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9魔女の系譜
二人の再会から遡ること数日前。
子どもの頃から追い求めた謎の答えを得るため、ダイはついに王国の離宮のさらにその奥深く、聖地であり禁足地とすら呼ばれている場所にたどり着いた。
古の昔、『昏き穴』という忌み地より這い出る魔物を、近衛騎士団の前身となった魔道騎士団の初代団長にして、『赤毛の魔導士』と言われる人物が先頭に立って打ち滅ぼし、その地を封じた。
その後も国が危機に瀕する際には必ず『赤毛の魔導士』が長い年月歴史の表舞台に現れ続け、そのためその呼称を残して代替わりしていくものだと思われていた。しかし実は不老の魔力を持つ同一人物だったのではないかという伝承もある。
というのも何百年も続くこの国の歴史の中で、王族の血脈に連なる人物の内に真っ赤な髪を持ち、その時代時代の王族やその血脈に連なる者たちの手助けをして導くものが必ず現れているからだ。
ある時はその妻や母となり、子孫を産み育て直接見守ってきたとすらも伝わる。
何日も離宮で待たされ、ようやく目の前に現れたその人は、表向きは『現王の姪』と言われている人物だった。ダイは近衛騎士団にいた時のツテを使いまくって、ようやく今回の王都行きの目的であった彼女と直接会うことを許された。
大きな窓から降り注ぐ、傾いてきた太陽の日差しに耀く雛罌粟の花に似た赤毛を腰まで豊かに垂らし、若い麦の穂に似た色の瞳も輝く。一見穏やかな笑みを浮かべている赤い唇は婀娜っぽい雰囲気すら漂わせていた。
その瞳を見た時、ダイは直感的にその人が愛しいあの人の血族であると感じることができた。
「ふうん。ここまで辿り着けたとあっては、お前を無下にはできないようだね?」
それなりに段差のある離れた位置にいるが、左右の鼓膜に直接囁かれているように女の声が流れる。何か不思議な魔法でも使っているのかもしれないが、その原理はよくわからない。
値踏みされるような目つきで睥睨され、空気を実際に濃い魔力の霧のようなものが満ちる。息苦しさを感じながらもダイは敢えて部下に指示する時のようにはっきりとよく通る大声で応えた。
「私は元近衛騎士団のダイ・フォース。今は故郷のルーチェで、護衛兵団の副団長をしております」
「へぇ、それはあの、遠い遠い田舎町からよくまあ来てくれたわね、とでも言えばいいのかしら? それでお前の、お目当てはなんだい?」
赤い唇、組まれた真っ白な美しい脚の形すら彼を彷彿とさせる。
泣く子も黙る近衛騎士団でも『無双のフォース』と二つ名で呼ばれた自分であったとしても彼女を相手にして心を揺らさずにいられるかと思うほど。
「大魔導士、シエル。貴女が所有しているもう一つの『華焔石〈かえんせき〉』の指輪を私に与えてはくださらないでしょうか」
すると彼女はばさり、と縁を深い緑色のレースで飾られた黒いローブの袖を振ると、不快気に眉を吊り上げ赤い唇を表情豊かにぎゅっと曲げた。
「……小僧。あれがどういう代物か分かっていて、私にそれを下賜せよというのか? その代わり、お前は何を私にくれるというの?」
ぎんっと彼女の瞳の中に赤い焔が揺らめき、目を離せぬダイの心臓が緊縛されたかのようにぎりぎりと痛み始める。ダイは額に脂汗を浮かべて膝をつき、このまま命を落とすまいと、必死に愛しいあの人の……、イリゼのことを考えその名を口にした。
「に、虹色魔道具店の、イリゼ!」不意にひき潰されそうな心臓の痛みが消え、ダイは苦悶の表情のまま荒い息を繰り返しながら立ち上がる。
気味の悪いこの離宮に数日、半ば幽閉されるように留められていた。その間最初に出迎えた背の曲がった老人以外に人の気配はまるでないものの、気がつけば用意された部屋に食事や湯あみの用意、朝になればまた朝餉と静まり返った離宮の中は禍々しい程の魔法の気配に満ちていた。
(ここは王宮であって、王宮ではない。人の理では理解できぬことばかりだ。今この瞬間も、彼女の機嫌を損ね、命を取られてもおかしくない)
しかしここで命を惜しんで退くわけにはいかない。ダイにはどうしても欲しいものがある。それを得るためにここまで半生をかけ漸く辿り着いたのだ。
高い位置にしつらえられた、まるで王よりもずっとずっと位が高い人物かのように毒々しいほど赤い玉座に深く腰を掛け、艶めかしく脚を組む彼女を見上げる。
「イリゼのことを、知っているの? ふうん、お前イリゼのなあに?」
猫撫ぜ声だが心臓に冷たいものを流し込まれたような耳触りの悪さと恐怖を感じる。彼女を相手にするのは真正面から正々堂々と言った方が良い。下手な誤魔化しは身の危険を招くとダイの中の第六感がそう騒めく。
「イリゼは、俺の恋人だ」
「まさか! いつまでも赤ん坊みたいに真っ新で純粋無垢な、あの子の恋人ですって?? ふふふふ、アハハハハ!」
耳障りな甲高い笑い声がまた右に左にとダイの耳を嬲り嘲る。ダイはイリゼへの生涯をかけた真剣な思いを揶揄したようで彼女とよく似た、真っ赤な眉を吊り上げ怒鳴った。
「笑うな!」
ダイの怒声に彼女も片袖を軽く振っただけでちりちり、ぽんっと空中に火花を散らせて応じるが、そんな脅しにも眉一つ動かさぬ太々しいダイに向け、片眉を吊り上げてにやりと嗤う。
「ふん! まあ、恐れ知らずな子ね? お前、ルーチェからきたのでしょう? もしかしなくても、バシフィスの子? そんな訳ははないわね。でも孫かひ孫かひいひい孫ってとこ? ……ふふ。お前。その赤毛。この髪色を受け継いでる。この色は一族に出やすいのよ。ねえ、あれもってるんでしょ。もう一個」
「……貴女はやはり、……本当なのか?」
父からダイが受け継いだのは指輪だけではない。元は領主の一族、その前は王族に至る家系に伝わる歴史書の類の中にあった、数代前の先祖に関わる手記。
「そうよ。私もお前のご先祖さまよ、ダイ坊や?」
彼女は破廉恥なほどに艶めかしい脚が見え隠れするドレスの裾を捌いて玉座から降りると、ゆっくりとダイの元へと降り立ってきた。
近づいてくるのは年齢不詳で、いにしえの魔性にも近い存在。
溢れ出る深い蜜色に赤い紗の入った魔力が背中から放射線状に揺らめき、さながら毒々しい蝶のようだ。
何百年もの間この国の歴史に関わり続けた強烈な魔力と果てしない寿命を持つ者。「妖精」などと可愛らしい呼称で呼ばれていた者もいたそうだが、禍々しい妖気を放つ存在は、あの光の化身の如き可憐なイリゼとは似て非なるものだ。
「……似てる」
だが傍に来ると、既視感を受けるほど背丈と身体つきまでが本当にシエルとイリゼはよく似ている。上目遣いに見上げる少し垂れた瞳の愛くるしい甘さまで似ているが、奥に宿るぞくぞくするほど冷たく強い光はまるで違う。ダイのイリゼはもっと温かく清純で、だが独特の色香が漂う、稀有な存在なのだ。
「イリゼと? そりゃあ、似てるわよ。あの子は私が一番可愛がってる末娘の一人息子なんだから。ああ、何百年前だったっけ。細かいことは忘れたわ。一番最初の夫との間に生まれた、直系の愛娘、ね」
近くにいるだけで小柄でほっそりした女から大型の獣に対峙したかのような圧迫感を感じ背中を嫌な汗が伝う。しかしここまできて手ぶらで帰るわけにはいかない。
ダイが愛するイリゼと共にあるための、探し出した答えを握る者が目の前にいるのだから。シエルはダイを見ているようで見ていないような不思議な視線で彼をじろじろと眺めると、適当にため息をついた。
「はあ、よく見ればお前やっぱり私の血族だわ。……それに交じってるし。無下にできない。知ってるでしょ? イリゼがたまにルーチェの街の人の記憶を消してあそこに住み続けているって」
「知っている。そもそもあの街が、イリゼやその母親を快適に暮らさせるためにあんたが作った箱庭だということも」
「へえ、それは誰に聞いたのかしら?」
答え次第では先ほどのようにまた心臓を潰されかけるだろう。イリゼとその母を彼女が何よりも大切にしているであろうとダイは掴んでいるからこそ、それを脅かすようなものがあれば、すぐさま排除しようすることも承知の上だ。妖美ともいうべき魔力の光の渦が彼女の瞳の中に流れるが、ダイは拳を我が心臓の上に置き、イリゼだけを真っすぐに想い臆することはない。
「貴女の何番目かの夫の手記にそうあった。『赤毛の魔導士』はルーチェが災厄に見舞われた時にあの街を救い、母と共に国を彷徨う生活に疲れた末の娘をそこに住まわせるための魔力に護られた砦としたと」
「そう、そうね。そうだったわ。ずいぶん古い話よ。それで? お前が私にわざわざ会いに来た目的は?」
長い爪先でダイの精悍な頬をなぞり、魔女は顎を突き上げるような仕草をしながら流し目をくれる。いえるものならいってみろと牽制されるような仕草、そのまま爪で顔を切り裂かれそうなびりびりとした痛みを感じるがダイは彼女をぐっと見おろして睨み返す。
「貴女が愛する孫息子であるイリゼと、俺は生涯添い遂げたい。寿命が続く限りあいつの傍にいて末永くあいつを愛し続ける。だから魔力を持つ者から吸い上げ無きものに分け与える指輪が欲しい。対になる指輪は俺が父からすでに受け継いでいる。貴女がもう一つを持っていることまでは知り得ているんだ」
その答えは彼女にとってはお見通しだったのか、それとも意外なものだったのか人を喰ったような笑みを刻む深紅の唇から判じることすらできない。
「は、はははは。アハハハハ。本気で言ってるの? そりゃ私やあの子の母親ほどは長寿じゃないかもしれないけど、それでもイリゼは人の何倍も生きるのよ。耐えられっこないわ、普通の人間には! 永遠に近い長い刻を1人だけ愛し続けていられるものですか!」
「……貴女のかつての夫たちが貴女より穏やかな死を選んだからと言って、俺が同じとは限らないだろ? 時の権力者が奪い合った、貴女の魔力を込めた指輪は、かつては戦争の火種になったとも伝わる。貴女はそれをとても憂いたと。古の言い伝えを書いた、今は禁書となった古い歴史書にそうあった。……俺は今の王子とも学生時代の知己でね、少しばかり隠された歴史に詳しい」
「まあ、第一王子のギィかしら? 余計なお喋りを……。お仕置きしてやらないといけないわね。それにしてもお前は本当に小賢しいやつ。イリゼはお前のような男のどこがいいのかしら?」
存外子供っぽい仕草をすると、髪色さえ違えどイリゼがそこにいるような気持ちになって、ダイの胸に彼の元に一刻も早く無事に帰りたい気持ちが沸き起こる。そしてかつて王都から舞い戻り再会した時にイリゼが言っていた、ダイの第一印象を思い出し素直にそれを口にした。
「イリゼは……、俺の赤毛を初めて見た時、『懐かしくて好ましい』と思ったんだそうだ。あの時は何のことかわからなかったが……。つまりそういうことだろ?」
その言葉に赤毛の大魔女は高価な陶器のようにつるりと白い貌を見る見るうちに赤らめると、イリゼと形も色も似た瞳に大粒の涙を浮かべた。
「……あの子ったら、そんなこと言ったの。確かに、私とお前の赤毛はよく似ている」
性格や雰囲気は少しも似ていないと思った二人だが、どうやら涙もろいところも共通点なのだとダイは気がつき、この恐ろしい女のことを少しだけ好きになれた。
「教えてくれ。シエル。不思議だったんだが、どうして街中の人間がイリゼを忘れても、俺だけイリゼの記憶が消えないんだ?」
「記憶がなくならないのにはいくつか理由があるけど、そんなこと重要じゃないでしょ? それに知っていて知らないふりをしている人間もいるのよ。ルーチェの直系の領主は繁栄の代わりにあの店を永遠にあの場所に置くと私と盟約を結ばせている。代わりにもしもイリゼとあの店に何か手出しをしたら、どうあってもあの街を元の更地に戻すこともね。それから私の何度目かの夫だった、お前の先祖のバシフィス。あれは魔力持ちだったからお前も少しは普通の人間より色々聡いはずよね? 魔力の動きを感じるのでしょう? イリゼは自分が見えるから誰も彼もが見えると思い込んでるけど、眩いほどに光るとか熱いものを感じるとかいう人間はそれほど多くないわ」
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