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第26話それから
それから数年後、2人はその教会を出て貧しい漁村に移り住んだ。
海の魔獣を撃ち、村を掃除して家を直し、貧しい人達にパンを配り、神に感謝しながら暮らした。
穏やかな海と風は、人々に豊穣をもたらす。
やがてその2人が居なくなっても、美しい街と人々の営みは脈々と続いた。
そんな事を何回か繰り返したある日。
その日、ミハエルは貧しい人達にパンを配っていた。
「あなたにも神のご加護を、さあ、これもどうぞ。」
「ミハエル様ありがとう!」
「食べ物は全て神様のお恵みだよ、私ではなく神様にありがとうと言ってね。」
すると、老人に声を掛けられた。
「あんた達、人に尽くすのも良いが、もう少しいい家に住んで、いい服を着て、いい物を食べたいと思わないのかね。」
見た事のない老人だった。
「そうですね。そんな風に思う事もあります。
でも、寒くても彼の暖かさを感じられるから、酷い隙間風が入らなければ問題ありません。
それに、最低限の物は持っているし、いい服でも粗末な服でも、彼にとって私の価値は変わらない。
硬いパンも、頂いた魚や野菜を挟んで、ワインを飲みながら2人で食べればとても美味しいし、魚の骨で丁寧にスープを作ると、彼が微笑んでくれるのが嬉しいんです。」
そうかそうかと、老人はニッコリ笑った。
と、
「パンちょうだい!」
子供の声にミハエルは老人から目を離した。
「はい、どうぞ。神様にありがとうと言ってね。」
そのほんの数秒で、老人の姿は消えていた。
「……。」
ひとしきりパンを配り終わって、ランゲに今日の不思議な老人の話をしようと家に戻ると、なんと、ランゲが頭を抱えて踞り悶えていた。
「ランゲ!!い、一体…。」
「熱い…、、ぐっ…、ミハエル。」
シュウシュウと音を立てるようにして悪魔の姿に変容していくのを、何も出来ずに見ているしかなかった。
その日も、次の日も。
そして、三日後の夜半…。
ゴトリ…。
「あっ、ランゲ、つ、角が…、角が、ああ、もう一つも。、何故、こんな酷い事に、ランゲ、一体何が…。」
ランゲはそんな事もお構いなしで熱い熱いとのたうち回る。
明け方…。
「翼が、白く…、ああ、ランゲ、ランゲ…、姿が…。」
「ミ、ミハエル…、悪魔に売った魂が、戻った、ようだ…。く…、熱い…。」
「なら、悪魔との契約が、解除されて…。良かった、良かった、ランゲ…。」
「なに?…良くない。お前に悪魔の血が無くなれば…、お前は、お前は…。ああ、ぐっ、いや、もう一度悪魔と契約すればいい。」
ああ、そうか…。……私は…。
「ランゲ、私はそれでも幸せだ。貴方とまた出会えるのを楽しみにしていればいいんでしょう?ね?泣かないで、私のランゲ。愛してる…。」
「く、、ぐうっ…、、ハアッ、ハアッ。ミハエル…、ミハエル…。」
三日三晩熱に苦しんだが、ランゲは『嵐華』の体に戻った。
神々しい程の魔力も力強い6本の腕も、あの頃のまま。
だが、その顔は悲痛だ。
「ミハエル…、ミハエル…。俺は悪魔のままでいいんだ。お前がいれば何もいらない。何故だ、何故今更戻った。ああ、ミハエル…。」
ランゲを三日三晩看病したミハエルが、熱を出したのだ。
悪魔の力でミハエルを生きながらえさせた。
悪魔の力で海に潜り、
悪魔の力で長大なモノを咥えても裂けもせず苦しくも無かった。
人などすぐに死んでしまうというのに、このままでは…。
指先で色の悪い頬に触れる。
今すぐ悪魔と契約を…。
だが、
「ランゲ…、寒い、温めて…。私をずっと抱いていて…、離さないで…。」
「ミハエル、ああ、分かった…。必ず助ける。心配するな。ずっとお前を抱いている。さあ、少し水を飲め。」
ランゲはミハエルを抱き締めて、気が付けば水を飲ませ、布団という布団、服という服を掛けて暖めた。
それでもミハエルは寒い、寒いと言う。
早く悪魔と契約をしなければ…。
それから3日、ミハエルの熱は下がらなかった。
「ミハエル…、ミハエル。ああ、何故…。」
「ランゲ、貴方の力が戻ったから、私も戻ったのだろうか。だから、あのタイミングで私も熱を出したのかもしれない。…ランゲ、どう?」
「ミハエル…、なんと…『晤永海』の姿に…、、ああ、変わらない。変わらずに、美しい。いや、それ程、変わらない気もする。」
ミハエルは、『晤永海』として覚醒したらしい。
何故かなど分からないが、まあ、結果的には最良であろう。
が、問題もある。
「アチラはまだ私を追っているだろうか。いや、一度死んだ身だから、それはないだろうけど、見つかったら…。でも貴方の前だけなら…。」
「闇が欲しいな。あれなら、誰にも見られる事も無い。」
「そうだね、ふふ…、悪魔の姿の貴方も、見慣れて来た所だったのに…。」
「俺は角が気に入っていた。兜が無くても強そうだろう?」
「でも、悪魔の契約が切れるなんて…。貴方と契約をする程の悪魔だもの、余程高位の悪魔だと思うけど…。」
神に格があるように、悪魔にも格がある。
契約は同格だからこそ、『契約』になる。
下の格であれば、それこそ『使役』と『報酬』なのだ。
そんな悪魔が…、むざむざ命を落とすだろうか。
「ランゲ、いままでのように闇を出してみて。」
「む?」
ランゲが胸の奥から吐き出すようにして出したのは、『闇』だ。
「闇が、出せる。契約は…まだ解除されてない?」
「やはり、貴方の魂が戻っただけなのかもしれない。貴方は神であり、悪魔でもあるようだ。」
はあとランゲが大きな息を吐いた。
「そうか、良かった。…だが、一体何故急に…。」
あの時…、、
ミハエルはひとつだけ思い出した事がある。
だが、心当たりというにはあまりに些細な事だ。
「…、ひとつ引っかかっている事が。貴方が熱を出した日、老人に声を掛けられました。」
ミハエルは、その時の会話をよく覚えていた。
「とても嬉しそうに笑って、子供にパンを配ろうと目を離した瞬間、姿が見えなくなって…。」
ランゲが目を見開いた。
「もしや、小柄で白い服で白い髪、白く長い髭、眉も白い。手に杖を持っていたか。」
「え?貴方もお会いに?」
「いや、……。」
ランゲが跪き、祈りの形に手を組んだ。
「…神よ…。」
それから、2人の日課に神に感謝をする時間が追加された。
「ミハエル、お前に力仕事は向かない、下がってろ。」
「私だって非力ではない。貴方が規格外なだけだ。」
「確かに、ランゲさんがひとり入るだけでこんなに楽だとはね。」
「ミハエルさんは細身だけど、結構力があるよね。」
「あの炊き出しの鍋はかなり重いだろ。よくアレを持てるといつも感心するよ。」
「ああ、重いと思ったらやっぱり大漁だ。」
「こりゃうちのかあちゃん喜ぶなあ。」
「ほら、2人とも好きなの持って行きな!お、コレはオススメだ!煮ても焼いても最高だぜ?あ、これも持ってけ!」
男は大きな魚や何かしらを、ランゲに向かってポイポイと放って来た。
子供達が我先にと海の中に入って魚を捕まえ、荷台に乗せてゆく。
ランゲが漁師から放られた小ぶりな魚をまだ小さな子供に分け与えるのを優しげな眼差しで見守りながら、ミハエルは祈りの言葉をつぶやいた。
end
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