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【1】
「一ノ瀬?」
名前を呼ばれて反射的に振り向くと同じクラスの木月が隣に立っていた。
こんな、学校からは結構離れた小さな本屋でクラスメイトに会ったことと、今まで一度も話したこともない木月にまるで友達のように軽く声をかけられたことに驚いて俺は一瞬フリーズしてしまった。
案の定その一瞬の間に手に持っていた本を木月に見られた。
「何読んでんの?……レシピ本?一ノ瀬料理得意なのか?」
「………別に、得意とかじゃないけど。親が帰り遅いから夕飯考えてただけ」
そっけなく答えて買おうかと悩んでいた本を棚に戻した。こんなことなら漫画でも立ち読みしてれば良かったと後悔する。
今まで料理が出来ると言うと大概同級生には「女みたい」と茶化されてきた。母子家庭で必要に迫られたから出来るようになっただけでーーーというかそもそも料理は女がするものと決まっているわけじゃないとも思うがーーー馬鹿にしたように言われるのが嫌で高校生になってからは自分からは言わなくなった。
でもレシピ本なんて決定的な物を手に取っているところを見られたんだしさすがに引くよなと木月の反応を伺うと木月は俺が棚に戻したレシピ本をパラパラめくっていた。
「凄いな。俺、米もまともに炊けなくてさ。べちゃべちゃになっちゃって。親の代わりに夕飯が作れるなんて尊敬する」
「…は?いや、どうやったら米炊くだけで失敗するんだよ。……っていうかレシピ本見てることにはなんとも思わねーの?」
「ん?凄いと思う。俺だったらそもそもレシピ本買おうなんて思いつかないからな」
「そうじゃなくて、『女みてー』とか……」
「料理って女の人がするもんって決まってんの?」
決まってない、思ってない。そんなこと。でも今まで俺の周りにいた奴らは『料理=女』という考えがほとんどだった。茶化されもせず笑われもしないなんて初めてのことで反応に困っていると木月が「はい」と本を差し出してきた。
「買うつもりだったんじゃないのか?この本。変なタイミングで声かけて悪かったな」
ふわっと優しそうに笑う顔を見て、学校でいつだか耳にした『木月は学年中の女子全員に一度は告白されたことがある』という漫画でもあり得ないだろうという噂があながち嘘でもないような気になった。
こんな綺麗な顔で自分だけに笑顔を向けられたら誰でも恋に落ちる。
ん、とそっけなく返事して本を受け取ると避けるように木月に背を向けてレジに向かった。あんな笑顔といつまでも向きあっていられるほど俺の心臓は強くない。
会計を終えて木月との会話なんてなかったかのように店を出ると「一ノ瀬、途中まで一緒に歩いていいか?俺の家もこっちの方向なんだ」と木月は店を出てきて隣に並んできた。
「……いいかって、もう一緒に歩いてんじゃん」
俺のくだらないつっこみに木月がそれもそうだなと笑った。
「お前は本屋に何買いに来たわけ?何も買ってないみたいだけど」
木月の、鞄を持ってないほうの手をチラッと見て聞いた。その手を握りたい気持ちが一瞬わいたけれど慌てて目をそらして「あ、焼き鳥美味そう」とさも焼き鳥の匂いにつられて顔をそっちの方に向けたように装った。
「俺は参考書買いに来たんだけど、目当てのやつがなかったから買わなかったんだ。…焼き鳥美味そうだな。一本買ってくか」
本当に焼き鳥を食べたかったわけじゃないのに、木月は俺が何か言う前に屋台に近づいていって「何味にするかな…。塩味美味そうだな、一ノ瀬はどうする?」と選び始めてしまった。
「え、いや、えっと…じゃあ…タレ味…」
店のおじさんの視線に買わないとも言えず味を選ぶと、財布を出す前に「塩味とタレ味、一本ずつください」と言って木月が二本分の金を払ってしまった。
おじさんから受け取ったタレ味の焼き鳥を俺に差し出してくる。
「ちょっ…悪い、いくらだった?ってか俺が言い出したんだから俺がお前のぶんまで出すのに」
「別にいいよ、これくらい」
何度金を返すと言っても「焼き鳥うまいな」と言ってはぐらかされたので諦めてありがとうとだけ言って俺も焼き鳥を食べ始めた。確かにうまい。
いつも見かける焼き鳥屋の味を、木月がいなかったら俺は知ることもなかった。
……ずっと遠くから見ていただけの相手と一緒に下校して同じものを食べれるなんて下校するまでの俺には想像もつかず、今でも半分信じられないような気持ちだった。顔赤くなってたらどうしようと心配になる。
「……あのさ、実は一ノ瀬に頼みたいことがあるんだけど」
しばらくふたりで無言で焼き鳥を食べながら歩いていると木月が急にそう切り出した。
「な、なんだよ」
変に緊張していたせいで大声を出されたわけでもないのに大げさにビクッと反応してしまった。
その自分の反応に動揺して『金か?金でも貸して欲しいのか!?』と訳のわからない考えが浮かんでくる。
「料理を教えて欲しいんだ」
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