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第2話
夢を見ていた。
西日が差しこんで、赤く染まった小学校の教室。規則正しく並べられた机と椅子を見下ろすように、壁一面に下手くそな習字がべたべたと貼られた、教室の後ろ側。
俺の横には四人の子供がいた。そして向かい側には、壁際に追い詰められて一人の男の子が立っていた。
「もう学校来んなよ」
「へんなやつ」
「きもちわる」
「おまえ、『ふつう』じゃない」
壁際の男の子へ向かって口々に放たれる、刺の生えた言葉。俯いた男の子の手には、持ち手の壊れたランドセルが握られている。
「なあ、ちはやもそう思うだろ?」
横に並ぶ子供の一人が、一番端に立っている俺に話しかける。
言葉が出てこない。あの男の子は、昔、俺がよく遊んだ友達だ。物静かで、外で皆と一緒に遊んだりはしない。けれどとても優しくて、俺はあの子といるのが好きだった。
こんなことをあの子が言われるなんておかしい。間違っている。それを、俺は知っている。
「おい、ちはや」
どうしたらいい。
どうすればいい。
うまく息ができなくて、じわじわと嫌な汗が滲んでいく。
目の前に立つ男の子は、ただじっと、涙に濡れた目で祈るように俺を見ている。
「おまえも『ふつう』じゃねーの?」
ひゅっ、と喉が鳴った。
振り向くと、四対の目が、俺を冷たく見ている。
答え次第で、俺も『あちら側』になる。
怖かった。どうしようもなく怖かった。だから俺は、吐き捨てるように呟いたんだ。
「あいつ、『ふつう』じゃねーよ」
「おい」
低い、男の声。
すぐそばで聞こえたその音に、沈んでいた意識がぷかりと上昇した。
今まで見ていたものが曖昧に溶けて、何だったのかよくわからなくなる。かつてないほど重く感じる瞼を、唸りながらゆっくりとこじ開けた。
徐々に開いていく瞳の中に、かすんだ深緑色が広がって、少しずつその輪郭を結んでいく。明け方の薄明るい日の光を浴びて柔らかく輝く、見渡す限りの緑色。
ぼんやりした頭でもわかる。見知った場所じゃない。
ここは、山……?
「おい」
斜め上から、さっきと同じ声が降ってくる。そこでやっと、自分がどこか知らない土地で、地面に俯せで倒れていることを理解した。
どうりで突っ伏した左頬に感じる感覚が固いと思った。あとめちゃくちゃ寒い。指先がジンジンと痛むほど全身が冷え切っている。まだ九月の頭なのに山の中はやっぱり冷え込むんだな、とどうでもいい気づきを得た。
「救急車、呼ぶか」
やけに淡々とした問いかけだった。人が倒れていたら、普通もっと取り乱したりしないか。いや、倒れている側が言うのもおかしいけど。
「ぅ、あー……」
痛みに呻きながら、ごろりと身体を仰向けて、声の主のほうへ顔を向ける。明け方の澄み切った淡いブルーの空を背景にぱちりと目が合ったのは、その清々しさに合わない仏頂面の男だった。
とても救急車を呼ぶか尋ねている人間とは思えない無表情。心配しているようには全く見えない。特に、こちらを見下ろす黒い目は、ひどく冷たく見えた。冷え冷えとして揺れもしない。
じっと見つめていると、まるで深い海へ吸い込まれるような感覚になる。頭の中に渦巻いていた煩雑な思考が、すうっと抜けていくような……。
「サーモンの寿司、食べたい」
ぽろり、と言葉が勝手にこぼれていた。
は?と思った。何言ってんだ、俺。頭を殴られすぎて、おかしくなったのか。
ああ、でも、そうかもしれない。多分今、正気じゃないのか。自分で言っておいて、わけのわからなさで思わず笑いそうになる。
「わかった」
「……は…………?」
今度は、本当に声になって出た。
斜め上な切り返しをしてきた男は、相変わらず無表情のまま。ただじっと、あの深海のような目で俺を見下ろしている。とても、今、冗談を言ったようには見えなかった。
なんだ、こいつ。
「……マジで?」
確かめるように呟いた言葉に、男がワンテンポ遅れてこっくりと頷く。
「……あー……」
何を考えているのか、全然わからない。もしかしたら、何か変な奴に絡んでしまったのかもしれない。
この男にずっと見下ろされているのもなんだか不安になってきて、とりあえず身体を起こそうと地面に手をついた。途端。
「ッ!?ぐ、あ……ッ!」
体重がかかった右手首から、他の傷とは比べ物にならない痛みがのぼってきた。ブワッ、と脂汗が一瞬で全身ににじむ。すぐさままた地面へとダイブする羽目になった。
「ぅ、あー……」
折れている、ほどではないけれど、多分捻挫くらいはしている。しかも、よりによって利き手の右。最悪だ。
俯せて唸っていると、突然背後から、ガシッ、と両脇腹を掴まれた。条件反射で竦んだ身体を、後ろから抱え込まれる。
「ぅ、あ、いっってぇーーー……!!」
ゆっくりと、けれど強い力で身体が引っ張り上げられていく。抵抗するどころか、暴行の数々を思い出してギシギシと痛みだした身体に、ひたすら呻くことしかできない。
やっと立ち上がった頃には、無理矢理人間に抱きかかえられた猫のような体勢で、俺は背後の男にほぼ全体重を預けてぐったりしていた。
「はぁ……は……ぁー……」
全身にびっしょりと不快な汗をかきながら、暴力的に感じるほど眩しい朝日に目を細める。
先程も見えた辺り一面の新緑の山、だだっ広い道路。都会生まれ都会育ちの俺からすれば、ド田舎の風景だ。
そして、その無駄に広い道路脇にぽつんとあるのが、数秒前まで俺が倒れていた場所の目の前にある、一軒の家だった。
家の脇に置かれた木製の古い立て看板には、掠れた文字で『百々寿司』と書かれている。
「ひゃくひゃく、ずし?」
「……どどずし、だ」
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