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第646話
人混みに紛れて見失いそうになるが、男は庵に向かっていたようですぐに捕まえることができた。人々から少し離れた場所で腕を掴む。そこでようやく、男は驚いたように振り返った。
「あなたは……」
「サクラをどうするつもりだッ、由弦はどこにいるッ!」
そう、男の腕の中には何かを探すようにキョロキョロと頭を動かしているサクラの姿があった。暴れてこそいないが耳はピンと立ち、辺りを見渡す瞳はどこか寂しそうである。きっと常に一緒にいる由弦の姿が見えず、雪也や周も傍にいないから心細くてならないのだろう。
「……雪也さんに頼まれて、サクラの保護に。あなたはよく火野さんの店にいた方ですね? 確か雪也さんたちとも親しかったはず。ならやはり、この子がサクラで間違いないようだ」
耐えるように何かを呑みこんだ男はゆっくりと瞬きをすると、訥々とあまり感情のこもらない声で説明した。それを聞いてようやく、湊は男の姿を見たことがあると思い出す。確か、定期的に父親の薬を貰いに庵へ来ていた男だ。
「あ、ごめんなさい。てっきり、サクラを攫って行こうとしているのかと思って」
雪也に頼まれて保護したということは、彼はまったくの善意で動いてくれたのだろう。それなのに話も聞かず怒鳴りつけてしまったと、湊は慌てて掴んでいた手を離し深々と頭を下げた。
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