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25話 side山 出来過ぎた偶然
『風に揺れるアネモネ、僕の胸から流れる血が――』
耳に心地よい歌声に、目を閉じてじっと傾ける。マリナちゃんの選んだ楽曲は、やはり『アネモネブラウン』だった。予想通り、彼女によく合う楽曲だと思う。
「……」
それなのに、どこかモヤモヤしているのは、先ほど洗濯室で隠岐が歌っているのを聞いたからだろうか。隠岐が、ネットで流行っている『アネモネブラウン』を知っていたことに、最初は戸惑ってしまった。けどよく考えたら、WEB発の音楽が物珍しいわけでもない。知っていたって不思議じゃない。それなのに、どこか釈然としない。
(結構、上手かったよな)
鼻歌ではあったが、隠岐の歌は上手かった――というよりも、魅力があったと言うべきだろうか。俺は歌に明るくないが、『歌心』というものがあるとして、それが隠岐にはあるような気がする。
そんなことを考えているうちに、マリナちゃんの歌はいつの間にか終わっていた。コメント欄に<良かった!><可愛い><じょうずー>などのコメントが流れている。慌ててコメントを送ろうとして、手が止まる。
(俺――)
隠岐のことを考えていて、ろくに聞いていなかったとか。
とんでもない事態だと、自覚してヒヤリと汗が滲む。冗談だろう。冗談でなければ。
気になった、だけだ。
隠岐の歌が、妙に引っ掛かったのだ。単純な上手いかどうかの話ではなく、何かが引っ掛かる。そう言えば、居酒屋で一緒に飲んだ時も、何かが引っ掛かったはずだ。何か、大切なものを見落としている気がする。何か、とんでもないことを見落としている気がする。
それが何なのか解らなくて。何なのか気になって、どうしても隠岐のことを考えてしまう。
(何だ、これは)
画面の向こうでは、マリナちゃんが笑顔で『ありがとう~』と喜んでいる。
『練習はいっぱいしたんだけど、上手く歌えて良かった~。みんな、聞いてくれてありがとう~』
マリナちゃんが明るく笑う。マリナちゃんのひたむきに打ち込む姿には、胸を打たれる。きっと、何度も曲を聴いて、何度も口ずさんで。そう思うと、余計に心が揺さぶられた。
それなのに、ろくに聴いていなかったなんて。
自分の行動が信じられず、画面の前で酷く落ち込む。ガチ恋しているなんて言っている癖に。俺は好きな人を放置してしまうような男だったのか。なんて奴。
「はぁ……」
溜め息を吐きだし、眼鏡を外して顔を押さえる。ダメなヤツ。
『それでは……。うん、時間かな』
マリナちゃんが言うのと同時に、スマートフォンが通知を鳴らした。なにかと思って、眼鏡を掛けなおしスマートフォンを確認する。
「え」
思わず、口に出していた。
天海マリナが『父の行方を追って幻想の塔に挑む『歪みの塔のアリス』実況パート1』を投稿しました。
その一文に、胸が凍る。
『はい、というわけで! 新しい動画シリーズを投稿しました! パチパチパチパチ~』
脳裏に、隠岐の声がよみがえる。
『なあ榎井、なにかおすすめのゲームとかある?』
心臓が早鐘を打つ。何故、マリナちゃんがこのゲームを。
「……なんで?」
出来過ぎた偶然に思えた。同時に、奇跡的な偶然にも思えた。条件を考えれば、当てはまるゲームは少なくない。マリナちゃんが次に実況をとるなら、自分なら『歪みの塔のアリス』か『スタートラジディ/オーバーナイト』をお勧めしていた。それだけのことだ。同じように考えていた奴は多かったと思うし、多分、SNSで「これをやって欲しい」という書き込みはあったと思う。
それでも。何故なのか、こう思ってしまう。
『こんな偶然、本当にあり得るのだろうか。』
答えも出ないまま、俺はまたうわの空で、動画について語るマリナちゃんのアバターを静かに眺めていた。
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