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第22話 本当は弱いから
「ヨウ、どうした?」
永井に声を掛けられて、遥はハッとする。せっかくのデートなのに、と慌てて笑顔を見せた。
ここはショッピングモール。今日の夕方から明日一日、オフになったので永井に誘われて出てきたのだ。
辺りはすっかり春一色。パステルカラーのポスターや桜の造花などが飾られ、春用の華やかな洋服が目に入り遥は視線を逸らす。華やかで綺麗なものは、自分との差を見せつけられるようで、苦手だ。
遥は一応伊達眼鏡にマスクをし、ハンチング帽をかぶって変装をしていた。時折振り向く人がいるけれど、声を掛けてくるようなひとはいない。
時刻はこれから夕食時。いつも深夜に帰る遥とはベッドで文字通り寝るだけなので、久々にゆっくりできると永井は上機嫌だ。
「メンズファッションはこの上だ。見たいものがあれば教えてくれ」
「えっと……特に……」
「……そうか」
素のまま答えてしまってから、デートなのにその返答はないだろう、と焦る。けれど永井は気にした風もなく、とある店へと入っていった。
「ヨウはスタイルもいいから、何を着ても似合うと思うが……」
そこはメンズ衣料店だった。見たいものはないと、今言ったばかりなのにどうして、と永井を見上げる。すると、彼はやはり感情の読めない顔でカーディガンを身体に当ててきた。
「まだ朝晩は冷えるからな。普段使わなくても、持っていた方がいい」
どの色がいい? と聞かれて、買うのは決定なのか、と思い、適当に深緑色のを指す。
「緑が好きなのか?」
「え、いや……そういう訳じゃ……」
「ヨウの好きな色は? 私はヨウの好きな物を知りたい」
真面目な顔でそう言われ、遥は戸惑った。そして『小井出遥』という仮面を脱いだら、自分が何もない、空っぽな人間だと気付いてしまったのだ。
そしてわざわざ永井がヨウと呼ぶのも、『小井出遥』としての好みを聞いているわけじゃないと悟ると、こんなことにも答えられない自分が情けなくなる。
「ヨウ」
早く決めなさい。そう言われた気がして慌てて顔を上げて永井を見ると、彼は色違いのものを二つ掲げている。
「どっちがいい?」
「え……?」
見せられたのはライトグリーンとライトベージュのものだ。さっきの深緑のは、と思ったら元の位置に戻されていて、もう一度永井を見る。
「ヨウは明るい色が似合うと思う」
そう言われて、遥はホッとした。谷本なら、これがいいと言っても何だかんだ地味な色を選ばされる。それに、考えていても急かされないことに嬉しくなった。
「じゃあ、ライトグリーンで」
「分かった」
そう言うと、永井はそれを手に持って歩いていく。てっきりレジに向かうのかなと思っていたら、彼はTシャツを眺め始めた。
「え、永井さん、カーディガンだけで十分だよ?」
「これに合わせた服も必要だろう?」
そう言って、永井は持っていたカーディガンとTシャツを合わせる。確かに、今の遥が持っている服とは合わないため、カーディガンだけを持っていても着る機会がない。永井の言いたいことは分かるが、と思ったところで遥はグッと喉を詰めた。
「ごめんなさい、またの機会でいい? 僕、お手洗いに行ってくる」
遥は永井の返事も待たずに、トイレの表示を見つけ早足で向かう。
流行りを追いかけてちゃ負けよ。あなたが流行をつくるの。
こんなのはあなたに似合わない。せっかく綺麗な顔と身体をしてるのに……ねぇ?
いないはずの谷本の声が聞こえたような気がして、慌ててトイレの個室に入った。なるべく音を立てないようにして、生理的に浮かんだ涙を袖で拭う。
どうして、離れ離れになったはずの谷本に、まだ苦しめられなきゃいけないのだろう?
「やっぱダメだ……『小井出遥』じゃないと……」
素の自分は空っぽで弱い。だから谷本がいなくてもこんなに不安定になるんだ。そう思って水を流す。
「ヨウ、大丈夫か?」
追いかけて来たらしい永井が、外から声をかけてきた。もう素のヨウは封印だ、そう思って返事をする。
「あ、うん! 我慢できなくて漏れそうだったんです、危なかったー」
そう言いながら個室を出ると、やはり表情を変えない永井が出入口にいた。遥は手を洗って口をすすぐと、永井はさすがに眉間に皺を寄せる。
「口をすすぐようなことをしたのか?」
「え? ああ、昼に食べたお好み焼きの青のりが付いてたみたいで。美味しかったですよ? 今度一緒に行きましょうよ」
スラスラと出てくるのは半分嘘だ。けれど永井は諦めたらしい、大丈夫なら行こう、と促してくる。
はーい、と彼の後をついていくと、彼の手に紙袋があることに気付いた。
「あれ? もしかして買ってくれたんですか? 嬉しいっ」
彼の横に並ぶと同時に、その腕に絡みつく。すると永井はこちらを一瞥したものの、すぐに前を向いた。
「これからどうするんです? ご飯?」
「……その予定だったが帰る」
「え? どうしてです? 夜はまだこれからですよ? せっかくのデートなのに」
遥は頬を膨らませてみせるけれど、永井はこちらを見もしない。家に帰るまであれこれ話しかけて振り向かせようとしたけれど、全部スルーされた。
「ちょっと永井さん? いくら僕でもこれだけ無視されたら怒るよ?」
とうとう家の中に入ってしまい、永井は無言で靴を脱ぐ。遥も靴を脱ごうとしたら手首を捕まれ引っ張られたので、慌てて靴を脱ぎ捨てた。
どうして永井は黙ったままなのだろう、とそんなことを思いながら永井の寝室に入ると、ドアを閉めるなり抱きしめられた。
「……嫌なことがあれば、どんなことでも話せと約束しただろう」
永井のそんな言葉が上から降ってきた。でも遥は思い当たる節がなく、顔を上げようと首に力を入れたものの、永井の手に頭を押さえられて動けない。
永井とのデートで嫌なことなんてなかった。なのにどうして彼はそんなことを言うのか。
「嫌なことなんてなかったですよ?」
「なら、どうして吐いていた?」
「あれは、漏れそうだったって言ったじゃないですか」
「私とハグしたあと、高確率でトイレに行っているじゃないか。気付いていないとでも思ったか?」
「……」
やはり永井は知っていて何も言わずにいただけか、と遥は思う。でも『小井出遥』なら、軽く嘘をついて躱せる。なぜなら『小井出遥』の存在そのものが、嘘でできたものだから。
遥は呆れたようにため息をつく。
「だって永井さん、恋人として僕と同居してるのに、一向に手を出してくれないじゃないですか」
「……何?」
永井の声色が変わった。身動ぎすると少し離してくれたので、彼の胸の中で顔を上げる。
「中途半端に手を出されると、こっちも辛いっていうか……僕も男なんで」
微笑んで言うと、彼は分かりやすく怒ったようだった。
そう、童貞も処女もとうの昔に捨てている。好きな人に立てる操など、遥にはないのだ。
そう思った瞬間、唇に鋭い痛みが走った。
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