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第371話
「上様、弥生が御前に」
控えめに声をかければ、目を瞑っていた茂秋がゆっくりと瞼を持ち上げた。随分とやつれたその姿に胸が痛むが、弥生はそれを僅かも出さず微笑みかける。それに吐息だけで笑って、茂秋は周りに視線を向けた。
「……みな、下がれ」
消えてしまいそうなほど微かな声であったが、シンと静まり返った室内ではよく聞こえた。「しかしッ」と医師や側仕えたちは前のめりになるが、茂秋が弥生と二人になることを望んだため、医師を一人部屋の隅に控えさせることを条件に了承し、他の者はゾロゾロと退室していった。
「今は御気分がよろしいのですか?」
少し顔色が良いですね、と言えば、茂秋はクツクツと苦笑した。
「いつから、そなたは、ほら吹きになった?」
冗談を言うことはあっても嘘は言わない人間だろう? そうか細く呟いた茂秋は、どこか疲れたように深く息をついた。
「……ッ……そなたに、頼みたき、ことがある」
「なんでしょう」
ゆっくりと、まるで手首に鉄球がつけられているかのように鈍い動きで茂秋は布団から手を出すと、側に置いてある黒塗りの長細い盆を指さした。
「城に戻ったら……、それを、姫宮様に渡してほしい」
その言葉に、あぁ、と弥生は瞼を閉じる。布がかけられていて見ることはできないが、きっとそこには静宮と約束したものがあるのだろう。
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