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第1話

最後の晩餐には、サーモンの寿司が食べたい。ガタガタと揺れる漆黒の闇の中、俺はぼんやりそう思った。  膝を抱えて丸まった体勢のせいで、空腹を訴える腹がぐるぐる鳴っているのがよく聞こえる。今は何時だろうか。この暗闇に押し込められてから、一体どれくらい時間が経ったのかわからない。もしかしたら、ちょうど腹が空く頃合いなんだろうか。そうでなければ、こんな状況で脳裏に浮かんだ大好物でのんきに腹を鳴らしている自分には、ほとほと笑うしかない。 「ふ、はは……」  そこまで考えて、ふと口角が不格好に歪んだ。切れた唇の端から、じわりと血の味がする。  ああ、もうすぐ殺されるかもしれないから、だから余計に食べたくなるのか。  狭くて、暗くて、ひどく揺れる。車のトランクに押し込められて拉致される日が、自分の人生の中でやって来るとは、想像したことなんてなかった。  運転席のほうから、楽しげな男たちの声と、時々甘ったるい媚びた女の子の声がかすかに聞こえている。聞き覚えのあるその声は、昨日の夜にヤッた子の声だ。 「ヤクザ彼氏持ちなら言えよ……」  狭い空間の中に、ガサガサに掠れた俺のぼやきが無情に響いた。  ゴミ拾いや募金活動など、サークル概要にはそれらしいことが書かれているボランティアサークル。その実態は、そんなことは年に一度するくらいで、飲み会、合コン、旅行、と好き勝手に活動している、所謂、飲みサー。  それが、現在大学三年生の俺が所属するサークルだ。必要最低限の講義だけ出て、あとは夜な夜な遊んで、飲んで、騒いで。流されるまま、自他ともに認める不真面目大学生活を送ってきた。  あの子と会ったのも、サークルの飲み会だった。よくつるんでいるサークル仲間の友達として紹介された。 『ちょっとだけ、うち、来ない?』  甘ったるい声と、やたらつやつやとした黒髪が印象に残っている。ちょっとメイクが濃かったけれど、抱けないほど顔は悪くない。なら、断る理由なんてない。  飲み会の後に彼女の住むマンションに行って、そのまま一晩を過ごした。翌朝は必修講義があるから、寝起きでふにゃふにゃ何か言っている彼女を置いて、さっさと家を出た。  だから、その後彼女にどんなことがあったのか、俺は全く知らなかった。実は彼女はヤクザの女で、俺が帰った直後家に来たヤクザに俺とヤッたことがバレたなんて、当然知る由もない。その日の夕方に大学から家に帰る途中で、いきなり強面の男たちにボコボコに殴られて、ようやく知った。  つまり、俺は完全な被害者で、悪いのは黙って男を家に連れ込んだ彼女だ。とは思うけれど、まあそんなことを言ったって無駄だ。言葉で分かり合おうとする奴が、出会い頭にいきなり右ストレートの拳を叩き込んでくるわけがない。  突然の暴力に路上で動けなくなって、ヤクザとその仲間たちの車のトランクに押し込められ、そうして、今に至る。 「う、ッ!」  ガクン、と大きく身体が揺れて、今までで一番大きな声が出た。身体が勝手にぎゅっと丸まって、ジンジンと全身に痛みが広がる。顔も、腹も、足も、腕も、背中も、もう全身が痛い。 「……っ、く……」  しばらくじっと痛みに耐えていると、やけに静かなことに気が付いた。これまでずっと低く唸るように聞こえていたエンジン音が、消えている。  車が止まったんだ。 「……っ」  ガチャッ、とドアが開く音がした。ドタドタと何人かが車の外へ降りていく気配。  すー、と小さく吐息が漏れた。吐き出される空気と共に、ゆっくりと感情が冷え固まっていく。  あ、これで俺の人生、終わりかも。 「……あーあ」  特にこれといった走馬灯もよぎらない。なんか、何もない人生だな。まるで他人事のように思って、薄笑いが浮かんだ。  ガチャ、と頭上でトランクの蓋が開いた。

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