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第21話 けじめ
それから遥は体調の回復を待って骨折した鎖骨の手術をし、無事退院となる。
腕は動かせるようになったものの、まだまだ激しい動きはできない。舞台はやはり降板となり、仕事をセーブしながら生活することになった。
Aカンパニーでの仕事は、なんと雅樹が遥のスケジュールを今年いっぱいまで押さえていて、しかも永井とも交渉済みだというから、本当に嫌な奴だとムカつく。
しかし、目の前にいるその美丈夫が、社長室で床に膝をついて頭を下げているのを見て、責めるに責められなくなってしまった。
「こんなことで済む話じゃないことは分かっている。けれど精一杯謝罪するから、どうかそれを誠意として受け取って欲しい」
なんでも雅樹は十数年、遥が虐待を受けていることを疑っていたという。やはりなというところだけれど、彼が上手くやれなかったのは谷本の立ち回りが上手かったからだろう。証拠もなければ本人からのSOSもなかったので、ずっとやきもきしていたのかもしれない。
なので、遥が一言助けてと周りに言えていれば、すぐに対応できたことだった。雅樹には「きみは我慢しすぎるから、今後はどんな小さなことでも、嫌だと思ったら教えて欲しい」としつこいほど言われてしまう。
「それができたらこんなにややこしくならなかったな。何にせよ、ヨウは今後私が見ていくので」
そう言って、さり気なく俺のもの宣言をしたのは永井だ。彼が遥の本名を口にした時、雅樹が嬉しそうに、でも寂しそうに笑ったのが印象的だった。
「とはいえ、マネージメント経験がない永井さんだ。なのでうちの優秀な秘書をあげよう。彼はずっと、大手アイドル事務所でマネージャーをしていたから、仕事はできるはずだよ」
そう言って視界の端で頭を下げたのは秘書の菅野 だ。遥は顔を顰めた。雅樹は一体、どこまで計算していたのか。
「……やっぱり僕、あんたが嫌いだ」
興味がないなら、徹底して嫌わせてくれ。そう思って遥は口を尖らせると、雅樹は「すまない」と苦笑した。
「謝んないでよ、こっちが虚しくなる」
精一杯『小井出遥』としてそう言うと、永井に頭を撫でられた。人目もはばからず、恋人としてのこういう接触に慣れていない遥は、その手を払う。
永井が笑った。
「ヨウとしてなら、もっと甘えてくるのに」
「ちょっと永井さん? 何言ってんの?」
遥は永井を睨む。すると雅樹が控えめに声を上げて笑った。
「素を見られるのも問題だね遥。きみのキャラクターイメージがどんどん崩れていくよ」
「そんなヘマしないし。見せてもここにいるメンバーの前だけだし!」
そう言って眉を釣り上げてみせると、今度こそ雅樹は大声で笑った。珍しい彼の破顔に、遥はますますムスッとするしかない。
「ここを退所する頃には、あんたに『寂しい、行かないで』って言われるようにしてやる」
遥は悔し紛れにそう言う。けれど雅樹は、穏やかな笑顔を見せながら頷いた。
「寂しいよ。なんせ遥はAカンパニーの稼ぎ頭のひとりだからね。本音は退所して欲しくない」
「……っ」
雅樹は立ち上がって背中を見せた。その広い背中を見て、一時期憧れた頃を思い出す。
長年、一緒に仕事をしてきた彼が、こんな風に言うのは初めてだった。だからこそ、遥にもちゃんと情を向けていたことを今更ながら知り、目頭が熱くなる。
時には上司で社長、時には兄のような存在の雅樹に向けた情を、遥は何と言うか分からない。憧れだけでは済まされない、もっと特別な感情。けれどだからこそ、彼に何とかして欲しかったし、もっと自分を見て欲しかった。
「本当にすまなかった。……色々と」
そう言う雅樹に、やっぱり僕はあんたが嫌いだ、と涙目で呟く。永井に頭を撫でられて、思わず彼の胸に飛び込んだ。
「さあ、次の仕事もあるだろう? 永井さん、菅野さん、遥をよろしくお願いします」
そう言った雅樹は振り返らない。彼なりのケジメなのだと気付いて、遥は頭を下げた。
「残りの時間、精一杯務めますのでよろしくお願いします」
その言葉に永井も菅野も頭を下げる。そして三人で社長室を出て、菅野と仕事へ向かった。
◇◇
「おかえり、ヨウ」
季節が変わり暖かくなった頃、日付が変わる時間に、遥は永井の自宅に着いた。
彼の自宅はセキュリティも万全なマンションだ。各部屋の専用のエレベーターで部屋に行くため、住人とも滅多に顔を合わせることがない。
「た、だいま……」
遥は病院を退院して以降、永井の家にお世話になっていた。いや、正しくは引っ越したのだが、どうも慣れなくて挨拶もぎこちなくなる。
ちなみに遥が以前住んでいた部屋は、谷本対策で解約された。彼女はどうしたのかと尋ねてみたけれど答えは返ってこず、遥はその後の谷本の状況は知らないままだ。
ここに引っ越すのに雅樹が業者の手配や準備もしてくれたので、その費用はいくらだったのかと聞いてみると、「ウチとの手切れ金だと思って受け取ってくれ」と言われて困った。永井に相談したら「受け取っておきなさい」と言われて渋々受け取ったけれど。
そして今は永井におんぶにだっこで、どうして遥の周りの大人は、金と権力にものを言わせて強引に話を進めるのだろう、と呆れる。
「永井さん、起きてなくてよかったのに……」
そしてこの家に来てからというものの、遥は永井に甘やかされっぱなしだ。居候するからには家事をすると申し出たけれど、家事は外注するからいいと断られ、ならせめてその代金や家賃を払うと言えば、「気にしなくていい」とこちらも断られた。谷本には遥の収入を生活費として渡していたのに、足りないとせびられたりしていたので、どうも落ち着かない。
「ヨウの顔を見たかったからな」
「……」
遅い時間なのに起きていた永井に、ストレートにそう言われ戸惑う。『小井出遥』なら、「本当に僕のこと好きだよね」なんて軽口を叩いて流せるのに、素の自分だとどう反応していいのか、分からない。
永井が抱きしめてきた。温かい体温にやっぱり酷く安心し、条件反射のように意識が半分溶ける。
「風呂に入って来なさい。一緒に寝よう」
永井は相変わらず表情はあまり動かない。けれどその声音は優しく、遥の身体に甘く染み込んでいくのだ。
遥は頷いて永井から離れ、カバンを片付ける。遥の部屋も用意してもらったが、ほぼ寝るためだけに帰る上に、寝る時は永井と一緒なのでほとんど使われていない。
「……」
遥はそのままトイレに行く。中に入って近くに永井の気配がないことを確認すると、口の中に指を突っ込んだ。
谷本とのことが落ち着けばこの癖も治るかと思っていたのに、『小井出遥』から離れるとこの衝動が出てくる。自分は実の母親と繋がった、汚い奴だ。身体の中の汚いものを、全部吐き出してしまいたい、と。
治らない指の吐きダコを見ればすぐに分かる。永井も気付いているから、終始一緒にいたがるのだろう。
こんな自分を、永井はなぜ好きだと言ってくるのか。……分からない。けれど遥はこれでも永井の存在にとても助けられている。だからこそ、自分も何かで返したいのに。
自分が演技と人並み外れた容姿以外、なんの取り柄もないことに気付き落ち込む。だから改めて、どうして永井は遥のことが好きなのか、と思う。
ハッとして、考え込んでいたことに気付き、慌てて水を流しトイレから出る。あまり長居をすると心配させてしまう、と遥は浴室に向かった。
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