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第315話
新しい着物が必要か必要じゃないかと問われれば、今回の場合は必要ではないだろう。ましてほぼ関係のない兵衛が、彼らの大切な商品である着物を無償で雪也に渡す必要はない。わかっていて、兵衛や彼の父は雪也にこの着物を、と持ってきたのだ。傷ついたであろう、その心に僅かでも温もりを与えたくて。
「雪也さんには恩がある。あの医者も薬屋も大嫌いな父の苦しみを救ってくれたという恩が」
「その分、銭を貰ってるぞ?」
それが雪也の商売なのだから。そう言ってますます首を傾げる由弦に、兵衛はわずかも表情を変えることなく頷いた。
「勿論、我々と雪也さんは客と薬売りという関係だ。薬を貰う代わりに銭を渡している。だが、それはそれ、これはこれだ。雪也さんが父に向けてくれた優しさに、俺たちは感謝しているんだ。その恩に報いるのが商売人というもの」
言って、兵衛はチラと庵の方へ視線を向け、ゆっくりと瞬きをした。そして再び由弦に視線を向ける。
「今は、会わない方が良いだろうな。俺にはこれ以上のことをして差し上げることはできないが、君達なら傍にいるだけでも彼の力となるだろう。俺に構わず、中に入ってくれ。もし何かあれば、出来るかぎり力になろう」
由弦に呉服問屋の場所を簡潔に伝えて、兵衛は踵を返す。その大きな背中を由弦はポカンとしながら見つめていた。
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