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おまけSS 親友の幸せを願えない理由

 高校二年生の二学期が始まってすぐ。その日の部活動を終え、明が帰宅していた途中のことだった。 「あれっ、明じゃん?」  背後から名を呼ばれて振り返れば、そこには見慣れた人物――私服姿の千佳が立っていた。彼はこちらに駆け寄ってくると、隣に並んで歩き始める。 「今日も部活おっつかれ! また大会あんだっけ?」千佳が言った。 「まあな。そっちは……買い物か?」  千佳の手元を見ながら尋ねる。その手にはスーパーマーケットのビニール袋が提げられていて、中には弁当の類が入っていた。 「そ、母ちゃんに頼まれてさ。帰りが遅くなるからーって……へへ」 「?」  随分と千佳の機嫌がよさそうだ。何かあったのだろうかと首を傾げていたら、彼は満面の笑みで口を開くのだった。 「それはそれとしてさ、俺――ついに彼女できちゃったんだよね」 「………………」  一瞬、何を言われたのか理解できなかった。  脳裏にその言葉の意味が浸透していくにつれ、胸の奥に得体の知れない痛みが広がっていく。 「そうか、よかったな」  ようやく絞り出した声は、微かに震えていた。  しかし、幸いにも千佳はそのことに気がつかなかったようで、やや照れくさそうな様子で返してくる。 「おうっ、明には一番に言っておこうと思ってさ。前に話した子なんだけど、覚えてる?」 「……お前、好きな相手ころころ変わっから覚えてねえよ」  動揺を悟られたくなくて、必死に取り繕いながら皮肉っぽく答える。と、同時に心の中で自嘲した。  いつだって千佳のことを見ていたし、本当は彼の言動の一つ一つを記憶している。高校生になったら彼女を作りたいだの、誰それが可愛いだの、とよく聞かされたものだ。  最初こそドキリとしたけれど、決まって千佳はフられていたし、どこか安心していたものがあったのだと思う。  それが、本当に誰かと付き合うことになるだなんて。いつかはそうなるとわかっていたはずなのに、いざ現実を突きつけられると平静ではいられなかった。 (……彼女、か)  別に、千佳が誰かを好きになって関係を持つことは構わない。それは当然のことで、邪魔するつもりもなければ、できれば祝福してやりたいとも思っている――そう、できればの話ではあるが。  やはり個人的な情を考えると、素直に応援してやることはできないと感じてしまう。彼の一番近くにいるのは自分だという自信があるだけに、その特別なポジションを奪われたようで複雑な気持ちになるのだ。ましてや、打ち明けられぬ恋心を抱えているのだから。 「そんで告ったとき、すぐにオーケーしてくれて……」  千佳はこちらの内心など知る由もなく、嬉々として語り続けている。せめて親友らしく振舞わなければ――本音を押し殺して、明もいつものように軽口を返した。 (目先のことでいっぱいで、俺のことなんて何も考えてないんだろうな)  たとえば、一緒に過ごす時間が減るだとか、彼女の方を優先すべきだとか。千佳の性格を考えれば、気づいてさえもいない気がする。 (まあ、気づいたところで……ってのはあっけど)  そのようなことを考えているうちに、自宅の前まで辿り着く。  立ち止まると、千佳がイタズラっぽく笑って身を寄せてきた。何かと思えば、 「童貞卒業したら、こっそりお前だけに教えてやっからな?」  と、耳元でとんでもないことを囁いてきたのだった。悪い冗談にもほどがある。 「言わんでいーわ、バカ」  そう言い捨てて、逃げるように家の中へと入っていく。後ろ手にドアを閉め、自室に駆け込むなり大きく息をついた。 「……バカ千佳」  千佳の言葉が頭から離れない。それどころか、彼が異性を抱いている光景を思い浮かべてしまい、どうしようもない嫌悪感に襲われた。  こんなもの想像したくないのに、千佳は気持ちよさそうに恍惚とした表情をしていて、心臓がドクンドクンと激しく脈打ち始める。なんて最悪なのだろう。 「クソッ」  思わず悪態をつきながら、ベッドの上に倒れ込む。  いっそ自分の手で汚してしまえたらいいのに――考えだしたらもう止めようがなくて、そっと明は下腹部に手を伸ばすのだった。

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