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第2話

 目が覚めると、亜杜は寝台の上に寝かされていた。  見慣れない天井を少しの時間ぼんやりと眺め、人の気配がして視線を移すとそこには翠蓮が椅子に座っているのが見えた。 「起きたか」 「翠兄ぃ、ここは?」 「高楼の中だよ」  翠蓮の言葉に、一瞬亜杜の頭が追いつかない。 「え?」 「だから、高楼の中だって」  答える翠蓮の声が疲れているのが気になった。 「高楼って、龍族様がいるところだよね」 「そうだな」  なんでそんな初歩的なことを聞くんだ? といった様子の翠蓮に亜杜は疑問を呈する。 「なんで?」 「なんでって言われても」 「ごめん翠兄ぃ。俺もう起きるよ」  翠蓮の反応に不安を覚えた亜杜が寝台から降りようとするのを翠蓮が制止する。 「もう少し寝てろって」 「でも」 「良いから」 「翠兄ぃ?」  亜杜を見ているようで、どこか視線を逸らしている翠蓮の様子に違和感を覚えた亜杜が声をかける。 「翠兄ぃ? どうしたの?」 「なんでもない」  従兄のどこかよそよそしい態度に首を傾げていると、反対側から誰かの声が聞こえてきた。 「亜杜様。お体のお加減はいかがでしょうか?」 「あ、えっと……」  いきなり現れた、濃い青色の作務衣を着た三十代くらいの男に亜杜の対応が一瞬遅れる。 「失礼しました。私は高楼衆の一人。名を琥珀と申します」  頭を下げる琥珀を見て、慌てて亜杜も頭を下げる。 「すみません。こちらこそ失礼しました。亜杜と言います。えっと、寝台、ありがとうございました」  そう言って降りようとするの亜杜を、琥珀と名乗った男が止める。 「あぁ、亜杜様。そのままでお話し、聞いていただけますか?」 「話ですか?」  話があると聞いた亜杜が寝台から降りようとするのをやめた。 「えぇ」 「高楼衆の方が、俺に話ってなんでしょうか」  この高楼衆という職業は、平民がなれる事ができる最高の職だと言われている。  この世界は龍から生まれたとされているため、龍のために生き、龍のために死ねたら大願が成就したも同然とされるからだ。  よって龍族に仕える職、高楼衆になることは名誉あることとされる。そしてそれは「元」がついていても変わらない。元であっても高楼衆であった、というだけで重宝されるのだ。  本気で頭を傾げる亜杜に、琥珀と名乗った男が答える。 「やはり、気を失われる前のことは覚えておられませんか?」 「気を失う前って……」  気を失う前に何があったのか、亜杜は必死に思い出す。 「確か……」  思い出そうとして、とんでもない事を起こした衝撃が蘇ってくる。確か龍族様の一人が目の前に現れたような気がする。そしてその龍族は、翠蓮の影に隠れていた自分の手を引っ張り、そして……  そこまで思い出した亜杜の顔から血の気が引いた。 「す、すみません! 俺……あの……龍族様を前にして、とんでもないことを……」  龍族を前して気を失うなんて失態もいいところだ。頭を抱えて焦る亜杜を落ち着かせるような声音で琥珀が答える。 「そのことでしたら大丈夫ですよ。かの方も、少し反省しておられました。許してくださると思います」 「す、すみません」  この高楼衆の一人、琥珀の話が本当かどうかは亜杜には判別つかなかったが、亜杜は素直に受け取る事にした。龍の真意は別にして、仕える高楼衆の言葉を疑っても仕方がない。 「あの、琥珀さん。寝台、ありがとうございました。もう大丈夫ですので、俺たち宿に戻ります」  何時間気絶していたのかは分からないが、空模様は既に夕方を示している。いい加減戻らなければ先に支払った宿代が無駄になってしまう。しかしそれに答えたのは琥珀と名乗った男ではなく、反対側に座っていた翠蓮だった。 「それが、戻れないんだ」 「翠兄ぃ?」  何を言われてるのか分からなくて、亜杜が翠蓮の名前を呼ぶ。 「戻れないんだよ、亜杜」 「どういうこと?」  何かやらかしたのだろうか? いや、龍を前にして気絶したのだ。盛大にやらかしたのは間違いない。それについて、気を失っている間に何かあったのだろうかと思い、あったのだろうな、と亜杜は察する。 「落ち着いて聞いてほしいんだ。その……亜杜にはさ、その……龍族の血が流れてるんだ」 「は?」  思い詰めたように告げる翠蓮が、一瞬何を言っているのか亜杜は分からなかった。 「何言ってるの?」 「だからさ。亜杜には龍の血が流れてるって言ったんだ」 「冗談やめろよ翠兄ぃ。そんなことあるわけないだろ?」  確かに、思春期にはそんな大それたことを言い合ったり考えていた時もあったが、大人になった頃にはそんな事は考えなくなった。  それはあの事件があったことや年齢を重ねたこと、また地に足つけて職人を目指すようになったからだ。  造紙の草や木を育てて冬に紙を造り春に売る。それ以外は畑仕事をしたり翠蓮の作る料理を運んだり接客したりして、叔母が経営している茶屋を商っていく。  そしてひと段落したら独立し、結婚するなりして生きていけたらいい。亜杜はそう思っている。  だからそんなことは言わないでほしい。あり得ないのだから。 「そんなことあるから、そう言ってる」 「そう言ってるって。あり得ないんだから帰ろうよ翠兄ぃ」  視線を逸らしたまま亜杜を見ようとしない翠蓮に変わり、琥珀が答える。 「亜杜様、少しよろしいでしょうか」 「は、はい!」  急に名前を呼ばれ、動揺したまま亜杜が返事をする。 「従兄様の仰っている事は本当ですよ」 「どういう事ですか?」 「かの龍族の方が、はっきりと申されました。あなた様こそ自分の伴龍(ばんりゅう)。番であると」  今度の言葉の衝撃は、なんとか受け止めて返事をする。 「伴龍って……嘘、ですよね?」 「嘘ではありません」 「あり得ません。だって!」 「亜杜!」  反論する言葉を遮るように、鋭い声で翠蓮が亜杜の名前を呼ぶ。 「だって翠兄ぃ!」  二人の間で視線の応酬が続き、先に折れたのは亜杜だった。寝台の掛け布団に置いた手をギュッと握り、下を向いて声を絞り出す。 「あり得ないよ。翠兄ぃ」 「俺さ。傷跡のこと話したよ」 「なんでそんな勝手……」 「相手は主龍様だぞ? この怪我は何だって聞かれたら黙ってられる訳ねぇだろ」  読心術もあると噂される龍族相手に隠し事は難しい。そもそも人が龍に逆らえる訳がないのだ。それが平民を支配できる龍族であるなら尚の事。 「そうだけど……」  我儘だと分かっているから反論はしないが、それでも言わないで欲しかったというのが亜杜の本音だ。おそらく、ここにいる琥珀も話は聞いているのだろう。黙って二人のやりとりを静かに見ている。 「龍は自分の番を間違えない。学校でそう習ったよな」 「習ったけど……」  龍族には二つの種が存在する。主龍(しゅりゅう)と呼ばれる龍と伴龍と呼ばれる龍がいて、それぞれが番うことで一族を維持している。そして主龍と呼ばれる龍族は、絶対に己の番を間違えないのだそうで、一目見て番かそうでないかを判断するらしい。つまり、主龍に番だと言われれば、それは伴龍なのだ。 「龍族は、高楼で暮らすのが昔からの約束だったよな」  昔からのシキタリ。昔からの約束。人の力だけでは国が荒廃し維持できないと考えた昔の人々は、国の豊かさをどこからか現れた龍と呼ばれる一族に頼った。それ以来、龍は国を守り、人は龍を守り仕える。それが約束だ。 「それでも、あり得ないから。俺帰るよ?」 「だから、無理なんだって」 「だって! ありえない!」 「分かってる」 「じゃどうして帰れないの?」 「お前が気絶してる間に、母さんと蒼絹(そうけん)に早馬飛ばされた」  答える翠蓮の声が少し投げやりだ。  相手は龍だ。  その命令に従う人は多いが、止められる平民は滅多にいない。 「それで何。話し合いでもするの?」 「お前が納得してないのはわかるけどな。つか、俺だって驚いてんだからさ」  掛け布団の上に置いた手に力が籠る。  自分が気を失っている間に色々決まったのだろうことが察せられたが、言及する勇気を亜杜は持っていなかった。  そもそも龍が関わることで、平民が自由になることなんてない。帰れる可能性は低いかもしれない。でも亜杜は、自分に龍族の血が流れていることを本心から信じられないでいる。  とにかく龍が絡んでいるのだから、これ以上翠蓮を問い詰めても無駄だと悟った亜杜が話題を変える。 「叔母さんと蒼絹、いつ来るって?」 「早馬だから、三日後には着くらしい」 「三日後かぁ」 「それまでお前の件は保留になってるんだ」 「保留か」  自分が気を失っている間に決まってしまったいくつかを確認した亜杜は、従兄の図太さに呆れながらも、叔母である翠蓮の母と彼の弟である蒼絹が来るのを待つことにした。

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