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二 実は多分、箱入り息子
オレは大学に入ってから一人暮らしを始めた。
大学近くのアパート借りて、生まれて初めての一人暮らし。
実は正直なところ、大学デビュー的な希望しての一人暮らしじゃなくて、やむにやまれずの一人暮らし。
住所で見れば、大学と実家はオレが実家を離れなきゃいけないほど、遠いわけじゃない。
地図上の直線距離なら、充分走って帰れるくらい。
だけど、普通に公共交通機関使ったら、乗継に次ぐ乗継で、ものすごく遠回りになって所要時間は倍以上かかってしまう。
交通のアクセスがびっくりするほどうまくいったら一時間半もあれば帰れるけど、まずそれはあり得なくて、ちょっと遅くまで大学で居残りたかったらやっぱ、下宿したほうが楽なんだってことを知ったのは、大学が決まった直後。
高校に合格報告しに行った後、先輩がおごってくれるっていうからひょこひょことファーストフード店について行った。
そこで教えられた衝撃の事実。
「くれぐれも、くれぐれも、言っとくぞ。この地域から四年間通えると思うなよ」
「え~? でも、一人暮らしってめんどうそうじゃないすか」
同じ大学じゃないけど、家が近所で大学に進学した陸上部の先輩。
めでたいはずの合格報告の席で、先輩はものすごい勢いで力説してくれたんだ。
「電車の駅、チャリではいけないぞ。つか、帰れん」
「は?」
「俺も、最初は一人暮らしは無理だと思ってたんだよな」
「ですよね」
飯とか掃除とか洗濯とか。
そういうこまごまとした普段は母親がやってくれてるような日常のこと、自分でできるとはあんまり思えねーし。
「でもな、駅からターミナルまでのバス、最終二十時なんだ」
……。
二十時……っていうことは、十二時間で計算したら……
ええ?!
「え? 夜八時? マジで? めちゃ早いじゃないすか!」
「そう。んでさ、バスをあきらめてチャリで駅まで行こうと思ってたんだけどさあ、行きはよいよい帰りは恐いなんだよ」
ああ、うん。
実際そうだと思う。
オレの実家はいわゆる山の上のニュータウンの中にある。
高度経済成長期に整備されたっていうその街は、計画都市とかいわれてる。
だから、実家どころか小学校・中学校・高校も、郵便局市役所体育館図書館病院、ちょっと買い物に行く先に至るまでニュータウンの中にある。
実はオレ、基本的にはニュータウンの外に出たことなんてほとんどなかった。
せいぜい陸上の試合のときくらい。
他の街に行くにはバスで山を下りて行かないといけない。
それもぐるぐるとニュータウンの中を巡っていくものすごく遠回りのコースのバスで電車の駅まで行って、そこから乗り換えて、ってなる。
無駄に長い所要時間。
そして。
そうなんだよな。
ニュータウンって山の上にあるから、自転車を使うなら、行きはいいだろう。
幹線道路に出て下り坂一直線で電車の駅まで降りることができる。
けど、帰りは。
確かにバスですんなりいっても十五分以上かかるあの距離を、せっせと自転車こぐのは遠慮したい。
だからといって自転車を諦めて公共交通機関を利用するにしたとして、終バスがそんなに早いとなると、帰りは徒歩ってことだろ?
オレが自分の足を使うのが嫌いじゃないとしても、部活後にその距離を走ったり歩いたりして家に帰るのは嫌だ。
っていうか、そこまで体力ねえし。
だいたい、疲れているとこにそんなことしたら、故障の元じゃないか。
走りたくて大学選んでんのに、故障して走れなくなるなんて、ありえねえだろ。
「あ、じゃ、バイクとか!」
「原チャか? 考えたけど、夏しか使えねーし」
「ええ? 冬はダメなんですか? 何で?」
「道が凍結する」
「あ」
そうだ。
冬場は、幹線道路が凍結して、ニュータウンの外から通ってくる教師陣が遅刻なんてことが時々あった。
外から来れないなら、逆も然り。
「だからさ、帰りが遅くなることが多いってわかってんだったら、初めから一人暮らしした方がいいんだよ」
しょっちゅうタクシーを使ってってことを思ったら、その方が安いんだ、って。
確かにそうなんだろうけど。
実家から通えるつもりでいたもんだから、いきなりのその情報はこれから起こる実家との話し合いを思わせて、オレはうんざりとため息を吐いた。
「マジすかー」
でもま、結局。
最終的にはその人とその人の家の人が、うちの実家を説得してくれた。
っていうか、オレも説得されたし。
結果としては助かってるけど。
だって知らなかったらオレ、一年からサークルで存分に走るって、できなかっただろうなと思う。
まあ、そんな理由で、オレはやむを得ず一人暮らし大学デビュー。
同じエリアの高校出身のやつでも、何人かは下宿して何人かは自宅から通ってる。
結局は自宅の位置の問題。
山の上に家があるかそうでないかが、思った以上に大きかった。
陸上を続けたかったオレは、結局下宿生。
そして、みはは聞いたら自宅生だった。
大学の近くに下宿してるって言ったら、当然のように集会所扱いになる。
ウチの親も、ホントはそれを心配して渋っていたらしい。
実際、ちょこちょこと友達が来たりする。
するのはするけど、きっと今だけだろうと思ってる。
多分。
「これ、何?」
時々部屋に来るみはが、久しぶりに来た、五月のある日。
みはは部屋の隅に置かれた紙袋を指さして、首をかしげた。
「紙袋」
「それは見たらわかんだよ。なんで紙袋がここにいくつも積まれてんのかって、聞いてるんだけど?」
この間までなかったよな、って確認された。
いや、まあ、そうなんだけど。
置かれてる――っていうか、正確には積み上げられてる――色とりどりで何の共通点も見えない紙袋は、だって、オレのじゃない。
「片づけねーの? せめて箱にするとかさ」
不審物見る目で、みはが紙袋を見やる。
まあね、部屋の隅の邪魔にならないところとはいえ、これだけの数が積んであれば見た目は悪いよな。
「うん。でもそれ、そこが定位置だし、勝手に触れねえから」
「何で?」
「他人のだし」
「は?」
ものすごく不思議そうな顔で、みはがオレの顔と紙袋の山を見比べた。
「こないだから時々、泊まりに来るやつらがおいてった荷物だから、勝手にどうこうできねーし」
「おいてった荷物って……二、四……七個あるけど?」
「だから、最近、みんな寄ってくからさ」
早くに部屋探しをした成果、なのか、運がよかったのか、立地がいいからなのかははわからないけど、オレの部屋は多分同じ家賃の奴らのより広い。
そのせいなのか「居心地がいい」と数人が立ち寄ったり、泊まっていったりしているここ最近。
その間取り。
廊下なのかキッチンなのか物置なのか玄関なのか? っていうホントありがちなワンルームの間取りじゃなくて、一応、普段使いの部屋と台所がふすまで仕切れるようになってる。
玄関入ってすぐに台所っぽいところ、ふすまがあって、奥が普段、使っている部屋。
で、ユニットバスじゃくて、トイレと風呂が別々になってる。
オレにとってはこれ大事。
時々マッサージをしたくて、長風呂するからさ。
ユニットバスだとトイレットペーパーがヘロヘロになって大変だって聞いたから、別になってるところにしてもらった。
そんな、学生にしては贅沢な間取りだと思う。
思うんだけど。
実はもっとコンパクトでもよかったかも……と、思うときがある。
最近は特に。
大家族の中で育ったわけじゃない。
ごく普通に親と兄弟と一緒で、それほど賑やかな家に育ったんじゃない。
実家で生活してた時だって、部活でいない時間が長かったし、家にいる時は自分の部屋に籠ってることが多かった。
なのに。
なんだかすうすうしてて、部屋に帰るのが時々やだなあ、って思うときがある。
「ただいま」に返ってくる声がないとか、テレビにした突っ込みに突っ込みがないとか、なんかそんな些細なことで、すうってなる。
多分、大学に入ってから一人暮らしになった奴らは同じように思ってんじゃないかなあって気がする。
だから最近俺の部屋は客が多いんだと思う。
そして、荷物を置いていく。
「寄っていくって言ったって……」
今日は、みはが来てくれた。
自宅生だからそうそうオレんちに泊まれるわけじゃないけど、なんかすうすうしてる気がするって言ったら、 何かと気がまぎれるようにしてくれてるんだ。
今日は久しぶりにその流れ。
「それにしたってこれはひどくないか?」
「なんで?」
「だって、お前の部屋だろ。付き合ってる彼女とかならまだしも、そういうわけじゃないのに荷物おきっぱなしはだめだろ」
「付き合って……って、ほぼ野郎の荷物だけど……?」
冷蔵庫に買ってきたペットボトルを入れて、代わりに発泡する苦い液体――一応まだ未成年なので、そこはあいまいにこっそりと――を、出そうとしてたら、何かみはの口調がきつかったから、びっくりして振り向いた。
荷物を見下ろすみはは、フクザツな顔してる。
眉間にしわが寄ってるだけだから、ものすごく機嫌が悪いわけじゃなさそうだけど。
それにしてもどこが問題なんだ?
オレは、今のところ寂しいのが嫌だから、人が集まるのはありがたいんだけどな。
「男か女かっていうより、プライバシーの問題」
「そのうちなくなるよ」
「そうか?」
「まだ五月じゃん。いろいろと本格的に動き始めたら忙しくなるだろ。そしたら、みんな来なくなるよ」
一人暮らし用の冷蔵庫は、ろくにものが入らない。
缶を抜いてペットボトルを入れたら割といっぱいで――もともと、買い置きの缶がはいってるっていうのもあるんだけど――買ってきた朝食用のパンは、明日すぐに食べるんだからわざわざ冷蔵庫に入れなくてもいいかって、棚の上に置いとくことにした。
オレは今のところ自炊を進んでしているわけじゃないから、飲み物が入ればそれでいいし、冷蔵庫がこのサイズでもそれほど困りはしない。
遊びに来るやつらには、特にふるまいをしないで、それぞれ何かしら食い物や飲み物を持ってくるように言ってある。
「きっと、そうなるって。あ、先、風呂使っていいよ」
取り出した缶を二本。
あとは買ってきた惣菜を持って、普段いる部屋のローテーブルに置く。
「あー、うん、じゃあ先に借りるわ」
「ごゆっくり~」
ものすごく適当だけど、テーブルの用意しながら手を振ったら、みははますますフクザツな顔をして、風呂に行った。
「ありがと。まあ、そこが良哉だよな。そうなんだけどなあ……」
風呂のドアを閉めながら呟くみはに、首をかしげる。
何だよ、わかんない奴だな。
変なの。
そして梅雨に入った今、あの時の考えに間違いはなかったなって思う。
だんだんとみんな忙しくなっていって、気が付いたら部屋の隅に積まれてた紙袋はなくなった。
時々は誰かの部屋に集まって呑んだりするけど。
それでも大学の最初の頃みたいに、常に誰かの部屋で誰かとなく集まってっていうのはなくなった。
生活に慣れるって、こういうことだと思う。
それでも、みはは時々うちに来てくれる。
何か基準があるのか、特別なアンテナ持ってるのかわかんないけど、何となくオレが人恋しくなってる時にふらりとコンビニの袋を下げて。
とか、何でもない時に「今夜いい?」って聞いてから。
練習上がりに今夜も寄っていいかと聞かれたから、
「おー、食いもん持ってきてくれんならいいよ」
そう答えた。
「お前、いい加減もうちょっと自炊したら?」
「それがさ」
笑いを含んだみはの声に、答えをかえしかけて顔を向けたら、ちょうどみはがTシャツを脱ぐところだった。
「うん?」
くぐもった声がする。
ちょうどいい感じにきれいについてる筋肉。
上背があってこんだけバランスよく筋肉ついてたら、そりゃあ、いい感じに記録も出るよなって、ちょっとだけうらやましくなる。
目を奪われそうになったけど、いやいや、それはちょっと違うって、慌てて自分の身体を見下ろした。
うう……ん。
同じようにトレーニングはしてる筈なんだけど……やっぱりオレの身体の方が、気持ち肉が薄い。
オレもちゃんと、腹筋割れてはいるんだけどね。
なんか、悔しい。
シャツを脱いで丸めながら、何? ってみはがこっちを見るから、続きを口にした。
「この間、野菜食おうと思って、本見ながら作ってみたんだよ」
「何を?」
「夏野菜のトマトスープ煮」
「おお、なかなかやるじゃねーか」
「……の、はずだったんだけど、何か謎の物体になってた」
「……は?」
「何でかなー。本に書いてる野菜がなかったから、適当に見た目似てるやつ入れたんが悪かったのかなー」
部活終わりに、クラブボックスで帰り支度をしながら、ぐだぐだと話をする。
そんないつもの行動。
だから、いつもの行動で、やましいことも後ろ暗いことも困ったことも、どこにもこれっぽっちもないから。
みはの身体だって見慣れたもんだし、目が離せないとかそういうことはないから。
うん、ないから。
みはが脱いだシャツを鞄に突っ込んで、タオルで汗を拭く。
ふるるんと頭を振って、オレも着替えの続きだと手を動かす。
汗をぬぐったタオルの中に、脱いだシャツを入れて丸めて、鞄に突っ込む。
以前は適当に突っ込んでたスポーツバッグの中は、一人で暮らすようになって若干整理するようになった。
使ったシャツとタオルと、使ってないのは分けて入れる。
それだけで後で洗濯に出すのが楽だって気が付いたから。
オレもちょっとは成長してるよなって、自分で自分を褒めたりするけど、やっぱちょっと虚しい。
「似た野菜入れて、謎の物体? 似た野菜って、なんだよ?」
「あ、味は悪くなかったんだ。食ってみる?」
「はいぃ?」
「出来上がりが結構な量になっっちゃったからさ、親に聞いたら冷凍しろっていうから、してあるんだ」
ホント、味は悪くなかったから、いけてるんじゃないかと思うんだけど。
けど、見た目は謎の物体なんだよなぁ、何でかなぁ。
みはは本気で渋い顔をして言い切った。
「ちょっと、命が惜しいから、やめとくわ」
そういいながら、結局、勧めたら食ってくれるのがみは。
優しい。
皿を出した時のものすごい顔と最初の一口を口に入れるまでの躊躇いは、見なかったことにしといてやろう。
「結構、美味いだろ?」
「……確かに、味は悪くねーけど……原型残ってんのって人参と肉だけじゃん。どこが夏野菜の煮込みだよ?」
「作り方にはそう書いてあったんだって」
「へー……って、でろんでろんに煮溶けてんだけど、この野菜……お前、一体何の野菜入れたんだ?」
練習後は腹減ってて、なんでもうまく感じるから、見た目なんてどうでもよくなったに違いない。
みはがバクバク食べてくれてんのは、きっとそういうことだろうと思う。
そうじゃなかったら、こんなにぶつぶつと文句たれながらは食べてくれたりしないだろうと思うんだ。
「さあ?」
「さあって……マジで、何入れたんだよ?」
「トマトとー」
「それは言われなくてもわかる」
「なすときゅうりとピーマンと玉ねぎと、なんかきのことセロリ……だったかな?」
思い出しながら指を折ったら、
「…へー……ちゃんと普通の野菜じゃん」
みははしげしげと皿の中身を眺めてた。
その夜は、冷凍しておいた謎の物体になってるスープ煮とコンビニで買ってきた弁当を食べて、ぐだぐだと言いながらテレビを見て、風呂に入って、寝た。
何となくのいつもの行動。
実家にいるときによく似た、誰かがいて気を使わない空間。
こんな時間が好きだ。
他の連中は、自分の忙しさで足が遠のくのに、みはは今でも何かと気にかけてくれる。
皆がなし崩しに足が遠のいただけじゃなくて、ちゃんと置いていた荷物まで撤収してくれたのは、みはが
「気持ちはわかるけどさ、あの状態じゃ、良哉が彼女作れなくならね?」
って、言ってくれたかららしい……
そういう話は、みはからじゃなくて別の奴からこっそりと教えられた。
「何でみはにそこまで言われなきゃいけないんだ」って、ちょっとむっとしてた奴もいたって聞いたけど、でも。
日々何となく心もとないっていうか寂しいっていうか、そういう気持ちはわかるし、いつかそのうちみんな足が遠のくだろう、とは思ってた。
でも、実際のとこあんまりプライベートがなくなりかけてたから、みはがそう言ってくれたのは助かった。
きっと、オレじゃ言えてない。
そのまま、荷物が置きっぱなしになって、どうしたらいいのかわかんなくなってたに違いない。
そうやって、小さいことも気にかけてくれる。
友達づきあいしてたら、みはが、どれだけいい奴かなんて、わかる。
いいやつなんだ。
ホントにすごく。
時々、ちょっと口うるさいけど。
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