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第5話

「そうじゃないんだけどな」  西島は歯切れ悪く言って、煙草を取り出した。火をつけようとしているのを大輔が止める。車内は禁煙だ。近頃は、警察内でも禁煙が推進され、覆面パトカーも喫煙車と禁煙車に分かれている。  喫煙車は主に張り込み用だが、台数が少ない。肩書きと年功序列によって優先順位が決まるので、大輔たちが使うのはいつも禁煙車だ。 「無駄なことをしてるような気がする、って話だ」  火のついていない煙草をくちびるにくわえ、西島は頭の後ろへ両手を回した。  暴力団と違法薬物の流れを追って数ヶ月。季節は秋から冬を過ぎ、年をまたいで春へと移り変わっている。 「上への不満かよ」  先輩を鼻で笑い、大輔は顔をしかめた。 「あのときも、けっこうな無駄骨だっただろ。同じ匂いがする、って話だ」  答えた西島が吸えない煙草をあきらめ、箱へ戻した。そのまま、大輔に向かって手のひらを見せる。大輔は無言でポケットを探り、取り出したミント味のキャンディを渡した。  関東一帯をまとめる大滝組は、名目上、薬物売買によるシノギを禁止している。その代わりに薬物を商っているのが、京都の桜河会(おうがかい)だ。わざわざ遠征をして、関東一帯での売買権を借りているような状況にある。  沢渡組と遠野組の一件が起こるまでは、沢渡組が神奈川県内、特に横浜・川崎・相模原における薬物売買権の管理をしていた。現物の一時保管も請け負っていたのではないかと、大輔たち警察は見当をつけた。しかし、肝心の証拠は挙がらなかった。 「あの一件から、沢渡組は薬物売買と距離を置いてるはずなんだ」 「遠野組もですよね」  ふたつの組がさっぱりと身ぎれいになったことは、この数ヶ月の捜査ではっきりしている。しかし、西島は沢渡組の動向にこだわっていた。  その最大の理由は『私情』だ。過去の遺恨が大輔の足を引っ張らないかと、西島は心配していた。  四年前に離婚した大輔の元嫁は、沢渡組に関係するチンピラと愛人関係に陥り、本人も薬物を使用していた。すでに愛人とは手を切り、大輔とも離婚した。  いまは別々の人生を歩んでいるが、どこで名前が出てくるとも限らない。  しかし、そのことについて西島が話すことはなかった。大輔も知らぬふりをしている。 「これって、アレですか。俺たちはスカを掴まされてる、っていう……」  大輔が口にすると、西島はおおげさなため息をついた。  ここ数ヶ月、抜きん出ているのは安原(やすはら)たちのチームだ。ろくな情報ルートを持っていないと軽んじていたが、ようやくまともな情報源を得たらしい。 「どっかの誰かが、ちゃんと働いてればなぁ」  低くかすれた声が、あてつけがましく嫌味を言ってくる。ミントキャンディの匂いが車内を爽やかにしていたが、息を吐いているのはいかつい顔をしたおっさんだ。  大輔は眉根をひそめ、隣に座る先輩兼相棒をきつく睨みつけた。 「人のせいにしないでもらえますか」  情報源のヤクザとねんごろになった挙げ句、よりにもよって男同士で『恋人』になってしまった。それは確かにルール違反だったかもしれない。  しかし、西島は初めからふたりの関係を悟っていたのだ。  対価としての肉体関係だったうちは黙認していたくせに、いよいよ本気になってしまったと知るやいなや、女の良さを思い出させようと、半ば騙すようにして風俗店へ付き合わせた。もちろん接客は受けなかったが、大輔は憤った。  河喜田(かわきだ)という生活安全課の刑事が話を聞いてくれたことで、西島に対するわだかまりは消え、ケンカらしいケンカに発展させず済んだ。  西島から『すまん』とひと言だけの謝罪も受けている。  しかし、あれ以降、恋人の田辺を情報源として扱わないことを決めた。大輔なりのケジメだ。西島にもはっきりと宣言をした。 「潮時だったんです」  つれなく言って、窓の外へ顔ごと向ける。西島の重いため息が車内に広がった。 「情報をもらおうが、もらうまいが、相手はヤクザだぞ。うちの『お客さん』じゃねぇか。どっちにしたって、いちゃいちゃしてんだろうが」 「してません……」  皮肉を言われて苛立ったが、拳を握ってこらえる。  西島の心配も、不都合も、そしてわずかに見え隠れする嫌悪感も知っていた。  大輔は田辺を情報源として利用してきたが、西島は『大輔と田辺の関係』を利用してきた。それは初めからわかっていたことだ。大輔も納得ずくで、岩下周平の舎弟分を情報源にしていることを誇らしく思いもした。  ほかのチームに勝つためなら、これがひいては部署のため、警察のためになるのなら、自分の身体を使っても、利を取ることの意義がある。  そしてなによりもまず、男同士でするアレコレは、大輔にとってセックスの範疇に入らなかったのだ。  西島もその一点を信用していたのだろう。異性愛者の大輔が、同性愛にのめりこむことなど微塵も想像しなかったはずだ。  しかし、いまとなっては、すべてが真逆に変わってしまった。田辺のことが特別になりすぎて、感情が先走る。  自分でも冷静じゃないと自覚するぐらいだ。道を間違えたとさえ考える。  でも、それのどこがいけないのか。まるで、わからない。  大輔はもう田辺を好きになっている。  刑事とヤクザであることが障害なら、変えるべきなのは肩書きのほうだ。そこさえ変われば、男同士でも一緒にいられる。  大輔が交番勤務をしていた頃、家出をした中学生のカップルを保護したことがあった。特別な家庭環境にあるわけではない、ごく普通の少年少女だ。高校受験を控え、交際をやめるように強いられての家出だった。  彼らは真剣な顔で、いましかないと繰り返した。学校も行くし、勉強もするし、受験も頑張る。だから、一緒にいることはやめたくない。自分たちの関係を、成績や受験の言い訳にもして欲しくない。離れたら、頑張る理由さえなくなってしまうと言って泣きじゃくった。  当時の大輔には、ふたりを諭す言葉がまるで見つからず、ただただあきれ返り、若さのみずみずしさをうらやましく感じていた。  自分には縁のない感情に思えたからだ。  あんなに純粋で、一瞬のきらめきに燃える恋はできないと痛感した。  だから、田辺とのあいだにある感情が瞬間的な衝動だとしても、否定しない。本来なら知り得なかったはずの想いを否定したくない。

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