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三  仲良きことは美しき哉

 みはと初めて話した時のことは、ちゃんと覚えている。  だって、すごくありがたかった。  ホントは少しだけ……ええと、実はかなり、心細かったから。    って、いうことを、前期試験前の飲み会の時に話してたら、どうもオレが覚えていたそれは、大学に入ってからの初めてらしいことが判明した。 『な、な、坂元、俺のこと覚えてる?』 『明高の福嶋! 引退直前にすんげー記録あげてたよな。何? お前も大学でまた走んの?』  っていう入学式直後に交わしたその会話が、最初だとしっかり思ってたんだけど。  ものすごい勢いで後ろから肩たたかれて、覚えてる? なんていいながら忘れてる訳ないよなって、そんな雰囲気だった。  一度ちゃんと話してみたいと思ってた奴から、親しく声かけられて、すんげー嬉しかったの覚えてる。  オレが覚えてるよって名前を呼んだ時に、みはがものすごい笑顔になったことも。  けど。  みはの記憶では違ったらしい。 「うわー、さいてーね良哉って。俺のこと覚えてくれてないなんて!」   貸切状態になってる居酒屋チェーン店。  座敷の畳の上で斜め座りして妙なシナ作ってそういわれたけど、覚えてないもんはしょうがない。  つか。  いい男は変なことしててもそれなりに絵になるもんだな、なんて。  まじまじと、ふざけてるみはを眺めてしまった。  いやいや、そうじゃなくて。  そうじゃなくて、と、記憶を探る。  オレの記憶が入学式だから、それより前の記憶。 「え~? どっかの大会?」 「マジで覚えてねーの?!」  ショックです! って顔で、噛み付くように寄ってこられたけど、待ってちょっと待って顔が近い!  近すぎるから!  みはの顔を向こうに押しやって、グラスに残ったチューハイを呑む。  マジで覚えてねえのかって言われたってなぁ。  うう……ん。 「ちゃんと話したことなくても、顔と名前はずっと知ってた気がするから……改めて初めてを覚えてるかといわれても、どこが初めかわかんねえ」  また責められるかなぁって、言いながらみはの顔をうかがった。 「……あー、そういうことね」  ぽりぽりと、こめかみをかいてみはは苦笑する。 「そういわれたら、俺もいつの間にか良哉のこと知ってたから、自分の記憶に自信なくなるなぁ」 「え、なにそれ」 「何って、事実?」  人にサイテーとか言って、それかい! って、突っ込みいれようとしたらぽんぽん、と笑いながら頭をたたかれた。  たたかれた?  っていうには妙に優しい力加減で。  撫でられた?  いやいや、オレ達の関係でそんな甘い動作はないだろ。 「そうだよなあ。なんか、しゃべったことなくてもずっと知ってたもんなぁ」  ちょっと遠い目をしてみはが言う。  大事なことを思い出すみたいに。  そうだよ。  みはが知ってるやつだったから、オレは入学式のあの時、唐突に声をかけられてもちゃんと答えられたんだ。  ガイダンスの教室に行くまでも行ってからも、バカみたいにしゃべっていられた。  入学式の前に声をかけてきた上級生相手の時は、話を聞くのもやんわり断って逃げるのにだって難儀した。  何とかサークルの勧誘って言ってたけど、知らない人から勧誘されるのもそれを断るのも、オレにとっては骨の折れることなんだ。  それくらい、わかれよ。  軟骨のから揚げをかみ砕いて、そんな呟きと一緒に飲み込んだ。  なんか、飲み込んだほうがいい気がしたから。  それから、 「これなに?」 「緑茶チューハ……あー、何しやがる!」  ムカついたからみはの前にあったチューハイ、飲み干してやった。  一次会の居酒屋飲み会のあとは、そのままお約束みたいに二次会のカラオケに流れて、バカみたいに皆で大騒ぎした。  別に何があっての飲み会でもなかったけど――あえて言うなら試験がんばりましょう会、だなんて最初は言ってたけど――まあ、飲むときなんて大抵そんなもん。   「良哉、そろそろ起きとかねーとやばいぞ」 「ぅん……」  つんつんと、頬をつつかれて潜めたみはの声がする。 「良哉?」  ああ、そうだ。  途中でめちゃくちゃ眠くなって、カラオケボックスの隅でこっそり寝てたんだ。  絶対、居酒屋で続けざまにチューハイ呑み干したのが原因。  もうちっと、ちびちびいっときゃよかった。  もそもそと体勢を入れ替えて目を開ける。  いつの間にか壁に沿って並べられてるソファの角っこにオレが収まってて、みはが壁になっててくれてた。 「女子連中が変なスイッチ入ってる。化粧ポーチ出してきた」 「げ! マジか? ……って、オレどれくらい寝てた?」 「三十分程な。スゲー勢いで落ちてた」 「悪い、壁んなってくれて助かった」  おかげで、一緒だった連中に気づかれずに済んだみたいだ。  パタパタと自分の様子を確かめて、特に悪戯されてないことに、ホッと息をつく。 「いや、いいよ、面白かったし」  みはが、笑った。 「は? 何が?」  詳細を聞き出そうとしたけど、みはは不思議な顔して笑ってるだけで。 「あ、はじまった」 「ぅわ、危機一髪。さんきゅ、マジ助かった」  酔っぱらって変なスイッチ入った奴らが、他の寝落ちてた奴の顔に落書きをはじめて、大騒ぎになっていく。  額にマジックで『肉』は序の口。  あっちでは何人かが化粧ポーチを持ち寄って、完璧なメークを仕上げるんだと張り切っている。  そこに紛れてしまって、みはに聞きそびれた。  そう思ったけど、みはが大口開けてゲラゲラ笑ってて、改めて聞くタイミングも逃してしまった。  最近、時々こんなことがある。  大学に入った直後にはあんまりなかったこと。  聞きたいのに聞けない、言いたいのに言えない。  みはもオレも、何か奥歯につまってる感じ。  小さな違和感。  気にするほどじゃないことかもしれないけど。  くたびれるほどに笑って、声がかれそうなほどに喋って、終電なくなってからお開きになった。  誰かの下宿に泊まったりどっかの漫画喫茶に行くことにしたり、それぞれが適当にばらけていく中で、オレはぶらぶらと歩いて帰ることにした。  呑んでたのはちょっと離れた私鉄の駅近くで、下宿は大学の近くだから、ここあたりからなら小一時間あれば歩いて帰り着くだろう。  ちょっと前までは他人の別荘状態になってたオレの部屋だけど、今はそうでもない。  そのほうがオレも気楽でいいから、ありがたい。  人の中にいるのは楽しいけど、ずっとじゃ困る。  みはは来るかな声かけてみようかなって、一瞬思ったけど、奴は女子につかまって何人かと一緒に、二十四時間営業のカフェに行くことにしたらしい。  おいおい、大丈夫か。  それ、ほぼ三次会じゃん。  オレには体調管理だとか休めだとか、口うるさいくせに自分は何やってるんだか。  そう思ったけど、そこまで付き合う理由もないし自分でわかってるんだろうから、解散のときにそのまま別れた。  なんだかな。  ぶらぶらと夜道を歩くのは、割と好きだ。  帰り道で空を見上げたら、ぽかりと月が浮かんでた。  笑ったように両端のあがった弧を描く月。  何となく落ち着きのない、そわそわした気持ちを、月に笑われた気がした。  日中に感じる夏の名残は影を潜めて、秋の気配が漂っていた。  秋は食欲の秋、っていうのはマジだと思う。  陸上競技って、走るだけと思われがちだけど、ホントは体調管理もうるさい。  その中に体重制限だって、ないわけじゃない。  食わないでスタミナ無くすのはもってのほかで。  だけど、スタミナのためにしっかり食って、自分の筋力に対して体重を増やしすぎたら当然、足に負担がかかる。  だから、ほどほどにベスト体重キープしろって言われる。  でも、まあ、うまいもんを目の前に置かれたらそりゃあ飛びつくわけで。  オレは最近、学食コンビニの新商品制覇にはまってる。  そして、夏の暑さが過ぎて気候が良くなって来れば、疲れを癒すかのように眠気も倍増するわけで。  今朝は気持ちよく布団と仲良くなっていて、はたと気が付いたら昼近くになってしまっていた。  講義もあったけど思いっきり始まってたし、早々に出席をあきらめる。  そんで、大学の食堂でちょっと早い昼飯――つーか正直朝飯――を食ってたら、いつものメンバーが徐々に集まってきた。 「このまま席とってもらっていい? ちょっとなんか買ってくる」 「おー、いいよ」  前と左隣に鞄が置かれる。  了解了解と合図をしたら、それぞれに財布を持って散っていった。  それで、そのまま座って飯食ってたら、お礼だ、とあねご――って呼ばれてるよくつるんでる子の一人――が百円の新作プリンおごってくれた。  結局、席立っていったくせに、あねごが買ってきたのはこれ一個で、ちょっとひっかかりを覚えたけど。 「おー、さんきゅ、あねご」  気にしていても仕方ないし、ちょうど食べ終わったところだったので、さっそくパッケージを開けていただくことにする。 「りょうやん、癒されるわ……」  じーっと、オレが新作プリン食べるの見ながら、あねごが呟いた。 「ん?」  もらったプリン食ってて、癒されるのがオレじゃなくて何故あねご? 「んーん、何でもないよ。食べちゃって」  最近あねごは元気がない。  時々講義をさぼって姿を消してたのは、カレシがいるからだって聞いたこともあるけど、姿を消すこともなくなった。  ってことで導き出されるお約束なベタな推測……はあるけど、だからってそこは追及しないようにしている。  仲はいいけどそこまでの仲じゃないし、オトナのルールでそこんとこは空気読もうよって感じなのが、つるんでる連中の雰囲気。 「あねご、三限目、でねーの?」 「りょうやんは?」 「この時間に飯食い終わってるのを見てわかるように、オレは二限目をさぼりました」 「うん」 「次をさぼると多分、みはがハハオヤみたいになって、怒りの鉄拳くらわされる」  プリンは最後のほろ苦い茶色いとこが好きだ。  丁寧にすくいながら答えてたら、二人は同じ授業がいっぱいで仲良しだねぇ、とあねごに笑われた。  みはとは――あと他にも何人かもいるけど――ほとんど同じ講義を取ってて、多分このままゼミも一緒になるだろうって流れ。  ノートやら代返やら、助かるのは助かるから、それもまたよし。  でも、サークルも講義もほぼ全部一緒なのは、結局、みはくらい。  他はなんだかんだでぽろぽろと別になってってる。  ホントはさ、別になっていくのが普通だってことくらいわかってる。  わかってるけど、敢えてみはと同じ講義とってるんだから。  だから、一緒になるに決まってる。  仲良しで、いいじゃん。  一緒にいたいって思うんだから、別にいいじゃん。  どっかの誰かだって『仲良きことは美しき哉』とかなんとか、偉そうに言ってんだろ。  仲良くしてんだから、全然オッケーじゃん。  な。  とは、口に出したくても出さない方がいいことくらいはわかっているので、笑って誤魔化して、プリンを食べる。  最後の一口を口に入れたら、わしっと頭を掴まれた。 「お前、講義さぼっていいもん食ってんじゃん」  そのままガシガシと髪をかき回される。 「よー、みは、おはよー」 「寝坊かよ……」 「よくわかったな」 「今、あいさつした」 「本日一回目の遭遇だからおはようなんだけど?」  頭に手が乗ったまま、何とか上を向く。  眉間にしわ寄せて苦笑してるけど、怒ってるわけじゃなさそう。  目があったからへらりと笑ったら、途端に渋い顔された。 「ノート、貸さねえ」 「じゃあ、他の奴に頼むもん」 「大学生活にも慣れてきた男が、無駄にかわいく『もん』とか言ってんじゃねーよ」  むーかーつーくーって、言いながら両方の手でますます髪をかき回される。  やめろっちゅうの。  そんなに外見にこだわってないけど、さ。 「ホントに仲良しだねえ」  くすくすと肘をついた格好で、オレ達を見ながらあねごが笑った。  手首にはめられた時計が、するりと動く。  ブレスレットみたいにゆるくなってる腕時計。 「なあ、あねご、ちゃんと食ってる?」  思わずそう口にしてしまった。  そこは立ち入らないほうがいい部分だって知っている。  だけど、気になるじゃないか。  腕時計が動くくらいって、どんだけ痩せちゃってるんだよ。  いくら立ち入らない方がいい部分だって、放っては置けないだろ、あねごが壊れてしまうじゃないか。  ぴたりと動きを止めて、みはがあねごを見たのがわかった。 「ありがと、だいじょーぶ」  ゆっくりと瞬きをしてから、あねごが呟いた。  その顔がホントに申し訳なさそうで、あねごはわかっていて食べられないんだって気がついた。 「ごめん、言いすぎた」  違う、間違えた。  オレは慌てて、あねごに頭下げる。  そうじゃない、ちゃんと言えてない、ダメだ。 「あの、さ」  ゆるりと首を振って、あねごがオレに笑った。 「ホント、りょうやんってなんかいいよね~、癒される」 「……だから、その癒されるってなに?」 「まんまだよ?」  他の奴らが定食の乗ったプレートを持ってテーブルに来たのを見てから、みはが鞄をオレの右隣の椅子において離れてった。 「何、良哉もう食ったの?」 「おー、二限さぼったから、ゆっくりA定食食えた」 「しかもプリン食ってるし。お前、でぶったら記録落ちるぞ」 「プリン一個でそこまでなるか!」  がたがたと椅子が引かれてそれぞれが座る。  セルフの茶を取りに行ったり速攻食べ始めたりしてるのをぼーっと見てたら、みはがトレイを手に帰ってきた。 「あねご、おごり」  こつんと目の前に置かれる、缶のポタージュ。 「気が向いたら、のみな」  あ。  ちくん、て、何かが引っ掛かった。 「ありがと、みはちん。そういやもうすぐ試合だって?」 「おー、来週な。部内選考会に残ったら、だけど」 「来週かー。在校生も応援に行けるの? 見れるんだったら行こうかな」 「見れんじゃねーの? なあ、なあ、試合って部外者おっけー?」 「あー? 試合はいけんじゃね? 部内の選考会は無理だろうけど」  みはと他の陸上部員とあねごが話してる。  あねごは何もなかったように、置かれたポタージュの缶で手を温めるようにして、両手で包み込んでた。  みはも会話を続けながら買ってきたラーメン食べ始める。  うん、何にも気にするところなんてないだろ。  いつも通りの、普通の会話じゃん。  だけど。 「……混んできたな。オレ、食い終わってるし、先出るわ」 「ノート」  立ち上がったオレに当たり前のように、みはがさっきの講義のノートを差し出してくれる。 「さんきゅ、コピってくる」  受け取って食堂を出た。  なんか、ものすごく、居た堪れない気がした。  あれだけ細くなったあねごの手首。  自分でも気をつけてはいるようだったけど、あれはほとんど食欲がなくて食べてないんだろうと思う。  理由は推して知るべし。  そしてみははそんなあねごに気を使って、缶のポタージュ――無理なく摂れそうなモノ――を渡した。  それだけのこと。  オレは気が付いてたのに、あねごに餌付けされてただけだった。  口に出して聞いて、あねごを困らせただけだった。  めっちゃみはに男として水をあけられた気がする。  みはは、いい奴なんだ、ものすごく。  ずっと見ていたいくらいに。  オレだけが見ていたいくらいに。

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