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第3話

 大輔を好きになったいまだからこそ、過小評価せずに見られる。  昔は無理だった。心乱されるのが憎らしくて、どうにかして虐げてやろうと躍起になっていたのだ。泣かせてみたかったし、屈服させたかった。すがりつくさまを想像したこともある。しかし、すべては妄想だ。  佐和紀に惚れていたわけではなく、好みの見た目が女ではなく男だという事実に苛立ち、制圧せずにいられなかった。  大輔との関係には微塵もない感情だが、こちらもまっとうな感情の始まり方ではない。  岩下に言われて、仕方がなく強姦したのだ。刑事の弱みを掴めるかどうかのテストのようなもので、薬を仕込んで組み敷いたが、大輔が気に病むことはなかった。  おおざっぱな性格で、仕事のためと割り切れば、男同士のセックスにも臆しない。当時の大輔は既婚者だったが、相手が女でなければ浮気の数に入らないと思っている節があった。仕事至上主義の男だ。  岩下の思惑としては、有事の際にスケープゴートとして使うためのストックだったはずだが、必要となる案件は起こらず、田辺は少しずつ大輔に落ちてしまった。  向こうがなにをしたわけではない。なのに、大輔のことが気になって、そうしているうちに、向こうにも気にして欲しいと思うようになった。  佐和紀の性別が男だと言うだけで苛立っていたのに、大輔に対しては、容姿が男っぽいことも、頑固かと思えば緩い貞操観念のいい加減さも、まったく嫌にならない。 「あの田辺が、男に恋しちゃうんだもんなぁー」  ケラケラと笑った佐和紀は、岡村の肩を押しながらもたれかかり、空になったグラスを振った。袖がひらひらと揺れる。 「シンちゃーん、おかわり。作って……」  しどけなくおねだりをする佐和紀の態度は、何度見せられても驚く。自分の容姿がいいことも、相手がどんな気持ちになるかも知っていてやっているのだ。  そして、微塵の狂いもなく、男の情緒を乱してくる。 「……新条。やめろ。本当に」  岡村が不憫に思えて、声をかけた。  腕に寄りかかったままの佐和紀は、視線だけを向けてくる。眼鏡の奥の瞳はとろんとして、焦点が危うい。相当酔っている。 「どれだけ飲ませたんだ」 「俺が飲ませたわけじゃない」  岡村が答えた。佐和紀を腕にぶらさげ、焼酎の水割りを作る。おそらく、怒られないギリギリを攻めた薄い水割りだ。 「別件で飲んだあとなんだ。飲み足りないって言うから」  無表情を取り繕う岡村は、絶対に佐和紀を押しのけない。膝を貸せと言われたら、そのままおとなしく膝枕を差し出すはずだ。 「おまえらも飲めよ。どーせ、うちの旦那が払うんだから」  ふふっと笑った佐和紀が、今夜一番のあでやかな表情になった。  無表情の中にも穏やかな幸福を垣間見せていた岡村の顔がわずかに強張る。気づいた田辺はうつむいて笑いをこらえた。肩が小刻みに揺れてしまう。  岡村が佐和紀の真隣に座っているのは、その表情をうっかり見てしまわないためだとわかったからだ。そして、兄貴分の嫁に横恋慕していることなど忘れたかのように、一途に心を傾けている。おそろしく不毛で、とんでもなく、こわいもの知らずだ。 「迎えに来るのか……」  岡村の片恋をおもしろがっている場合ではなかった。佐和紀の言葉の裏を読み、田辺は笑いを引っ込めた。顔を上げると、岡村が肩をすくめる。 「店には入らないだろう。この人は、俺が下まで送っていくから」  「なんでだよ」    聞きつけた佐和紀の頬が膨らむ。  遊びの時間は終わりだとたしなめられた子どものようだ。 「いいじゃん。周平も混ぜてやれば。……そんなに自分たちの兄貴分が嫌いか」 「そんなことは、言ってません」 「そんなことは、言ってない」  岡村と田辺の声がぴったりと重なる。言いがかりもいいところだ。 「……アニキは仕事で疲れていますから。早くふたりきりになりたいんじゃないかと」  岡村のフォローをじっとりと睨み、佐和紀は納得しない。ぷくっと膨れたまま、岡村のあご先に手を伸ばした。  田辺は仕方なく立ち上がり、テーブル越しに手を伸ばした。 「それを、しない……」  佐和紀の手を下げさせる。 「おまえは、ソファにもたれてろ。動くな」 「なんでだよー」 「岡村が死ぬ」 「死なねーよ。ばーか。……なぁ、シン?」  呼びかけられた岡村は、作り笑いを貼りつけて振り向く。痛々しいほどの気づかいだ。  一部始終を見た田辺はあきれながらうなだれた。  岡村は、本当によく一緒にいると思う。朴訥として感情の起伏に乏しいように見えるのは表向きだ。我慢の限界が来ないかと心配になる。  それを知ってか知らずか、おそらく、本能的に熟知している佐和紀は岡村の作った水割りのグラスを受け取った。ひとくち飲んで、酒が薄いと文句を言う。  それでも、酒を足すこともなく、ちびりちびりと飲み始める。  そうこうしているうちに岡村の電話が震え出し、佐和紀お待ちかねの迎えが到着した。  一緒に飲むのだと息巻いていたはずの佐和紀は、岡村に促されておとなしく立ち上がる。本心は、旦那とふたりきりになりたいのだろう。酔っているから、いつもより素直だ。 「またな」  田辺に向かって声を投げてきた佐和紀が、すちゃっと腕を立てる。紬の袖が下がり、白い腕が剥き出しになる。  田辺は乾いた笑いを向けた。 「もう呼ぶな」  心からの懇願を口に出して訴えたが、酔っ払いは挨拶程度にしか受け取らない。  岡村がビルの入り口まで送り出しに行き、残った田辺はソファ側に座り直した。  しばらくして岡村が戻る。距離を空けて隣に座った。 「おまえにもよろしくって、アニキが」  言いながら、スーツの内ポケットから煙草を取り出して火をつけた。落ち着きのある仕草で煙をくゆらせるのを、田辺はぼんやりと眺める。

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