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後編
保護されてから1週間が経過していた。その間、クライドが手ずから食事の介助や清拭をしてくれ、恐縮しきりだ。お陰でベッドから出られるまでに回復したが、まだ長時間歩くまでには至らない。高熱が続いたのと、足の筋力が落ちているせいだ。
何度か身元について問われたが、死亡したはずのローレンスだと名乗ることで母に危害がいくのではと思い、魔導衣の仕立屋ラリーだと名乗った。クライドの魔導衣を作ったのも自分であると明かした…;というより、暴露させられたと言っていい。
誘導尋問に引っかかって以降、ベッドにいてもできる仕事を引き受け、騎士が身につける徽章などに付与をつけている。
まだミクソン家がローレンスを取り返そうと騎士棟に来ているという話を小耳に挟み、返されてしまうのではと怯える日々だ。
「ラリー、散髪と風呂に行くぞ」
クライドがローレンスをひょいっと抱き上げた。
「え? あのっ、クライド様!? 自分で歩きます!」
「室内を歩いただけで動けなく癖に。大人しく抱かれてろ」
この数日、クライドに触れられると心臓の鼓動が速くなってしまうので困っている。
「まだ熱があるか……?」
クライドの額がローレンスの額に当てられ、顔が一気に熱くなる。
「ふむ、大丈夫そうだな」
――僕は全然大丈夫じゃないです!
心の中で叫ぶ。ある部屋に連れて行かれると、そこには散髪をする騎士がいた。一斉に好奇の目が集まる。今日はずっとこんな目に遭うのだろうか。長らく人と接していないせいで人の視線に恐怖を感じ、無意識にクライドの服を握りしめた。
「散髪するだけだ。心配いらん。おい、おまえらこっちを見んな。人相の悪い連中に見られてビビってるだろうが」
「クライド様が一番人相悪い……っと、はいはい」
茶化す声もあったが視線が逸らされ、ほっとして体から力が抜けた。椅子に座らされたが、座位を保持できず横に倒れそうだった。
「ったく……」
上着を脱いだクライドは、それでローレンスを包み、両袖を使い椅子に固定した。今は通常勤務なので一般的な制服だ。魔導衣でこんなことをしたら怒られそうなので良かったと思った。
「しばらくこれで我慢しろ」
「は、はい。助かります」
ぐらついていた体が、力を抜いてもぐらつかず安定している。知らない人間が見たら拘束に見えるだろうが、これはクライドの優しさだ。
「おい、散髪屋。こいつの髪を切ってくれ。これじゃモップの化け物だ」
クライドは、ローレンスの長い髪を掬い上げ顔を顰めた。
「おやおや。枝毛もひどいしパサついていますね。いつから伸ばしてるんですか?」
「ええと、最後に切ったのは、確か肩に付くくらいの時です」
「はぁ?」
クライドも床屋の男も驚いている。正直に話したのは間違いだったかもしれない。
「ええと、なんとなく切る時間がなくて、ですね」
「……長いほうが好きなら、こいつに伝えろ」
「いいえ! 短くします! クライド様くらいバッサリ切ってほしいです!」
短髪にすれば一般市民として暮らせる。咄嗟にそう考えていた。
「クライド将軍、一言いいですか? 手入れをすれば美しい金髪になります。肩くらいまでにしたほうがいいでしょう」
「ではそうしてくれ」
二人の圧に負け、肩までのラインで切り揃えられた。それから、騎士棟内にあるという大浴場に向かった。抱かれているローレンスに騎士の視線が集まる。不安に感じ、クライドの胸に顔を埋めて隠れた。
大浴場の前に行くと、エリックがいた。
「おや、ラリーですか? 随分スッキリしましたね。似合ってますよ」
「ありがとうございます」
「中に着替えを置いときました。では」
「エリック、おまえも一緒に入って倒れんように背中を支えてくれ」
「え〜、嫌です〜。戦闘中ならともかく、平時に傅くなんてごめんですね。クライド様にお任せしま〜す」
「チッ! このお貴族様め」
エリックの言葉は実に貴族らしい物言いだ。クライドの言葉自体は罵りのようだが、これはこの二人の遊びなのだ。クライドは平民出身で、貴族階級への対応はエリックがサポートしているという。
脱衣所に入ると、椅子など置いていないため床に寝かされ、服を脱がされる。
「脱ぐくらい自分でできます!」
「椅子にまともに座れんやつが無理に決まってるだろ……。まぁ、やれるもんならやってみろ」
見下ろすクライドに反発し、自分でズボンを脱ごうとしたが、あっちにふらふら、こっちにふらふらし、しまいには転びかけクライドに救出された。
「分かったか。さて、俺にいうことはないか?」
「……脱ぐのを手伝ってください。お願いします」
「それでいい」
テキパキと手際よく脱がされていたが、手が止まった。
「まだアザが消えないな」
言われて視線の先に目をやると、全身に赤や紫、黄色など見苦しいアザの痕があり、自分でもぞっとするほど汚らしい。
「見苦しいものをお見せしてすみません」
「やったのはあいつらだな?」
「多分、僕が悪いんです」
上手く機嫌を取れなかった結果だ。
「卑下するのもほどほどにしろ。苛つく」
舌打ちをしたクライドが脱いでいく様子を見ていたのだが……まるで彫刻のような胸筋と割れた腹筋に目が釘付けになってしまう。
母や家庭教師に、相手を凝視してはいけないと貴族の嗜みを叩き込まれた。そんな教えが吹き飛ぶほど、見事な肉体はいくつもの傷が刻まれている。
「その傷……魔導衣が役に立たなかったのでしょうか」
どの魔導衣も精魂込めて仕立てた。自分が未熟なせいでけがをさせてしまったのかと落ち込んだ。
「これか? 入団して間もない頃にできたものだ。おまえの魔導衣を着るようになってからけがはしてない」
腕には三本の爪痕、腹にも刺されたらしい跡がある。大きな傷以外にも、あちこちに戦いの痕跡がある。
「そうですか。騎士が全員着られるようになるといいですね……」
この強く美しい人を自分の魔導衣が守っている事実が誇らしく思えた。プライドも誇りも叩きのめされたと思ったのに、クライドによって甦りつつあった。
また抱き上げられ湯船に向かう。すると……先ほどまで大勢の男たちがいたせいか、男臭い匂いに満ちていてローレンスは思わず顔を顰めた。これまで人と接していないせいで、さまざまな匂いに過敏になっているようだ。
「男臭いのは我慢しろ。……おまえはなんで臭わないんだ」
「あ、いえ、大丈夫、です。僕は水魔法で洗浄していたから……でしょうか」
めざとく表情を読まれ焦ってしまう。洗浄する魔法はクリーンといい、服を濡らす必要がなく、体臭が臭うのを防いでいた。
クライドはローレンスを片手で抱き、タイルに湯をかけ温めてから横たえてくれた。厳しい表情を変えないが、驚くほど繊細な気遣いをしてくれて驚いた。
――見た目とは違うんだな。勝手に怖い人と決めつけて悪かったかも。
桶でゆっくりと体に湯をかけられると、あまりの心地よさにうっとりと目を閉じる。石鹸で体を洗われると、心地よさより羞恥が勝った。
「そういえばおまえの歳を聞くのを忘れた。何歳だ」
「年齢……?」
自分は何歳になったのだろう。少なくとも、年単位で監禁されていると思う。
「正確な年齢は分りません。でも、16歳は超えています」
「はぁ?」
ローレンスを見る目つきはうんざりしているように感じた。ずっと彼をそんな気分にさせて申し訳ないと思うが、途中から日数を数えるのを諦めてしまったので本当に分からないのだ。
「ごめんなさいっ! でも、さっき言ったように、髪の長さがあの部屋にいた年数と思ってください……」
「怒ってねぇよ。ということは子供じゃないのか。そんな目に合ってもあいつを訴えないのは、弱みでも握られてんのか?」
クライドは答えを求めていないのか、無言になったローレンスを追求せずに頭を洗っていく。大きな手で頭を持ち上げられ、後頭部を擦られると気持ちがいい。
「泡立たないな……臭わないだけで相当汚れてるぞ」
「ご、ご迷惑をおかけします」
そもそも、クリーンは体を拭けない時に一時的に使用する魔法だ。もっと高度な学習をしていればよかったのかもしれないが、監禁後は自分なりのやり方でやっていた。何度か洗い直すとようやく泡立ち、汚れが全部取れたようだ。
「クライド様、あの、くすぐったいです」
頭と顔を洗ってくれたあと、首筋、肩と手が器用に動く。入浴補助をされるのは久しぶりだったし、使用人ではないのも落ち着かない。しかも素手なのだ。
「じっとしてろ。暴れると骨が折れちまうかもしれん」
「ひっ!」
怯えて強張るローレンスを見たクライドは肩をすくめる。
「脅したんじゃねぇぞ。こっちだって小枝みたいな体に触れんのは怖いんだ」
「小枝ですか……」
こんなに強そうな人も怖がるのだと親近感を感じた。とはいえ、怖いのに代わりないのだが。
「おまえはミクソンの不正を知る証人として俺が責任を持って保護する。だから、言いたくなったらあのクソ野郎に反撃しろ」
どうやら、父は自分の件以外も問題を抱えているらしい。
「他にも何か……いえ、いいです」
尋ねたかったがやめた。証言をしない自分が情報を求めるのはずるいだろう。
「ひゃあっ」
脇の下に触れられ、変な声が出てしまった。閉じようとしても無駄な抵抗で、腕、胸、脇腹と手は移動していく。
くすぐったくてもぞもぞしていると、手は下半身に到達した。
「あの、あの。そこは自分で」
抵抗を試み足元に視線を移動させると、膝立ちをしているクライドの雄が揺れているのが目に入ってしまった。自分のそれと全く違う獰猛さを醸し出している。
「ふ……おまえのはまだ子供だな」
視線に気づいたクライドが笑う。金色の茂みに囲まれたローレンスの性器はピンク色をしている。そんな自分のものがクライドに見られたかと思うと、無性に恥ずかしくなって両手で隠した。
「ほら、石鹸だ。俺は足をやる」
石鹸を渡され、そっとそこに触れる。監禁され衰弱したせいか最近勃起しないが、家庭教師に結婚したらここを使うのだと習った。
以前、朝目覚めた時に夢精していて、こっそり処理したこともある。大人になった証だと言われたが、なぜこんなにも色や形が違うのだろう。
「あ、やっ! クライド様、くすぐったい、です」
足指も隅々まで洗われる。足の裏は特にくすぐったく、身を捩って逃げようとしたがびくともしない。
「こら、逃げんな」
今度は足首からふくらはぎ……上へ上へとクライドの手は進む。手が内腿に触れて、性懲りも無く逃れようとした。
「もうすぐ終わるからいい子にしてろ」
まるで子供に対する物言いに、少しだけムッとする。
「僕は子供じゃありません!」
「自分の年齢もはっきりしないのに大人のつもりか?」
「ううっ……」
返す言葉もない。クライドは真っ赤になったローレンスを気に求めず、抱き起こして背中を洗ってくれる。そうすると、自然に逞しい胸に体を預けることになり、肌が密着したところがやけに熱く感じた。
「ふ……これは、確かに子供じゃないな」
不意に恥ずかしい場所を握られた。そこは数年ぶりに硬くなっていて、自分でも驚き動揺してしまった。
「クライド様、そんなところ触らないでっ」
「出さないと辛いぞ。自分でできるのか?」
「でき、ます……だから、離して。見ないでください……」
クライドが離してくれてほっとした。横たえられ、クライドが離れていく。
「向こうを向いてるからな」
「はい……」
そろそろと屹立に触れる。栄養不良などで弱りきったせいか、監禁後は勃起しなくなっていた。体力を取り戻した証拠だろうが、クライドの前でこうなるのだけはやめて欲しかった。
自慰をすると気持ちいい気もするが、子種が出るに至らない。
そもそも、このような行為もはしたないと教えられ、下着を濡らして目覚めるたび酷い罪悪感に苛まれていたのを思い出した。
早く終わらせようと焦り、強く擦ると痛みが走った。
――もう嫌だ……クライド様に嫌われちゃう……早くなんとかしないと。
情けなくなり、涙をこぼしながら肉茎を上下に擦る。
「……おい、なんでシコりながら泣いてんだ」
気づくと、クライドが戻ってきて呆れ顔で見下ろしていた。
「出なくて……お願いです、見ないで」
「全く……」
背後に回り込んだクライドは、ローレンスの体を起こし背後から抱きしめた。
「手伝ってやるから泣くな」
「えっ、あ、だめ、ん」
ふしくれだった手がローレンスを握り、優しく上下に動いた。絶妙な力加減に、力ませに擦っていた時は感じなかった何かが込み上げてきた。
「あ、まっ、て。変、です、や、んぁ」
「変じゃない。それは気持ちいいってことだ」
「気持ち、いい……?」
これがそうなんだろうか。そう言われれば、いつの間にかクライドの手の動きに合わせ、自分の腰が揺れている。
「気持ち、いい……」
言葉にすると止まらなかった。
「クライド様、気持ちいい、です」
湯とは違う滑りが茎を濡らすのを感じた。粘ついた水音と荒い吐息が広い浴場に響き、羞恥心が煽られる。
「いい子だ。そのまま出していいぞ」
「でも、汚いっ! 悪いこと、してます」
「大丈夫だ。大丈夫……悪いことじゃない。安心しろ」
宥めるように髪に口付けられた。性教育では、性行為は子作りの義務であり快楽を求めてはいけないと教えられた。クライドに言われると、なぜか罪悪感が薄らぐ。
「あ、あ、クライド様、僕、もう……」
腹に熱い雫が飛んだ。吐精しぼんやりしているローレンスを、クライドは湯をかけて清めてくれた。
「俺も体を洗うから、ちょっと待ってろ」
恥じらい動揺するローレンスと違い、クライドにとってはこんな行為は意味がないのだろう。何事もなかったような顔で、待つ間体が冷えないようにとタオルをかけてくれた。
ローレンスは体を洗うクライドを盗み見た。太い首から肩につながる筋肉は盛り上がり、逆三角形に引き絞られた上半身は腹筋が割れていて、ウエストはぎゅっと締まっている。また、隆々と盛り上がった太ももは見事だった。まるで、本に出てくる伝説の英雄みたいだと思った。
クライドは素早く体を洗い終え、乱暴な仕草で湯をかぶる。もう一度ローレンスに湯をかけて温めてからローレンスを抱き上げてくれた。
「あとはしっかり飯を食って肉をつけろ。おまえ、相当食わねえとやばいらしいぞ」
「はい……」
この人に救われたのは運が良かったのかもしれない。そう思い始めていた。同時に、嘘をつかねばならない状況に胸がつぶれる思いだった。
「被せるぞ」
体を拭いてくれたクライドが上から寝巻き被せてくれる。
「クライド様は、何故こんなに手慣れておられるのですか?」
「――昔、弟がいたからな」
「そうですか。ご兄弟のお世話をなさっていたからお上手なんですね。弟さんは今どちらに?」
クライドは答えず、ローレンスの襟元を整え抱き上げた。
「クライド様……?」
聞いてはいけないことなのだとやっと気づいた。
「ごめんなさ……」
「謝るなと言った」
ピシャリと謝罪を拒まれる。一線を踏み越えてはいけない。自分は何も真実を話していない卑怯者なのだから。
「クライド様、僕を正式に騎士団で雇ってください。徽章など小物に付与をつければ、騎士様を守れると思うんです。それから、看護術も習いたいです」
「看護術も?」
自分を助けてくれた医師に感謝し尊敬していること、騎士団で雇って欲しいことも伝える。
「一人で生きていく強さを身につけたいんです」
「お前を見つけた時は儚く消えそうだったが、強くなったな。では、俺が手を貸してやろう」
ローレンスは希望を見つけ、花が咲いたような笑顔になった。
「お前は愛人の子じゃないだろう? 目の秘密は不問にしてやる。その代わり、俺の傍にいると約束しろ」
「え……? もちろん、お仕えします! ですから、僕をあの家に帰さないで下さい!」
これまで触れられなかったミクソン家の色について、やはり見逃していなかった。しかも、死亡したはずのローレンスだということも気づいているらしい。
「仕える必要はない。俺はお前を手元に置いておきたいと言ってるんだ。そう……子供じゃないのも分かってる。たった今風呂でした行為も、またしてやりたい」
はしたなく乱れた痴態を思い出し真っ赤になった。
「嫌なら触れないが」
「嫌じゃ、ないです……」
騎士団で働けば近くに居られると考えた。なんとかしてクライドの傍にいたいという気持ちの正体はわかっていない。
「余計なことは言わなくてもかまわん。ラリーとして隣にいれば、守ってやる」
「はい……」
ローレンスはクライドを騙し続ける罪悪感を感じていた。だが、何もいう必要ないと言ってくれた。世界中の人間に非難されても、クライドが許してくれたら、それだけでいいと思えた。
「ならば、俺の手を取れ」
クライドがローレンスに手を伸ばしてきた。
――クライド様の隣にいられたら、それだけでいい。
自分の魔力を全て注ぎ込んででもクライドを守る。母への思いとは違う、強い思いに駆られていた。
大きな手のひらに自分の手を重ねる。クライドにとって自分がどんな存在かなんて気にならない。新しい人生をくれた人の手を両手で包み込み、強く握った。
二人の体温が溶け、同じ熱を持ち始める。クライドに口付けられ背中に縋り付くと、まるで産まれ直した気がした。この瞬間から、未来を夢見てもいいのだ。
――さようなら、ローレンス・ミクソン。
ラリーは過去に別れを告げ微笑んだ。
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