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プロローグ
施設の前に、一台のマイクロバスが停車した。横開きのドアが自動で開くと、暗い車内が微かに夏の太陽の光を受けて照らされる。ドア側に座っていた迎えの職員が、車に乗っている子供達に声をかけた。
「皆の新しいお家に着いたからね。シートベルト外すよ」
優し気な若い女性職員は、自身のシートベルトを外すと子供達のシートベルトも順番に外していった。俺は車に駆け寄った。
「お疲れ様です。手伝います」
「あぁ、冴島 さんっ。ありがとうございます」
女性職員は、一番ドア側に座っていた一人の少年を立たせた。彼が一歩を踏み出す前に両脇に手を入れてバスから降ろしてやると、持ち上げた瞬間びくりと固まった少年は、足を地面につけさせそのまま膝から崩れ落ちた。
「大丈夫?」
俺はすぐにしゃがんで彼をもう一度立たせた。今日は快晴。夏の太陽に熱されたアスファルトに素足をつけるのは危険だ。立たされた少年は、強張った身体を微かに震わせた。触れられているのが怖いのだろう。しかし、手を離すとまた座り込んでしまうのは目に見えていた。
「冴島さんっ、僕が引き受けますので」
車から降りてきた運転手がそう言った。俺は頷いて、彼に少年を引き渡す。その瞬間、少年の股の間からぽたぽたと液体が零れ落ちてきた。尿だった。少年はしょろしょろと失禁し、短パンとそこから見える素足を汚してしまった。
「ひっ、ひっ……」
ひきつったような呼吸音が聞こえる。漏らしたことと、その後に訪れるだろう「お仕置き」を恐れているのだろう。
「大丈夫、大丈夫。怒らないからね、中に入って綺麗にしようね」
運転手は、たらたらと額から汗を流しながらも少年をしっかりと支えてゆっくり施設に歩いていった。
PHSで他にも職員を呼び、保護した子供達をゆっくり施設に連れていく。先ほどの子のように失禁してしまう子は多く、またずっと手を噛み続けてしまう子もいた。泣き喚いて暴れる子はおらず、皆しくしくと静かに泣いていた。それがまた、彼らが一体どんな扱いを受けてきたのかを如実に表しているように思えて、胸が張り裂けそうになる。
「この子で最後です」
若い女性職員がそう言って、奥にいた少年をドアの近くに立たせた。
俺は、目を見張った。真夏の太陽に照らされた少年の透き通るように白い肌と、この世の何をも飲み込みそうな漆黒の瞳に目を奪われた。
泣きもせず、震えもせず、ただ無を纏ったその少年。
これが、俺と幸月 の出会いだった。
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