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第590話
「武衛の様子は理解した。なんとも恐ろしいことよ。姫宮や芳次が危険を感じて文を送ってくるのも致し方あるまいて。ところで、弥生はこの文に何が書いてあるのかを知っておるか?」
「いえ。主上に送られた文を盗み見るなどという無礼はいたしません。ですが、現状を考えるに推察する事はできます」
半ば己が提案したのだという事実は芳次のためにも胸の内に仕舞いこんで、弥生は既に用意していた言葉を紡いだ。自然なそれは帝になんら違和感を与えなかったらしい。彼はひとつ頷いて扇で口元を隠すと小さくため息をついた。
「なんぞ、尊皇を尊ぶ者達が暴走しておるようだの。確かに尊皇を掲げるのならば、余の存在は無視できまいて。とはいえ、現状としては公に余が動く理由は見当たらぬ」
その言葉に落胆はなかった。やはり、とさえ思う。
「姫宮とその子は、秘密裏に余の元へ戻せばよい。そなたさえ頷けば、そなたら春風家と春風に仕える者たちくらいは余の命令で華都に迎え、安全を保障しよう。じゃが、長きにわたり敬っている風を装って実権を握り続けた衛府に、華都はさらなる譲歩をせよと申すか? 姫宮を嫁がせたが余にとって最大の譲歩であったというのに、なおも求めると申すか?」
帝は妹たる静姫宮を心から大切に思っているが、ただ彼女の兄だけであるわけにはいかない。妹が武衛に残ることを望もうと、命と秤にかけるは愚かなことだ。城に危険が迫る前に、帝は妹とその子を保護するつもりでいたのだ。命じればすぐにでも動き出せるよう、すでに準備も整っている。
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