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第43話
湿っぽい空気はこれまで、と言わんばかりに哲司はベッドの向こうのカーテンをサアッと開けた。一気に明るい日差しが入ってくる。窓を開けると、冷たい空気が流れてきた。窓の外には、建物が撤去されてしまった空き地や修復中の建物などに混じり、野球場も見える。
「ここからな、西宮球場が見えるんや。ええ景色やろ」
「今は西宮球場ちゃうで。西宮スタジアムやで」
笑いながら訂正する絢斗も、窓の外を眺めた。徐々に復興の途中にある町を。まだまだ寒い風に髪をなぶられながら、絢斗は哲司の方を向いた。
「てっちゃん、俺、お祝いが欲しい」
「次の祝いは、無事に看護師になれたときやろ。それまで楽しみにしとけ」
その言葉を聞いて、絢斗は嬉しくなった。三年間の専門学校の後、国家試験に受かるまで、それまで哲司はそばにいてくれる。どこでどうしているか、などと心配しなくていい。哲司は白いバンで、市内のあちこちを移動しながらたこ焼きを焼いているのだ。会いたい日にいつでも会える。
「じゃあ、俺からてっちゃんにお祝いあげる。退院祝いと、再就職祝い」
「お、何かくれるんかい」
無邪気な笑顔を見せる哲司の唇に、絢斗は自分の唇を押しつけた。以前、大誠に犯された日の夜、無理やり哲司の唇を奪ったとき。あのときと同じ不器用なキスだった。
「なんやねん、いきなり」
初めて絢斗にキスされたときとは反応が違う。あのときは予想だにしていなかったことだが、今日は薄々はわかっていた。再会したときから、こうなることはわかっていた。
「だって、卒業したら付き合ってくれるって、てっちゃんそう言うたやん」
「物には順序ゆうもんがあるやろ」
絢斗は哲司の正面に立ち、自分より少し上にある肩に両手を置いた。
「てっちゃん、好きです。俺と正式に付き合ってください。絶対、幸せにします!」
真面目な告白に哲司は目を逸らそうとしたが、照れてしまう方が逆に子供っぽい。腹のあたりに力をこめ、まっすぐ絢斗の目を見た。
「俺もや。同情とか押しに負けて、とかとちゃう。絢斗、お前が好きや。震災の後、ずっと会いたかった」
筋肉質な腕が、絢斗を優しく抱きしめる。夢にまで見た、哲司の腕の中。一度絢斗は哲司を抱きしめたことがあるが、あのときとは逆で、今は哲司に抱きしめられている。
抱きしめるのと、抱きしめられること。同じような体勢でありながら、意味がまったく違ってくる。好意を一方的にぶつけるのではなく、互いの気持ちが一つになる、それを条件として得られる安心感が、まったく違う。あのときは余裕がなかった。でも今はゆっくり深呼吸し、哲司の匂いをかぐこともできる。哲司の体臭に混じって、かすかな洗剤の香りのするTシャツだが、一番勝っているのは油の匂いだ。絢斗がよく知っている、油の匂い。それに、タバコの匂い。
絢斗の顎がつかまれた。その手につられてゆっくり顔を上げると、唇が重なってきた。哲司とのキスも、二回目。それも前回とはまったく違う、お互いの気持ちが通じ合ったキス。意外に柔らかい唇の感触を味わいながら、次にくるエロスの禁断の果実を想像する。だが、それに反して長く優しく吸いつくキスを続け、哲司は抱きしめる腕を少し強めるだけなのだ。
こちらから舌を入れて誘おうか、そうして絢斗が唇を少し開くと、哲司の唇は離れ、少し顔の角度を変えてまた吸いつくのだ。
そうして焦らされていくうちに、絢斗の下半身がうずき出す。早く、舌が絡み合う激しいキスをしたい。餓えた狼が舌という肉を求めて、今にも噛みつかんと唇を開けた。
すると今度は哲司が舌を滑りこませてきた。同時にタバコの味がする。哲司に応じて絢斗も舌を絡ませようとするが、優しく波打つような動きでそっと絢斗の舌を舐めるだけの哲司は、いつまでたっても野生をむき出しにしてくれない。歯が当たることはなく、口のまわりが唾液だらけにもならず、紳士的なキスだ。始めは物足りなさを感じたものの、次第に絢斗の頭の中は紳士の策略に溺れていた。
ワイルドに荒々しく噛みつかれると思いきや、どこまでも優しいキスで虜にする。どうすればこんなにキスが上手になるのか。知らないところで女を取っ替え引っ替えしていたのか、と嫉妬心にかられてしまう。
そうして絢斗が官能的なキスに酔いながら見知らぬ過去の女たちに嫉妬しているうちに、足が少しずつ動いてどこかに移動しているのに気づく。そのまま哲司に誘導されるまま足を動かしていると、哲司の体重がよりかかってきた。バランスを失いドスン、と落ちた先はベッドだった。倒れこんだまま、キスは続く。ただ、手だけはお互いの服を脱がせるために動いていた。
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