3 / 3

第3話

 琥珀は準備があるからと部屋から出ていき、翠蓮と二人きりになった広い部屋で亜杜が口を開いた。 「翠兄ぃ」 「何」 「誰が、龍族様だったのかな」  家族の誰が龍だったのか。ずっと引っかかっていたことを亜杜は口にした。 「玻璃伯母さんだったなら、妹の母さんだって継いでることになるから、お前の父さんだろ」  今は亡き亜杜の母親であった玻璃(はり)と、翠蓮の母親である翡翠は姉妹だ。  もし玻璃が龍の血を継いでいるのであれば、翠蓮にも流れていることになる。 「……でも母さん、何も言わなかったよ」 「そうだな。俺も聞いてない」 「叔母さんなら知ってるかな」  亜杜の叔母である翡翠ならば話を聞いている可能性はあるが、それでも黙っている必要もないから、もしかしたら知らない可能性の方が高いかもしれないと思う。 「かもな」  翠蓮の返事を聞いた亜杜は視線を落として寝台から降り、寝台から離れたところの床に座る。 「亜杜?」 「あんな高級なの、恐れ多いよ」 「俺が床に座るから、これに座れよ」  翠蓮が背もたれのない丸椅子から立ち上がり、それを持って歩いて亜杜に譲るが彼は首を横に振る。 「いいよ」 「じゃ、俺も床でいい」 「なんだよ。座ってろよ」 「いいんだよ」  持っていた丸椅子を床に置いて、翠蓮も床に座る。 「この床も、高級だよな」 「そうだな」  板張りの床だが、使ってる木材は見たことがない種類のものだ。 「帰りたいなぁ」  ため息と共に呟く亜杜は心底そう思っている口調だった。 「緊張してる?」 「当たり前。というか、色々高級すぎて落ち着かない」  窓のところに鎮座している長椅子だって、遠目で見ても分かるくらい高級品だ。  天井の装飾も、柱の彫りも一つ一つが丁寧で高価で、到底庶民が手を出せるものではない。  それが分かるだけに、逆に落ち着かなくなる。 「じゃ、俺もそろそろ準備してくるわ」  そろりと立ち上がり、翠蓮が告げる。 「うん。ご飯、楽しみしてる」 「おう。任せとけ」  言いながら部屋を出る翠蓮が、亜杜が気を失ってる間に取り付けた約束は、彼が亜杜のご飯係になる、ということだった。 ーーすごいよなぁ  状況を理解し、利用した翠蓮を亜杜は純粋にそう評価した。  昔から不器用な亜杜と違い、立ち回りが上手かった翠蓮。  元々高楼衆を目指していた翠蓮にとって、この状況はまたと無い機会だったのだ。  翠蓮が去り、高級なものが鎮座する部屋で一人になった亜杜は居心地が悪くなり、ひとまずそのままゴロンと横になった。 「亜杜」 「翠兄ぃ?」 「流石に床で横になるのはどうなんだ」  呆れ顔の翠蓮がしゃがみ込んで亜杜に問いかける。  辺りを見渡すと、いつの間に運び込まれていたのか、椅子が二脚と食事台の上に食事が置かれていた。  高級なものは気後れすると説明したのだろう翠蓮によって、それは普通の椅子と食事台だった。 「ごめん。食べるよ」  床から起き上がり椅子に座る。  だが一人分しか置かれていないことに対し疑問を感じた亜杜が口を開く。 「翠兄ぃの分は?」 「俺はマカナイ食べたからいいんだよ」 「そう」  一緒に食べたかった亜杜だが、一人で食べることにした。 「美味しい」 「良かった」 「今日はこの後に風呂入って終わりだ。夜はちゃんと寝台で寝るんだぞ?」 「わかった。明日は?」 「明日は、琥珀さんが色々やってくれるってさ」 「翠兄ぃは? どうするの?」 「俺は色々見学とかあるから」  自分と予定が違うことに疑問を感じながらも、亜杜は黙って食事を続けた。  次の日は、何事もなく静かに過ぎた。  やることがなかった亜杜に琥珀が本を持ってくる。  造紙についての本だったので没頭して読んでいると、あっという間に一日が過ぎていた。  ただ、初日に散々な目にあったお風呂だけは警戒したが、それは杞憂に終わった。  叔母と従弟が到着する三日目は、朝から慌ただしかった。  まず朝起きると、亜杜専用の料理人になった翠蓮が作った料理が運ばれてくる。  朝ごはんを食べたら、今度は服選びが始まった。  服をいくつか見せられた亜杜は、高楼衆が着ているのとほぼ同じ形で作られた紺色の作務衣を手に取った。 「あの……この服がいいです」 「かしこまりました」  亜杜が選んだ服を大事そうに畳み、そう答えるのは琥珀と同じ班だと言う透輝(とうき)という名の高楼衆だった。琥珀よりも十歳は年上だろうか。神経質そうな、目つきが少し鋭い細身の男性である。 「それでは亜杜様。来客の前にお風呂に入りましょう」 「お風呂、ですか」 「はい」  しかしこんな昼前に風呂に入る習慣がない亜杜は、少し戸惑う。  ただでさえ平民は毎日風呂に入る習慣がないのに、ここに来て毎日入らされている事に戸惑うばかりだ。  そんな亜杜の様子を見て、琥珀が安心させるように告げる。 「亜杜様。昨日同様、人払いは済ませてあります」  人払いが終わっている、と聞いて亜杜は安心した。初日のお風呂で大勢の人に上から下までピカピカにされ、また長時間入っていたせいか、終わった後はクタクタになって泣きそうになったのを思い出しながら亜杜は頭を下げた。 「ありがとうございます」  部屋を出た亜杜は、着替えを持って琥珀に案内されるまま風呂場へと向かう。そのためここに留まって三日目になるが道順は全く覚えられない。  だが広い脱衣所の使い方は少し慣れてきて、角の方に足を向けて服を脱ぐことはできるようになった。  角に寄るのは琥珀が近くに居るからだ。昨日、なぜ一緒に入るのか聞いたら、お世話係兼護衛も兼ねているとの答えに、亜杜は黙るしかなかった。  やがて体を洗うための布を持ち、腰布を巻いた姿で風呂場の中に足を踏み入れる。  目の前に広がる洗い場のさらに向こうにある浴槽から湯気がもうもうと立ち込めていて、まるで広い池みたいだと関心してしまう。  そして壁沿いに五段くらいの高さで綺麗に積み上げられた木製の椅子と桶の山からそれぞれ一つ持ち、適当なところで最初に髪を洗おうとした時、後ろに立つ琥珀から声が掛かった。 「亜杜様。お髪(おぐし)とお背中をお流ししましょうか」 「良いんですか?」 「はい。お任せください」 「では、その……よろしくお願いします」 「それでは一度お湯でお流ししますので、目を瞑っていただけますか?」 「はい」 「では失礼いたします」  伸ばした前髪に隠された左目が現れ、古い傷跡が露わになる。  てっきりその跡について触れられるのかと思ったが、琥珀は沈黙を守った。  それに、初日の風呂にいた大勢の中の何人かも、未だ残る古い傷跡と左右で違う目の色を見たはずだ。しかしそれらについて、誰も言及してこなかった。  亜杜がなるべくこの傷跡について触れられたくないと思っていることを、初日に翠蓮が説明したのだろう。 「傷跡のことも目のことも、何も聞かないんですね」  ポツリと亜杜が言葉を吐く。 「はい」 「どうして、ですか?」 「それらが聞けるお方は、お一人の方だけでございますので」  それが何を意味するか、理解できない亜杜ではない。 「でも、まだ保留……ですよね」 「はい」 「ですよね」  確認するような亜杜の言葉を最後に、二人の間に沈黙が降りた。  風呂から上がって体を乾かし、風呂上がり用の服を肩にかけて髪を乾かしていると琥珀から声が掛かった。 「亜杜様。少しお時間がありますので、按摩でもいたしましょうか」 「按摩、ですか」 「はい」 「……お願いします」  少し迷ってそう答え、脱衣所に併設されている按摩室に案内された亜杜は少し後悔した。  簡単な、と言っても青指(あおざし)と呼ばれる軽くて加工がしやすい木材でできた按摩台が五つ並ぶ豪華な部屋だったからだ。 ーーこの部屋だけで、俺の年収換算何年分くらいになるんだろう  比較にもならないことを考えて、亜杜は琥珀に促されるまま横になった。 「では、お髪を乾かしますね」  の言葉通り、手早く乾かされて行くのを緊張とむず痒い気持ちを抑えながらなんとか耐える。 「ありがとうございます」  礼を言って再び脱衣所に戻ると、風呂前に着ていた服の入ったカゴが、いつの間にかそれごと撤去されていた。 ーーいつ入ってきたんだろう……  静かな仕事ぶりとその連携に言葉を無くしていると、琥珀が何事もなかったかのように部屋に戻るよう促してくる。 「それでは、お部屋に戻りましょうか」 「はい」  部屋に戻り、準備されていた紺色の作務衣に着替えた亜杜はやはり琥珀に先導されながら廊下を歩く。  その際周りを少し見てみたが、本当にここに龍族や高楼衆がたくさん居るのか不思議なほどの静寂さに、配慮されているのだと気づいて申し訳なくなる。  やがて初日に連れてこられた謁見の間に通じる通路に差し掛かった時、広間に椅子が四つ用意してあるのが見えた。  その内の一つに人影が座っている。 ーー翠兄ぃだ!  昨日会えなかっただけなのに、随分と会っていないような気がして亜杜は嬉しくなった。 「翠兄ぃ!」  翠蓮が座っているならと亜杜も椅子に座ってこの昨日あったことを話し合うと、翠蓮は大変勉強になったと言った。 「厨房貸してもらったんだけど、やっぱ超一流だなって思ったよ」 「そか」 「うん」  そんなことを言い合いながら時間を過ごしていると、亜杜が通ってきた道とは反対側の出入り口から高楼衆である兵士に先導された四〇代の女性と十代後半の青年が現れた。

ともだちにシェアしよう!