きかけ、獣が獲物の味見をするかのように耳朶を舐め上げる。
ぴちゃぴちゃとわざと音を立てて弱い部分を攻められて、いよいよ抵抗は止みぐずぐずと身体は蕩け切る。
(駄目……。離れがたくなるから、やめて)
「あ、ああっ!」
そう言いたかったのに。自分で出しているとは思えぬほどの湿った甘い声色のため息が先走り、裏腹な心をまた裏切る。
「して……。奥まで来て。ダイ……。俺を離さないで」
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