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狂人
「……あいつは数十人の男女を殺している殺人鬼だ。可愛らしい顔をしているが、まったくもって裏腹で……いわば狂人」
「えっと……どういうところが?」
「そうだな……聞いた話によればな。あいつは、下半身と上半身を斧で斬り分けて殺していることが多い。そして上半身だけベッドに置き、死体と交わる。グチャグチャになってる内臓目掛けて、自分のものを入れて興奮する変態…… あんなやつ初めて見たっていう人も多い。しかも初期の頃は、人間の肉を焼いて食べていた化け物だ。あいつに好意を抱くべきじゃない。見た目と言葉は魅力的だがな。油断してると喰い物にされるぞ。目を合わせるな」
「え?」
訳がわからず急り顔で、もう一度白髪の青年の方を眺める。
その視線はこちらを向いており、ニコリと口だけで微笑んできた。
はにかんだ笑顔を初めて見たので、興味が湧いてしまう。
「あ、あの……よかったら水でも」
ずっと見られて恥ずかしくなり、頬を赤らめて目を逸す。
その代わり、先程ベテラン看守からもらったペットボトルを差し出した。
これで喉が潤えばいいな。
彼はそれを見て、鋭い眼差しで睨みつけていた。
疑心暗鬼になっているのかもしれない。
鋭い目つきが何だか怖い。
可愛い顔はどこへ行った?
「もらっていいの?」
「う、うん。もちろ……」
「話しかけるな、死ぬぞ」
「ひっ!?」
(こいつは殺人鬼だ……殺される……)
先輩の囁き声に思わず恐怖が押し寄せ、顔を青くした。
頭に手を当てて肩を震わせ、身動きが取れなくなる。
「大丈夫?水ありがとう、喉乾いてたんだ」
真顔の彼の手には、先ほど僕が握りしめていたペットボトルが!
恐らく恐怖のあまり落としてしまったのだろう。
彼はなんの気迷いもなく、ペットボトルの蓋を開けて水を飲んでいる。
ゴクゴクと軽い音を立てていることから、喉が乾いていたのかも。
満タンだった水が、みるみるうちに減っていく。
飲んでる様も言葉にできないほど美しくて、心が奪われそうになった。
不思議な人だな……。
「これ、ありがとう」
青年は口角を上げてニコリと微笑んでいたが、目は笑っていない。
こっちを光のない目でじっと見ている。
僕も真似るように見つめ返した。
不思議と、吸い込まれそうだ。
相手は殺人犯なのに何故だろうか?
わからない。わからない。
半分くらい飲み干したペットボトルが返ってくる。
僕がそれに手を近づけた瞬間、人間とは思えない強い力で右手を握りしめてきた。
しかも両手で。
思わず「うっ」という変な声が漏れる。
目をつぶってことを穏便に済ませようとしたら、ビリビリという稲妻のような音が聞こえてきた。
どうやらサングラスをかけた看守の方が、電気棒で囚人に電撃をお見舞いさせたようだ。
彼は痛そうに目を瞑り、握っていたペットボトルを落下させる。
看守の二人が、臆病者の僕にアドバイスをくれた。
「油断するなよ。ここでは命取りだ。ほら、落としたペットボトルだ」
「は、はい……ありがとうございます」
ペットボトルを受け取って、お辞儀した。
そんなに畏まるなと言われたが、日本ではしないと変な目で見られる。
あの頃の癖が唐突に出てしまった。
働く場所は日本じゃないんだ。
「腕を捕まえれたくらいでビビってるようじゃ、囚人に舐められるぞ。もっと堂々としろ。いいな?」
「は、はい……分かってます」
図星だった。
僕は臆病なんだ。
看守なんて向いてないのでは?と思ってしまう。
目線を下げて、落胆する素振りを見せた。
金髪の看守は、肩を叩いて励ますと共にこんなことも話しかけてくる。
「お前、英語は話せるみたいだな。感心するよ」
「昔から英語を勉強するのが好きでしたから」
高校の時からCDを聴きながら自分で話し、話した内容を書くという動作をしていた。
それで身についたのか、自然と話せるようになっていた。
やはり書いて覚えるより、話して覚えるほうが効率は何十倍もいいと思う。
今では普通の日本人より喋れるようになった。
「よし、後少しで着く。寝てるか窓の外でも見てろ」
金髪看守がそう言うと、彼は目を閉じて眠りについた。
僕は引き続き、窓をじっと眺める。
どこまでも続く広大なオレンジ色の海が見えた。
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