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おまけSS ファーストピアスは君の手で

 高校生になってから初めての夏休み。明が自室で課題に勤しんでいると、不意に千佳の声が外から聞こえた。 「明! おーい、明ってば!」  家が隣同士で、窓を開けていれば会話くらいはできる――今ではすっかり慣れた、幼い頃からの変わらぬやり取り。  けれど、昔とは違って連絡手段も増えたのだから、いい加減どうにかならないものだろうか。プライバシーもへったくれもないし、何より恥ずかしくてかなわない。 「昼間とはいえ、あんま大声出すなよ……るせえな」  明が文句を言いながら窓を開けると、向かいの部屋にいる千佳と目が合う。彼は悪びれる様子もなく笑った。 「わりー、スマホの充電切れちゃってさ! ちょっとこっち来てくんね?」 「は?」 「手ぶらでいーから、お願いっ!」  千佳が両手を合わせて頼み込んでくる。  惚れた欲目もあって、「駄目?」と言わんばかりに上目遣いで見つめられては、断れるはずもなかった。返事の代わりにため息をついて、明は窓から離れる。  言われるがままに千佳の家へ向かうと、すぐに千佳本人が出迎えてくれて、そのまま部屋に通されることになった。 「そんで、何」 「ええっとですね……実はピアスをしたいと思ってまして」  要件は何かと切り出せば、妙にかしこまった口調で返される。なんだか嫌な予感がした。 「まさか」 「っ、お願いしやす! ホールを開けてください!」  案の定というべきか、彼の口から飛び出したのは予想どおりの答えだった。  つい先日、黒かったはずの髪が鮮やかな茶色に染まったと思ったらこれだ。幸いにも学校は自由な校風だし、この夏を満喫しているようで何よりだが、それにしても突飛すぎる。 「どうして俺が」 「だって、自分でやんの怖ぇーし」 「………………」  呆れて、ものも言えない。  ところが、なおも千佳は期待に満ちた眼差しでこちらを見上げてくる。こうなると何を言っても無駄だと経験則で知っていたため、仕方なく折れることにした。 「わかったよ。開けてやりゃいいんだろ」 「おおっ、サンキュ! もう消毒とマーキングはしてあっからさ、これでバチッと頼むっ」  言って、千佳はピアッサーを二つほど差し出してくる。 「随分と簡単に言うけどな、こっちはこんなの見たことも――」 「明なら大丈夫だって。ぜってー俺より上手いっての」 「その自信はどっから来んだよ……」  ため息交じりにピアッサーを受け取って、同封されている取り扱い説明書に目を通していく。ピアッシングは医療行為のため、医師以外が第三者に処置することは法令により云々――といった文章が記載されていたが、ここで口にするのは野暮というものだろう。 「どうよ、やれそう?」 「ああ。マジで開けちまっていいんだな?」 「お、おうよっ。やってくれ」  緊張した面持ちで、千佳がベッドの上に座る。  明もそれにならって隣に腰を据えた。体がどうしても近くなってしまい、少しだけ妙な気分になったけれど、なるべく気にしないようにして準備を進めるしかない。  用意されたピアッサーは手軽さが売りの製品のようで、パッケージから本体を取り出せば、あとはもう押し込んでピアッシングをするだけだ。  既に耳朶にはマーキングが施されており、さまざまな角度から見てポイントを定めていく。ピアッサーが耳と垂直になるよう細心の注意を払いながら、そっと針を近づけた。 「……やば。服、掴んでていーっすか」千佳が恐る恐るといった様子で言う。 「や、注射が怖いガキかよ」  いつもの調子で茶化したものの、千佳は強張った表情のまま、ぎゅうっとこちらの服を掴んでくる。  やはり恐怖心が拭えないのだろう。相手には悪いが、どうにも可愛く思えてしまって、明は小さく笑った。 「いいよ。それで気がまぎれるなら好きにしろよ」 「あざっす……あ、あと、カウントする感じで」 「はいはい。3、2――」  と、カウントダウンが終わる前に、さっさとピアッサーを押し込んでしまう。それと同時に、パチンッという乾いた音と、千佳の「うおおっ!?」という叫び声が聞こえた。 「な、なんでそんなことすんの!?」 「変に力入らなかったろ? ほら、綺麗に貫通してる」  残ったスタッドカプセルを取り外したら、銀色に光るファーストピアスが現れた。周囲を脱脂綿で消毒しつつ、キャッチが装着されていることを確認して位置を調整してやる。  その一方で、千佳は興味津々とばかりに鏡を手に取った。 「うわ、すっげ! マジでピアス付いてんじゃん!」  あんなに怖がっていたのが嘘のようだ。千佳のあまりにも嬉しそうな顔を見て、明は思わず苦笑を浮かべた。 「ちゃんとケアしろよ、それ。ホールが完成するまで時間かかんだろ?」 「わーってんよ、せっかく明に開けてもらったんだから大事にするっての!」  言って、千佳は無邪気な笑顔を見せる。  彼の言葉が本当かどうかはわからない。ただ、その笑顔に似つかわしくないことを、ふと考えてしまった――自分の手で傷つけた証が一生残っていればいいのに。いつか自分が傍にいられなくなっても、その傷だけはずっと刻まれたままでいてほしいと。 (なに考えてんだか……)  馬鹿らしい考えを振り払うように、軽く頭を振る。  千佳はそれを不思議そうに見てきたけれど、なんでもないと誤魔化しながら、明は新品のピアッサーに手を伸ばした。  しかし、一度芽生えてしまったからには意識せずにはいられない――仄暗い感情を抱えながら、何も知らぬ身にまた一つ傷痕を残す明がいたのだった。

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