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第87話

(……かえりたい)  どこへ? と問いかけたところで答えなどない。庵だろうか? それとも弥生たちのいる春風の屋敷か? そのどれも違うと思うけれど、無性に帰りたいと願う。  昼間は忙しく動き回り、一歩町へ出ればいろんな人の声が聞こえるので何も思わないが、皆が寝静まった夜になると途端に、寂しさが襲ってくる。この世界にたったひとり、ぽつねんと立ち尽くしているかのような、そんな感覚。  寂しい寂しいと訴える己を振り払うように、雪也は勢いよく頭を振った。  もう少ししたら、薬が効いてくるはずだ。火照りも少し治まったのだから、泉を出て、隙なく着物を着て、そして薬に身を任せるように眠る。そうすれば何事もなくいつも通りの朝がくるだろう。  小さくため息をついて、雪也はゆっくりと水から上がる。早くしなければ周が起きるかもしれないと急ぎ帯を締めて、雪也は湧き上がる何かを胸の奥深くに押し込めて、庵へと足を向けた。

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