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24話 side海 アネモネブラウン

 榎井と別れ、部屋に入るなりすぐにパソコンの電源を入れる。それからエアコンの電源を入れた。配信が始まると、エアコンは使えない。エアコンの音が配信に乗ってうるさいからだ。暑い日でも寒い日でも、原則は冷暖房を使わない。配信を始める前だけの短い時間、使用するだけだ。 「えーと、歌詞も用意しないと……、あと背景用の画像と……」  歌枠をやると宣言したので、その準備に追われている。ここのところは動画ばかり撮影していたので、歌枠をやるのは久し振りだ。会社の往復で曲を覚えたが、歌うのは初めてだ。『アネモネブラウン』という曲で、初めて聴いた時から歌ってみたいと思っていた楽曲だった。  急遽、歌枠をやると宣伝を流したのは、今投稿している『ステラビ』の完結があと二回になったので、その前に次回作である『歪みの塔のアリス』の第一回を投稿する予定だからだ。前の作品が完結する前に、次の作品を投稿して視聴者を誘導するのは、大手のストリーマーも実践している方法だ。完結するとそのままフェードアウトされてしまうこともあるが、こうやって重複投稿することでそれを防ぐのだ。  ちなみに、ゲームのプレイ動画については収益化している俺だが、こうした歌ってみた系の動画は収益化することは出来ない。歌うこと事態は許可されていることが多いが、広告収入などを得ても著作者に収入が入る仕組みだからだ。だが、人気の楽曲はそれだけで再生されるし、上手くすると新規の視聴者がやってくる。ゲーム実況者が歌うことには賛否があるが、ストリーマーの人となりが結局は人気のもとなので、こういう配信もしなければ人がつかないというのが実情のようだ。俺は好きで歌ってるけど。 (せっかく榎井と帰り一緒だったけど……)  配信をすると言ってしまったので、飯に誘うことも出来ない。それに、配信をするときは何も食べないことにしている。 「んー、ん~♪」  声の調子を確認しながら、散らかった部屋をざっと片付ける。 「あ、洗濯も仕掛けないと」  配信の間に洗濯すれば良いか。汚れ物を洗濯用に使っている袋に詰め込み、洗濯室に向かう。前にすんでいたアパートでは、コインランドリーを使っていた。寮はありがたい。  洗濯室には他に人は居なかった。鼻歌を歌いながら洗濯機に洗濯物を放り込み、蓋を閉じる。 「その歌――」 「うわあっ!」  急に背後から声をかけられ、驚いてビクッと肩を揺らす。 「え、榎井っ。びっくりしたぁー。さっき振り?」 「ああ、うん……」  榎井は微妙な顔で、隣の洗濯機に手をかける。榎井も洗濯に来たらしい。  俺はホゥと息を吐いて、洗濯機のボタンを押し、使用中の札を掛けた。榎井は淡々と洗濯物を放り込みながら、ポツリと呟いた。 「さっきの、『アネモネブラウン』?」 「えっ? あっ。うん……」  鼻歌を聴かれていたのだと気付き、恥ずかしさに顔が熱くなる。誰もいないと思って、つい油断してしまった。 (うわぁ、恥ずかしい。耳まで熱い)  恥ずかしいから逃げ出してしまおうか。急いで鞄を片付けて立ち去ろうとする俺に、榎井がフッと笑った。 「上手いじゃん」 「――っ。あっ、ありがと……」  心臓が、ドクンと跳び跳ねる。  急に褒められたのが嬉しかったのか、榎井の意外な表情に驚いたのか。解らないが、心臓はバクバク鳴り響いている。  榎井はそれだけ言うと、素っ気ない表情でまた淡々と洗濯機の操作を始める。俺は胸を押さえて、「じゃ、じゃあ」とだけ言って、その場から逃げるように立ち去った。

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