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第42話
「あーもうええやろ! お代は卒業祝いやからいらん! 末広町のどの辺りでおったらええねん?!」
照れ隠しにまくしたてる哲司を見て、絢斗は含み笑いをする。
「何がおかしいねん」
「今日はなんでここまで来たん? 偶然や言うたら笑うで」
「偶然ちゃう。退院しておやっさんとこに厄介になって、その後久しぶりに絢斗がどうしてるか来てみたら、オダマキ荘はあらへんし、まあ、元気やったら学校通ってるやろな思て。ほんで公立高校の卒業式が今日やて聞いたから」
温かい舟皿を両手でしっかり包み、その温かさを実感していると、『てっちゃん』で過ごした日を思い出す。ああ、やっと日常が戻ってきた。
「ありがとう! いったん帰るから待ってて! 末広町の仮設、一棟しかないからすぐわかると思う」
「ほんなら、阪急の高架沿いの辺り、商売がてらうろうろしとくわ」
サドルにまたがり、絢斗は念を押す。
「絶対やで、よそ行かんといてや! 絶対におってや! ちゃんとおってや!」
せっかく会えた哲司に、もう二度と離れてほしくない。どこでどうしているか、などとやきもきしたくない。一年と少し前までは、いつでも哲司に会えると思っていた。家の電話番号も携帯電話の番号も知らない。だが、いつでも哲司はそばにいた。それが当たり前だと思った。たった一瞬のできごとで、当たり前の日常が崩れ去る。もうあんな思いはしたくない。絢斗は何度も哲司に「ちゃんとおってや」を繰り返した。
家に帰り、喜美子に哲司の無事を報告し、お土産のたこ焼きをいっしょに食べた。喜美子はとても喜んでいた。絢斗は昼食を終えると、仮設住宅を飛び出した。阪急電車の修復された高架の南側に、大きな白いバンが停まっている。
「てっちゃーん!」
大声で手を振る絢斗に、ウィンドウから顔を出した哲司が笑顔で答える。助手席に乗った絢斗は、もう一度哲司にたこ焼きのお礼を言った。
「お母さんが喜んでた。懐かしい味やって」
「そうか、喜んでもらえてなによりや」
車は走り出す。阪急の高架沿いを東へ。
「家はどこなん?」
「ニシキタ(阪急西宮北口駅)の近く。前の店があったとこからもわりと近いかな」
着いたところはマンションだった。1LDKのこぎれいなマンションで、エレベーター付きだ。駐車場に車を停め、エレベーターで四階に上がった。
「震災以来、ダメージ受けた地域は土地代も下がったらしいな。このマンションは震災の崩壊を免れたけど、あれ以来引っ越してまう人が多かったらしくて、新規の入居者もさっぱりやったらしいねん。ほんで家賃も安いんや」
中に入ると、オダマキ荘にいたときと家具の少なさは変わらない。大型の冷蔵庫はあるが、あと目立つものといえばテレビとベッド、テーブル代わりになっているコタツぐらいだ。
だが、昔とは違うものがある。テレビの横にカラーボックスがある。その上に写真立てと位牌、鈴 と線香が置いてあり、リンゴとバナナが供えてある。写真には笑顔の中年女性が写っている。背景は建物内で、赤い階段とシャンデリアが美しい。
「それな、オカンやねん。吹田の妹のうちにアルバムがあって、妹と二人でファミリーランドにある宝塚歌劇見に行ったときのやねんて。俺んちに位牌置かしてもらうことになったけど、遺影がないとサマにならんやろ。ほんで妹に頼んで写真屋に作ってもろてん」
ネガがないため焼き増しができない。写真から複製する方法を使い、キャビネ版に引き伸ばしてもらった。その遺影に、毎朝線香をあげて手を合わせているという。哲司は遺影に向かい、手を合わせた。絢斗も隣に並んで手を合わせる。
「…大谷のおっちゃんもな、あの震災で亡くなったって大家さんに聞いたわ。おやっさんに聞いたけどな、俺のえべっさん彫ってくれたジジイも、全壊した家の下敷きで圧死やて…」
傾いた家のポストに娘夫婦の住所を書いて貼りつけてあったため、それを頼りに哲司は大家を訪ねた。瓦礫の中から出された所持品を引き取ったとき、大谷の死を知らされた。
「あの…児島大誠って覚えてる? 俺のいっこ上の…」
「ああ、あいつか」
絢斗を犯した幼馴染み。人の愛し方を知らないまま。
「震災でマンションが倒壊して、亡くなったんやって。顧問の先生が言うてた」
「そうか」
哲司はそれ以上、大誠のことについて何も言わなかった。きっと複雑な気持ちでいるであろう絢斗を慮ってのことだ。
「なんもかんも変わってもうたなあ。地震のせいで」
そうだった。地震のときの怪我で、絢斗の運命も変わってしまった。
「俺、あの震災で足やられてん。もう陸上は無理や」
「ほんまか?! そんなに酷かったんか?!」
絢斗は自分の右のすねをポンポンと叩く。家が倒壊したとき本棚に挟まれ自力で出られず、数時間後に自衛隊員によって助けられたことを話した。直後はそれほどでもなかったが、日を追うにつれ痛みが増してきたことも。
「もうしばらくほっといてたら、壊死起こすところやったらしいねん。もう走るんは無理やから、大学も陸上部も諦める」
あっけらかんと、それどころか清々しく話す絢斗を、哲司は不思議に思った。
「で、これから進路はどうするねん」
「看護師!」
力強い答えに、哲司は驚いた。絢斗の目は輝いている。
「看護師学校、受かってん。お母さんと同じ、看護師になる。お母さんは避難所おるとき、患者さんを助けられへんかった、って言うてた。ほんなら看護師は一人でも多い方が、患者さんを助けられるかもしれへんやん」
倒壊する建物の下敷きで大怪我、地震の後に発生した火災での怪我や火傷、クラッシュ症候群、避難所で蔓延したインフルエンザ、通院できずに薬が切れて病状が悪化した避難者。手当が間に合わず助からなかった人は大勢いた。震災関連死は六千人を越える。たった一人看護師が増えることで過去を覆せないが、未来を変えることはできる。ほんの少しでも手助けはできる。
「偉いな」
哲司の大きな手が、絢斗の髪をくしゃくしゃに撫でる。
「お母さんっちゅう大先輩に鍛えられて、立派な看護師になれよ」
失ったものは大きかった。だが人は立ち上がり、復興へと進んでいく。絢斗も社会人への一歩を踏み出したところだ。
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