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第2話 芸歴は長いけれど
遥の所属するAカンパニーは、舞台俳優がメインで所属する芸能事務所だ。遥もベビーモデル、キッズモデルを経てAカンパニーに所属し、看板俳優の一人となっている。
遥はタクシーで稽古場兼事務所に着くと、早速谷本が駆け寄ってきた。車内と違って外は寒く、遥はコートの襟を立てて身を縮こまらせる。
「遅いじゃない何やってたの。そんなことで役者が務まると思ってるの? それに、なにその品のない金髪」
「……」
挨拶もなしにそう言ってくる谷本にうんざりしながら、舞台も終わったんだからいいじゃないか、と遥は足を進める。
谷本とは仕事関係になって長い。十代の頃は反発したりもしたけれど、彼女は何も変わらないことを悟ってからは、諦めている。その行き場のない怒りを周りに当たり散らしていた時期もあった。けれど結局、自分の役者人生の首を絞めるだけだと気付いてからは、大人しく言うことを聞くようにしている。
「ちょっと遥、聞いてるの?」
「聞いてる」
どうせ周りに言っても変わらない。そう思って遥は事務室に続くドアを開けた。
「おはよーございます」
挨拶をしながら入っていくと、すぐそばに社長の姿があった。相変わらず惚れ惚れするほどの美丈夫だな、と思ったけれど、隣にもう一人男性がいることに気付いてムッとする。
「おはよう遥、時間通りに来たね」
社長──木村 雅樹 はニコリと微笑んで遥の背中を軽く押し、社長室へと促そうとした。
「いいえ社長、遥は時間にルーズなんです。もっと厳しくしてください」
「まあまあ谷本さん。小井出 さんは今お仕事忙しいんでしょう? 先程の現場も、時間通りにこなしたって伺いましたよ」
遥のフォローをしたのは雅樹の恋人兼社員の、綾原 黒兎 だ。こちらは人を恨んだこともなさそうな大人しい優男だが、遥は黒兎を睨む。
「当然でしょ? 僕を誰だと思ってんの?」
フォローなんていらない、と背中に当てられた雅樹の手を振り払った。要件は何? と遥は雅樹を睨みつけるが、この男は遥の視線などものともしないのだ。──出逢った時から、ずっと。
(ムカつく)
自分が注目されれば、谷本の機嫌はよかった。だから一生懸命社長である雅樹の気を引いていたのに、雅樹は一向にこちらを見なかったのだ。しかもその上、ぽっと出の黒兎に奪われた。
別段、雅樹に恋心を抱いていた訳じゃない。自分が売れるためなら何だってする遥は、枕営業だってする。自分はひとではなく、『小井出遥』という商品だと散々言われてきた意味が分かった時に、自分の童顔で人懐こいキャラクターを売り込もうとした。ただそれだけだ……本当に。
雅樹は笑みを深くする。
「やはり遥は優秀だね。私のマネージメントでもっと名を上げたくないかい?」
「それには及びません。遥の仕事は、私が取捨選択、管理していますので」
谷本が口を挟んだ。それに雅樹は遥はどう思う? と笑顔で聞いてくる。
谷本と遥の関係性を知っているくせに、わざわざこういうことを聞いてくるのもムカつく、と遥は口を尖らせた。
「別に。僕は僕が売れるためなら、与えられた仕事をこなすだけだよ。誰がマネージメントしたって変わらない。わざわざそんなこと聞くな」
「遥っ」
いくら看板俳優とはいえ、社長に楯突くと谷本がうるさくなる。遥はそれ以上何も言わない、とでも言うようにそっぽを向いた。女のヒステリーは聞くに耐えない。
「なるほど。やる気があるのはいいことだ」
雅樹は何もかも見透かしたように笑っている。黒兎も雅樹から話を聞いているのだろう、苦笑しているだけだ。遥は彼らにイラつきながらも、腕を組んで自分をここに呼んだ目的を聞く。
「で? わざわざ忙しい僕を呼びつけて何の用?」
「遥」
「ああ。これから顔合わせがあるだろう? 私も行こうと思ってね」
遥を窘めた谷本を無視し、雅樹は話を進めてくれた。雅樹なら顔が利くし、遥を上手く売り込んでくれるだろう。そういった話なら谷本は文句は言わない。
案の定、隣で谷本の機嫌が良くなるのを感じた。
「あら、では私はお邪魔なようなので失礼しますね」
そう言ってさっさとこの場を去る谷本に、黒兎は苦笑し、雅樹は微笑む。
「……余計なお世話」
谷本が完全にいなくなった頃、遥はボソリと呟く。谷本と遥が上手くいっていないのを知るひとは、ここにいる雅樹と黒兎と、そのほかにはAカンパニーをトップで支える数人しかいない。
もちろん、これ以上触れ回るつもりはないし、むしろ黙っていて欲しい。まがりなりにも売れている自分が、内部事情のゴタゴタで悩んでいるなんて、付け込まれる隙にしかならないからだ。
「そうかい? それはすまなかったね。……綾原くん」
「はい」
全然反省していない顔で雅樹は黒兎を呼び、遥は社長室へ連れて行かれた。
「出発まで時間があるから、綾原くんの施術を受けて少し休むといい」
ソファーに座らされた遥は、背もたれの後ろから早速頭皮をマッサージする黒兎の手を払う。
「はあ? アンタの施術なんて必要ない」
「でも小井出さん、少しクマができてますよ。大事な顔合わせですから、顔色は良くしていかないと」
仕事の為だと言ったら、遥が言うことを聞くと思っているのだろう。黒兎はそう言って再び頭を背もたれに預けるよう促した。大人しく言うことを聞いた遥の頭皮を、程よい力でマッサージされ、短く息を吐く。
黒兎は整膚師 という聞き馴染みのない術師だ。東洋医学の流れを組んだ施術らしいが、遥にはその良さが全く分からない。
「……だいぶ疲れが溜まってますね。ちゃんと寝れてます?」
「……大体こういう仕事をするひとって、そう言って取り入ろうとするんだよね。僕は騙されないから」
黒兎の言葉には案じているニュアンス以外は感じ取れない。けれど、遥はプライドが邪魔をしてそんな憎まれ口しか叩けないのだ。しかし黒兎は気にしていないようで、黙って施術を続ける。
雅樹はいつの間にか部屋を出て行った。静かな部屋の中、二人きり。しばらく黙っていたものの、遥はつい気を抜いてしまい、黒兎の手の温かさと、丁度いい力加減でフッと意識が落ちかけた。
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