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第4話

「……俺が抜けること、あいつは知らないんだな」 「残念だけど、知ったところで、あの人はいままでと変わらないんじゃないか?」  白い煙を吐き出して、岡村はひそやかに笑う。佐和紀の前では見せない悪びれた態度だ。  正式に決まるまではと、岡村にも話さずにきた。岩下を通じて告知されたのは、先週末のことだ。まだ数日しか経っていない。 「金は足りたのか」  煙草を灰皿の上にかざし、指先で軽く叩いた岡村が言う。灰が落ちたが、岡村は身をかがめたまま振り向かなかった。 「なに? 貸してくれんの?」  冗談で返したが、 「誰に借りたんだ」  岡村の声は静かに深刻だ。心配されている。 「悠護さんだ」  正直に答えると、岡村はようやく笑い出した。 「まぁ、悪くない相手だ」 「本当にそう思うか?」  田辺も煙草に火をつける。  「そこを頼るとは、思わなかったからなぁ……」  岡村は不思議そうにつぶやいた。岩下と悠護の『連絡係』をしてきた田辺と違い、岡村は悠護のひととなりや仕事を詳しく知らないはずだった。  それとも、独自に情報を得ているのだろうか。もし、そうだとしたら、田辺が思う以上に、岡村は力を持っている。 「……岡村。おまえ、もしかして、かなり稼いでる?」  スーツの生地や仕立てが良くなったように、情報の質も上がっているとすれば、こちらにも相当の対価を払っているはずだ。 「おまえほどじゃない」  そうは言うが、岩下が持っていたデートクラブの事業はすべて岡村へ譲られている。  嫁の活動資金を確保するためだと予測はつくが、普通ならば岩下自身が管理を続けるか、嫁である佐和紀へ譲ればいい。それなのに岡村に任せると決めたのは、培ってきた信頼の大きさと、金銭に執着しない岩下の習性ゆえだろう。  岩下は目的のためになら手段を選ばない男だが、目的がなければ微塵も動かないところがある。これまで金を稼いできたのは、若頭の岡崎をバックアップするという目的があってこそだ。  そのために作り出された稼ぎの全貌は、田辺にも掴めない。もしかすると、悠護の規模を超えている可能性もある。国内外合わせた資産は相当な額に達するはずだし、舎弟たちを右へ左へと働かせているだけでも遊んで暮らせるに違いない。  岩下の資産はうまく分散され、警察や法の目をかいくぐりながら、悠護へと流れている。彼が資金の洗浄や運用を行い、常に市場へ注ぎこむことで資産の圧縮もなされているのだ。  彼らは、正真正銘のインテリヤクザであり、もはや、暴力団でもなかった。  従来の暴力団では考えつかないことをやってのけ、それらを組には還元しない。組へ流れる金は、まったく別のルートを通ってくる。だから、警察も尻尾を掴めないでいるのだ。 「……そういや、新条の資産って、どうなってんの? ずいぶん前に、アニキから『増えてる』って聞いた。俺が返した金だろ?」 「おまえの金じゃない」  佐和紀と一緒にやった美人局の数々で、渡すべき報酬から田辺がピンハネしていた金だ。  岡村は笑いながら、グラスを持った。指に煙草を挟んだまま、佐和紀が残した焼酎の水割りを飲む。素知らぬ顔の間接キスだが、岡村はほんの少し、飲み口をずらしていた。 「あれは投資に回してる」  間接キスさえも遠慮する、けなげな岡村が答えた。 「アニキのほうのトレーディングだ。やっと三倍ってところかな……」 「まだ三倍か」  元本割れを避け、かなり慎重に運用しているのだろう。 「タカるなよ」  岡村から釘を刺され、田辺は肩を揺らして笑った。 「あいつから借りるのが、一番こわい」 「それは自業自得ってやつだよ。来月には看板もはずれて……。どうするつもりなんだ」 「だから、悠護さんに職を斡旋してもらって……」 「そうじゃなくて、『カレシ』」  佐和紀と同じ言い方をされる。田辺は腕組みをして、ソファにもたれた。  大輔にはまだ、脱退についての話をしていない。ちゃんと正式に決まってからでないと、ぬか喜びさせるだけだ。 「んー、そうだな。プロポーズでもして、結婚しようか」  叶わない恋をしている岡村へのあてつけも込めて、冗談混じりに口にした。  しかし、意外なほど胸の奥にぐっときて、それも悪くない案だと田辺は思った。         ***  田辺が佐和紀に呼び出され、岡村と飲んだくれた翌日。  恋人である三宅大輔は、路上に停めた覆面パトカーの運転席に座っていた。スマホの画面をいじっている。  張り込みの最中だ。暇そうな雰囲気を出しているほうが、通行人にも警戒されない。 「去年の春頃、遠野組(とおのぐみ)と沢渡組(さわたりぐみ)のあいだがザワついてたのを、覚えてるか」  助手席から西島(にしじま)が話しかけてくる。  ちらりと視線を向けた大輔は、携帯電話の画面を消した。  見ていたのは田辺からのチャットメールだ。メッセージには二日酔いだと書かれ、味噌汁の写真が添付されていた。 「確か、沢渡組の幹部がクスリで……」  と、大輔は答えた。  大滝組系列・沢渡組の幹部が重度の薬物中毒となり、同じく下部組織である遠野組が動いた一件だ。  大輔と西島が所属する県警の組織対策本部暴力団対策課でも、ひとtの捜査がおこなわれた。しかし、遠野組の対応が素早かったせいで後手に回り、薬物の入手ルートの解明には至らず、逮捕者も出なかった。 「今回の件も、遠野組が関係しているんですか」

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