593 / 611

第589話

「して、弥生よ。せっかくそなたが華都に来たのだから思い出話に花を咲かせたいところであるが、この世情でのんびり話をしにきたわけではあるまい。現将軍の芳次とはあまり気が合わぬと報告をうけておったが、なんぞあったか?」  帝は華都から出るどころか、外の土を踏みしめることすら稀だ。それほどに尊く、だからこそ身動きが取れない。それでもある程度のことは把握できるほどに帝は多くの声に耳を澄ませ、己のいない場所で摂家が何をしているのか目を光らせている。それをわかっているからこそ、弥生は腹に力を込めた。  帝は決して、衛府の完全なる味方ではない。 「こちらを、お預かりしてまいりました。静姫宮様と、将軍・芳次公からの文にございます」  私的な訪ないであると印象付けるためか、完全な人払いをされていて侍従は側にいない。それゆえに弥生は文を捧げ持ち頭を垂れて、帝ににじり寄った。その手から文を受け取り、帝は無言でそれらに視線を滑らせる。静姫宮の文も、芳次の文も、そう長いものではない。すぐに読み終わった帝は、元の場所に座りなおした弥生に視線を向け、手慰みに扇をパチリと閉じた。 「なるほどのぉ。華都も近頃は血なまぐさい景色を見せるようになったようだが、武衛もまた負けず劣らずらしい。姫宮や芳次は城におるゆえに守られて当たり前と言えるが、弥生もよう無事であったな。そなたとしては文の為に遠路疲れたであろうが、余としてはそなたの変わらぬ元気そうな姿を見れて安堵いたした」  春風もまた近臣だ。よかった、よかったと繰り返す帝は慈悲に満ちているが、弥生はそれを受け取りながらも緊張を解くことは無い。そして帝もまた、ひとしきり弥生の無事を喜んだ後にトントンと扇で文を叩いた。

ともだちにシェアしよう!