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第310話

 何も聞こえない、静かな庵の中に耳を澄ませながら、由弦は庵の外でトン、と壁にもたれかかり空を見上げた。  ずぶ濡れで帰って来た雪也に何があったのか、由弦にはサッパリわからない。わからないが、周が知らないフリをすると言う以上、由弦もズカズカと踏み込むような真似はできない。何より、雪也は自分の中に誰かが入り込むことを嫌うだろう。  サクラだけを抱いて、サクラと自分だけがいる世界に生きていた時は、存外楽だった。自分とサクラのことだけを考えていればいい。止まることも突き進むことも、すべては自由だ。だが、今は違う。優しい世界に、温かな家族というものは何ものにも代えがたいが、相手は意思を持つ人間だ。由弦の知らない過去もあれば語られないと知ることのできない思いもある。突き進めば傷つけることもあるだろう。だからといって、止まったままでは救えない。 (紫呉は何か、知ってんのかな……)  由弦が出会う前の雪也を知るその人は、彼の闇も知っているのだろうか。

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