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【おまけ】十月二十五日ランチタイムに愛を込めて(信周の同僚視点)

 恋人がインスタを始めたのはいつだったか。  小さなIT系企業に新卒で入社して一年が過ぎようとしていた。ぼんやりと時計を見上げた|相模《さがみ》は、小さなため息とともに再び視線をキーボードに落とした。もうすぐ昼休みだというのに、さほど空腹を感じない。ふと見ると、同期の|影山《かげやま》と|須藤《すどう》もそわそわと時間を気にしている。こちらは腹が減りすぎてランチタイムが待ち遠しいといったところか。  インスタで相模の恋人が投稿しているのは弁当の写真だった。いや、別にいいのだ、インスタに弁当の写真をあげたって。問題は「いいね」をもらうたびに張り切った恋人が、弁当をあらぬ方向へと進化させていったことである。  昼食のために開放された会議室で、三人はいつものように並んで席に座った。今朝弁当を手渡されたとき、恋人が嬉しそうに「今日は春をイメージしてみたの」なんて言っていたのを思い出し、相模は重い気持ちで蓋に手をかけた。すぐに色とりどりの小さな別世界が目の前に現れる。    切り込みを入れた薄焼き卵をくるくると巻いた花。ご飯の上には海苔とおかかが敷かれ、その上に桜の花の形にくり抜かれたハムが散りばめられている。メインの野菜の肉巻きの中心にはニンジンとインゲン。照り照りのタレが絡んで実に美味そうだ。ウインナーはもちろん、ミニトマトにさえも飾り切りが施され、ブロッコリーが鮮やかに隙間を彩っている。  インスタでは『彼弁』や『旦那弁』などというハッシュタグでいろんなキャラ弁が投稿されていて、相模もそれを覗いてみたことがある。そこには驚くほどバリエーション豊かなキャラ弁が並んでいた。  ……が。正直なところ、会社でキャラ弁を喜んで食べる男の気が知れない。恋人の作る弁当はボリュームも|彩《いろどり》も味付けも全てが申し分ないのだけれど、会社で食べるにはやはりどこか気恥ずかしい。 「愛されてるねえ」  そう言って覗き込む影山の手元には、自分で作っているという弁当がある。タッパーを埋め尽くすご飯とトンカツ、ゆで卵にポテトサラダ。シンプルイズザベスト。   「いいよなあ、相模は。毎日弁当作ってもらえるんだもんな」 「影山、お前それ本気で言ってる?」 「当たり前じゃん、俺なんて作ってくれる人いないし」 「ああね」 「なにその反応」  相模の反対隣りでは、須藤が黙々と大きな握り飯を頬張っている。   「手え込んでてすげえじゃん」 「そうかなあ、インスタの『いいね』のために犠牲になってる感ハンパないんだけど」 「いやいやいや、愛のなせるわざだね。弁当作んの大変なんだぞ?」 「ああ、うん。てか、影山のも須藤のもめっちゃ美味そうじゃん。そういうシンプルなのでいいと思わん?」 「っかー、ぜいたくな奴」  須藤の握り飯も恋人の手作りらしい。大き目の握り飯にはそれぞれ、唐揚げや卵焼き、それにお浸しなんかがぎゅうぎゅうに包まれている。具は日替わりで、焼鮭やきんぴらごぼうが入っている日もあった。きっと食べやすさも抜群だ。  ――いいなあ。  相模は両隣りを横目に見ながら自分の弁当を食べ始めた。相模と影山のやりとりを、須藤は黙って聞いている。        翌日。いつもはほぼ握り飯だけの須藤が弁当箱を持っていた。   「めずらし、今日は握り飯じゃないのな」 「うん。相模がいつも可愛いの食ってるから、俺も頼んで作ってもらった」 「うそん、須藤もキャラ弁なの?」    相模が驚くと、須藤と影山は目配せしあって照れ臭そうに笑った。 「会社でキャラ弁って結構勇気いるのな」 「そうなんだよお、須藤わかってくれるかあ?」    相模が大げさに腕を広げて須藤の肩に回す。須藤がゆっくりと蓋を開けると同時に、相模と影山の歓声が上がる。   「うお、すっげえ」 「本格的~」    クマを模したいなり寿司がずらりと並んでいた。スライスチーズと海苔を駆使した何とも可愛らしい表情である。周りには|彩《いろどり》良く簡単なおかずが配置されている。   「俺も一緒に作ったんだけどさ、朝早くから大変だったぜ。片付ける時間なくてキッチンぐちゃぐちゃのまま家出たもん」  須藤が苦笑する。「わかる~」と相槌を打ったのは影山だ。   「そうだった、須藤は同棲してんだよな。くっそ、リア充ども」    影山はぶつぶつ言いながら自分の弁当箱を取り出した。   「相模、見て驚くなよ、今日は俺もキャラ弁なんだぜ。どんっ」  そこにはタコさんウインナーがこれでもかと詰め込まれていた。飾り切りに見えないこともない|歪《いびつ》な切り口のゆで卵に、ご飯の上の海苔は目と口のつもりだろうか。 「え? これ?」  ぽかんとする相模、ドヤ顔の影山、笑いをこらえる須藤。   「顔付いてるし、タコさんだし、立派なキャラ弁だろ?」 「ん、俺のはカニさんだぜ」  確かに、須藤の弁当箱からはカニさんウインナーが顔を覗かせている。 「いやあ、俺にはこれが限界だったわ。二人ともいいよな、俺も可愛いの作ってもらいてえ。いや、弁当いらんから誰か俺と付き合って」  ぼやく影山の肩を、相模が笑いながらぽんぽんと叩いた。三人は学生時代に戻ったように、あーだこーだ言い合いながらキャラ弁を食べる。    残念ながらキャラ弁ブームは続かなかった。でも、相模はもう恥ずかしいなんて思わない。いやむしろ嬉しかった。恋人の想いも、影山と須藤の気持ちも、全部。  その日の昼休み、暖かな陽気に誘われて三人は外で昼食をとっていた。相模はいそいそと弁当箱の蓋を開ける。ころころしたパンダのおにぎりと目が合い、思わず笑みがこぼれた。 「愛されてるねえ」  弁当を覗くたび影山はいつも同じセリフを繰り返す。相模は笑った。以前はからかわれているようにも感じたものだが、今はなんだかくすぐったい。   「俺、結婚するわ」    妙に気持ちがふわふわして、相模は思わず口走った。   「え? え? マジ?」 「おめでとう?」  影山がヒューッと口笛を吹いた。 「いつのまにプロポーズしたの?」 「これからする」  相模はにやりと笑った。   「『これからも毎日君の料理が食べられたら幸せだな』って言う」 「おおっ」 「いいんじゃない? 頑張れよ」 「おう」  相模は二人とグータッチを交わした。最近は恋人と一緒にインスタを眺めるのが日課だ。次に作る弁当をリクエストしたりもする。にやける顔を隠すために、相模はハート型の甘い卵焼きを口いっぱいに頬張った。

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