6 / 6

第6話

「……あんな詐欺師との仲、俺は認めねぇからな。もてあそばれてるんだぞ、おまえ」  西島はいまいましげに皮肉を言う。大輔の心を奪った田辺が憎いのだ。もちろん嫉妬じゃない。大輔はいままで、仕事一筋で来た。元嫁との結婚も、身辺を落ち着かせるためでしかなかったぐらいだ。仕事に打ちこむことが人生のモチベーションだった。  そんな大輔を買っていた西島には、仕事に支障をきたしているように見えるだろう。事実、大輔のモチベーションは以前と違っている。 「いいですよ、そんなことはもう」  取り合わずに、軽いため息でかわす。不満げな西島からのプレッシャーが横波のように押し寄せてきたが、大輔にはやはり、どうということもなかった。  心はもう決まっている。  田辺とふたりで生きていくことにしか興味が持てなくなった大輔が、このまま刑事を続けていられるはずもない。  ヤクザと恋人関係にある大輔も不安定な立場だが、田辺はもっと危うい状況にある。兄貴分は、大滝組大幹部の岩下だ。彼のあくどさは折り紙付きで、大輔を守ろうとするほどに、危険になるのは田辺自身だ。これまでにも、大輔をかばって制裁を受けてきた過去がある。 「大輔。……それは『逃げ』だろ」  心を見透かした西島が言う。無骨な見た目をしていても、ぞんざいな物言いをしても、西島という男は、ものごとを繊細かつ慎重に扱う。真実を軽んじることはなかった。  大輔と西島が所属するチームが手柄を積んできたのも、大輔が引っ張ってきた情報を最大限に活用できる西島がいたからだ。 「なにから逃げてるって言うんですか」  大輔は振り向いた。いつものようなごまかしはやめて、西島を見る。 「自分が信じてきたものを捨てて恋愛に走るのは『逃げ』だ。責任を放棄してるんだ」  酒の席でも口にしない真面目な言葉が、大輔の胸へ突き刺さった。  大輔が心に決めたことを、西島は悟っている。 「ここが踏ん張りどころだと思わないのか」 「そのために、自分の惚れた相手を危険に晒せない」 「相手に捨てさせろよ。まっとうなのはおまえのほうなんだぞ……」  西島の表情が歪む。 「……知ってるくせに、よく言えますね」  大輔はつぶやくように言って、くちびるの端を片方だけ引き上げた。皮肉を交えて笑う。  日陰の人間を日向に引き出すなんて、殺人行為だ。暗闇に慣れた相手は、光に当たって焼け死んでしまう。  落ちた人間を引き上げようとするのも同じことだ。結局は、ふたりともが奈落へ落ちる。  しかし、一緒に堕ちることができるなら幸せだ。少なくとも、相手を死なせずに済む。最近の大輔は、常にそう思う。 「河喜田さんに仕事を辞めるなと言われて、そのつもりでやってきたんですけど……。俺にはもう、仕事への情熱とか、意欲とか、ないんです」 「……俺と一緒に偉くなるんじゃなかったのか」  西島の声が弱くかすれた。いつもの勢いがないのは、この数ヶ月で西島と大輔の考えが決定的にすれ違っているからだ。  なにをしてもいままでのようにいかず、連携が取れなくなっている。通じていた心の回線は途絶えてしまった。  西島に騙されて風俗へ押し込まれたことが原因じゃない。あれは、ただのきっかけだ。  大輔の心を大きく揺らしたのは、河喜田から言われた言葉だった。 『ふたりでいたいなら、答えはひとつずつじゃない。ふたりでひとつだ』 『なにを捨てるかじゃなく、お互いが、なにを望むかだ』  大輔は何度も反芻して考えた。  母親のことも、仕事のことも、いままでの人生も、すべてをひっくるめて考えて、答えを探そうと努めた。  これ以上ないぐらいに考えたから、最終的な答えは田辺と選ぶつもりだ。  一週間後、ふたりで旅に出る。別れた嫁の暮らしぶりを確かめ、そこではっきりさせると大輔は決めていた。 「俺と西島さんで、本当に偉くなれると思ってるんですか。ムリでしょ」    すげなく答えた大輔の肩を、西島が強く掴んできた。指先が関節に食い込む。  痛みに顔を歪め、大輔はそっけなく振り払った。 「西島さんだって、あいつが完全に『足抜け』できるわけないってわかってるはずだ。相手は岩下ですよ」  するりと足抜けできるヤクザは、しょせん雑魚ばかりだ。金を作れず、金を持っていくだけの人間なら、あっさりと縁を切ってもらえる。  しかし、金を作る才覚がある人間は離してもらえない。たとえ書面上は関係を切ることができたとしても、いつのまにか囲い込まれ、ずっと強請られ続けるのだ。カタギに戻ったことで、いままでの繋がりを使うこともできず、逃れることはいっそう難しくなる。  そういうヤクザを、西島は何人も知っているはずだった。  警察は組からの脱退を勧め、ヤクザはそれに従う。  しかし、そのあとのことには、誰も関与しない。そのときにはもう、ヤクザは単なる一般人だ。金もなく仕事もなく、家族にも友人にも見捨てられた彼らは、元仲間からの陰湿な攻撃に対してなす術がない。警察に相談しても、事件にするのは難しいと、元ヤクザであることをほのめかされて終わる。  田辺も同じことだ。  足抜けできたとして、どこまで守ってやれるだろうか。元ヤクザの肩書きはついて回る。団体からの『足抜け』と、裏社会から『足を洗う』のは別のことだ。  それならば、大輔が警察を辞めるほうが手っ取り早い。  あとはもう、法の隙間をかいくぐって生きていくだけだ。 「だから……、身体だけでいれば、よかったんだ」  西島が息をひそめる。情報が取れるのだからと、男同士のセックスを見逃してきたことを悔いているのだろう。  そう思った大輔は、鼻で笑って顔を伏せた。 「悪徳刑事でいられるほど神経の太くない、俺が悪いんですよ」  自嘲して口元を歪める。 「でも……すみません。……俺、いまが一番幸せだから。ほっといてください」  そう言うと、車内は静まりかえった。  西島は言葉に困ってまで会話を続けるような男じゃない。  どちらも黙り込んで、車外へ目を向けた。重い沈黙が、覚悟を決めた大輔には心地よく感じられた。

ともだちにシェアしよう!