703 / 981

第699話

 紫呉からさほど離れていない場所に身を潜めていた弥生は、光明の姿を見てほんの少し瞼を伏せた。  弥生は光明とさほど親しい仲ではないが、織戸築の当主とは交流がある。どこか飄々としているものの大局を見定める目は衰えていない、大衆の甘言に惑わされることなく敵の言葉であってもただ切り捨てるだけのことはしない御仁だと思っていたが、その彼が治める織戸築さえも敵になったとすれば少し厄介だ。  損得だけで縁を結んできたわけではない。弥生も父も、できる時にできるだけの真心を差し出したつもりだ。それでも、その縁の何割かは春風の声に耳を傾けてくれるのではないかという希望はあった。視線の先にある光景はその希望を打ち砕くものか、あるいは織戸築もまた一枚岩ではないという証明か。どちらであるのか弥生には判断がつかないが、もしも縁を結んできた領主たちが皆、弥生を殺さんと私兵を差し向けてくるとしたら厄介どころか、流石にこの命は切り捨てられるという自信しかない。 「弥生、隙ができるよ」

ともだちにシェアしよう!