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第316話

 兵衛が完全に見えなくなって、ようやく由弦は腕の中にある着物に視線を向ける。詫びではなく、恩に報いると言って兵衛はこれを渡してきた。雪也が持つ着物が一枚だけであるはずがないとことわかっていて、それでも届けなければと。  由弦には、兵衛や彼の父が何を思ってこの着物を届けに来たのか、語られたところでそのすべてを本当の意味で理解することはできない。だが、腕の中にある着物はどうしてだか温かくて、まるでサクラの身体を抱きしめているような、紫呉の袖を掴んでいるような、そんな心地よさを覚えた。この着物を渡したら、同じように雪也は温かく感じるのだろうか? ならば、早く届けれあげなければ。そう思って、由弦はクルリと踵を返して勢いよく庵の中へ入った。 『雪也がずぶ濡れで帰ってきた。何かあったのかと心配だけど、周が知らないことにするって言うから、俺もそうした方が良いんだろうな。でも、呉服問屋の奴がやって来たのには驚いた。恩だって、言ってた。それがどういうことなのか俺にはよくわかんねぇけど、雪也が少しでも元気になってくれたらいいな。俺も紫呉やこの庵の奴らに恩があるけど、俺はどうやってその恩を返したらいいんだろうって、ちょっと思った。今日の雪也に何にもできねぇ俺だけど、それでも皆が笑ってくれるなら、俺は何でもできる。その気持ちだけは変わんねぇから、いつか、それこそ恩を返せたら良いな』

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