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第3話 跳ねっ返りですから

 ハッとして遥は目を開けた。人前で寝るなんて、何されるか分からないのに、と長い息を吐く。 「あれ? 寝ていいですよ?」 「嫌だね。かわいい僕が目の前で寝たら、ゲイのアンタに何されるか分かんないから」 「……もしかして、そういう経験あります?」 「あるわけないじゃん何言ってんの」  どうやら黒兎は遥の言葉を深読みしてしまったようだ。心の中で、鈍そうな顔してる癖に何でそういう勘は働くんだよ、と悪態をついた。  子役からの長い芸能生活。嫌なことも山ほどあった。けれど売れるためだと奮い立たせ、それも芸の肥やしにしてきたのに。  最近雅樹を筆頭にして、遥が積み上げてきたものを崩そうとしてきている。特にここのところその力は大きくなっていた。なぜかは分かっている。原因は、やはり谷本との不仲だ。  その証拠に、黒兎は遥にこんな質問をしてくる。 「谷本さんとは、最近どうですか?」 「質問の意図が分からない。仕事仲間にどうもこうもないでしょ」  イラつきを隠さないでそう言うと、黒兎は怯んだのか、すぐに「そうですか」とそれ以降黙った。  遥が十代の頃、谷本に反発し、なりふり構わず何でもやっていたのが雅樹にバレたのをキッカケに、そこから遥と谷本、雅樹と谷本の関係が悪化してしまった。  谷本は遥のマネージャーを降りたくないと、外部からの仕事を多量に受け、遥が忙しいのは私が仕事を取ってきているからだとアピールする。けれど、彼女にマネージメント能力があるかと言えば疑問だ。  一方雅樹はそんな谷本を辞めさせたいと思っている。二人の板挟みになった遥は、それから二人に逆らうことは口だけにし、素直に仕事をこなしている。  仕事さえしていれば二人は静かだ。お互い表面上は仲良くしている。だから、商品としての『小井出遥』を保っていればいい。  ──ひとりの青年としての、小井出遥は不要なのだ。 「小井出さん」  ふと、呼ばれて黒兎を見る。彼は前に移動していて、手のひらを持ち指を施術していた。 「悩んでることはありませんか?」 「は? 誰に質問してんの? 僕は小井出遥だよ? そんなものあるわけがない」  踏み込んでこようとする黒兎に苛立ちを覚えながら、遥は彼を睨む。けれどやはり、黒兎は歯牙にもかけない様子で、余計に腹が立った。 「……そうですか」  黒兎は穏やかにそう言うと、スっと脇に手を入れる。 「──い……っ!!」  途端に激痛が走り、遥は悶える。しかし黒兎は遥の手を離さず、遠慮なく遥の脇をグリグリと押すのだ。 「老廃物が溜まってるから、流しますね」 「い、い、痛い! 痛いって!」  黒兎は遥の腕を動かしながら、脇の辺りをさするように手を動かしていく。そんなに力を込めていないので、痛いのは老廃物のせいですよ、と優しく言ってのける黒兎に、遥は初めてこのひとが、今まで遥に合わせていてくれたことに気付く。  しばらく脇下の痛みに悶絶したあと、解放された時にはすごくスッキリしていた。腕は確からしいと呆然としていると、黒兎に「時間ですよ」と促される。  タイミングよく雅樹も戻って来て、遥は彼と共に顔合わせの現場へと向かった。 ◇◇ 「初めまして、Aカンパニー所属の、小井出遥と申します」  稽古場になるスタジオで、遥は人好きする笑顔で自己紹介をした。これから約一ヶ月、一つの舞台を創る面々が遥に注目している。  役者は男性が多い。今回の舞台は雅樹が持ってきた仕事で、人気アニメを舞台化したミュージカルだ。客層的にも女性が多く、年齢も若いため遥としてもやりやすい。しかも主役だ、座長としても期待されているだろう、と気合いが入る。  ただ、広く名を知られている俳優や、スタッフがいないのは不満だ。これでは、動員力が弱い。  全員の挨拶が終わり、そのまま台本の読み合わせに入る。事前に配られていた台本を皆が出したところで、一人の男が入ってきた。  その男はスラッとした顔立ちに銀色フレームの眼鏡をし、体格もバランスが良かった。切れ長の目は鋭く見えて、睨んでいるか、不機嫌かのどちらだろうと思うほど。真っ直ぐな鼻梁に薄い唇はさらにそのひとを冷たい印象にさせた。ネイビーのスーツに身を包み、いかにも真面目そうな雰囲気だ。見た目は雅樹と同じくらいの歳かな、と遥は思う。  しかし、遅れて来たのに謝罪もなく、しかもその表情からは少しも悪びれていないところを見ると、結構な権力者じゃないかと遥は読んだ。 「おはようございます。この舞台のエグゼクティブプロデューサー、永井(ながい)和博(かずひろ)です」  やはりその男は、表情から少しも反省してないことが分かり、遥は声を上げる。こういうひとには、あえて反発する方が有効だと。 「大事な顔合わせに遅れて来て、謝罪もなしってアンタふざけてんの?」 「こ、小井出さんっ?」  隣にいた舞台監督が慌てた。 「す、すみません永井さん。小井出さん、謝りなさい……」 「なんで? 僕何か悪いことした? 金だけ出して、その行く末なんて見もしない出資者(エグゼクティブプロデューサー)なんて、仕事してるとは思えないけど」  お気楽な仕事だよね、と遥は鼻で笑う。舞台監督が、それでもこの方がいなかったら、舞台はできないんだよ、と説明しているけれど、そんなことは遥だって知っている。  周りがピリッと緊張した。うん、いいなぁこの緊張感、と遥は笑う。 「……君が小井出さんか?」  よく通る声がした。遥の傲岸不遜な態度にも眉ひとつ動かさず、じっとこちらを見つめている。彼が表情が出ないのはデフォルトなのか。何とかしてその表情を動かしたい、そう思う。 「そうですよ。まぁ、舞台のぶの字も知らないひとからすれば、僕のことを知らないのも当たり前ですけどね」 「遥」  なおも突っかかろうとした遥を穏やかな声で止めたのは、雅樹だ。 「お世話になっております、永井さん。このように、遥はこの舞台に並々ならぬ情熱を注いでいるようなので、多少偉そうなのはご寛恕(かんじょ)ください」 「偉そうってなんだよ本当のことだろ」 「遥は、私も一目置いている役者です」  雅樹がニッコリと笑って話している。彼の嘘くさい笑顔はいつものことだけれど、自分を悪く言わないのであれば、黙っているしかない。  すると、永井は初めて笑みらしい表情をした。 「小井出さんは、随分と自分に自信がおありのようだ。では、興行収入の目標を上げよう。達成できなかったら、たいした役者じゃないと思っていいですね」  スタジオ内が大きくザワついた。出資者に喧嘩を売るなんて馬鹿げている。そんな声が聞こえて遥はますます笑みを深くする。こういう状況をひっくり返すのが、小井出遥は大好きだからだ。 「こ、こ、小井出さん、悪いことは言わない、あまり大きなことは言わない方が……」  真っ青な顔になった舞台監督が、今からでも遅くないから発言を撤回したらどうだと促してくる。しかし雅樹は何も言わずに、ニコニコしているだけだ。その表情に、雅樹はこの舞台の成功を確信している、そう思えた。  それに、雅樹は永井と面識があるようだった。ならば雅樹がここへ一緒に来ると言った意味、そして自分が主役になった意味を考える。  導き出した答えは、雅樹はこうなることを計算していたと言うことだ。手のひらの上で転がされたようでムカつくけれど、こういうのは──嫌いじゃない。 「何言ってんの? みんな失敗させようって思ってここに来てる訳じゃないよね?」  そう言って、遥は真っ直ぐ永井を見据える。 「主役の僕が宣伝でも何でもやります。だから、もっと仕事ができる環境をください」  この遥の発言で、永井はその場でどこかに電話を掛け、出資を倍にしたと宣言した。

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