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第11話

 長身を活かした文維は、玄関に春節を祝う「春聯(しゅんれん)」と呼ばれる赤い紙を貼る作業を任された。  玄関ドアの左右に「対聯(ついれん)」と呼ばれる、縁起の良い詩のようなものを書きつけた縦書きの紙を貼る。赤い紙に黒々とした墨でしたためたそれは、毎年父である包伯言(ほう・はくげん)教授による手書きの物だ。今では安価で手に入るため、わざわざ手書きをする家庭も減っているのだが、包家では見事な手書き文字で新年を迎えるのが恒例となっていた。  ドアの上にはその「対聯」の句に合うような、横書きの「横批(おうひ)」と呼ばれる言葉が貼られる。  これらを貼る作業を終え、改めて父の手書き文字を見た文維は、その文字の美しさに敬意を覚える。ただ美しく整った文字なのではなく、品性を感じるのだ。高い教養と高潔な人格、それらがあってこその、この文字だとよく分かる。  決して字が下手な文維ではないが、これほどの文字を書けるようになるには、今の父の年齢になっても難しいだろうと思った。 (結局、お父さまにはかなわないな)  苦笑しながら自宅へ入ると、リビングを中心に小敏が飾り付けを手伝っていた。  窓には来年の干支である(うさぎ)をモチーフにした赤い切り紙が貼られ、壁には母のお気に入りの年画が貼られている。何気なく貼られた、子供たちが遊ぶ吉祥柄の年画ではあるが、実はこれは清代から続く恭家の家宝の1つで、今では値段がつけられないほど高価なものだという。そんな貴重な名画でさえ、母・恭安楽は頓着しない。ただ、子供の頃から見慣れた、お気に入りの年画だというだけで、紙が劣化しようが、汚れようがお構いないしで毎年飾っている。実際、この程度の家宝であれば、恭家の実家にはまだまだ溢れるほどあるのだ。 (お母さまの大らかさには、誰にもかなわないかもしれないが…)  吉祥文字である「福」をリビングのドアに貼ると、小敏は成果を問うように恭安楽を振り返った。 「これで、全部だよ、叔母(おば)さま?」 「ええ。ありがとう。これで例年通りに収まったわ。今夜の年夜飯(年越し料理)と餃子の仕度はパパが担当してくれているし、文維も手伝ってくれるでしょう?」  柔らかい笑みであるが、決して逆らえない威力のようなものを感じさせて母が言うと、文維は慌てて頷いた。 「もちろんです、お母さま」  それを満足そうに受け止め、恭安楽はキッチンの方へと向かった。 「あとは果物と、子供たちのオヤツくらいだと思うけど、パパにも何か追加で買ってくるものが無いか、聞いてくるわ」  キッチンに居るらしい包伯言の元へと消えた恭安楽を見送り、小敏はクスリと笑いながら、大きなソファに座り込み、またもテーブルのお菓子に手を出した。  文維もまた、はあと深い息をしてソファに腰を下ろした。 「で、結局…。お前は、これは誰の夢だと思う、小敏?」 「安楽叔母(おば)さま」  これっぽっちの逡巡も無く、小敏は即座に言い切った。 「お母さま?」  あ然とする文維に、小敏はだらしなくソファに凭れ、テレビを点けるとダラダラとお菓子を食べ続ける。 「ボクらとの楽しい家族団らん、愛する叔父さま手作りの年夜飯、カワイイ子供たち…なにもかも、叔母さまの好み通りじゃない?」 「う~ん」  確かに、小敏の言う通りかもしれない。けれども、文維はなんとなく納得できない。 「確かに、お母さまの好みのように見えるが…、何かが違うんだ」 「具体的に、何が?」 「それが…今はまだ、はっきりとはしないが…。どこか母の好みとは違っているような気がする」  珍しく理屈ではなく、文維の直感的な発言に、小敏もお菓子を食べる手を止めた。 「言っとくけど、ボクの夢じゃないからね」 「分かってる。私のでもない」  2人は顔を見合わせた。  じゃあ、一体誰の夢の中で忙しく迎春準備などしているのだろうか。文維はすぐそこに答えがあるようで、手が届かないもどかしさに、その端整な顔を歪めた。

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