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1「勇者」と「魔王」 1

 その洞窟は、天然の要害ともいえる険しい岩山にあった。  入り口には牙のように鋭い岩が伸び、奥から吹きすさぶ風は獣のうなり声のようにこだまする。王国の者は恐れて誰一人近づかないその洞窟に、勇者はたった一人で攻め込んだ。洞窟の最奥で待ち受ける、魔王イルフィニアンを討伐するためだ。  既に数多の魔物を打ち倒し、いくつもの村や町を救ってきた彼である。数年来の魔物襲撃に苦しんでいた王国の民達からは、名実ともに「勇者」と崇められ、国王からも大きな信頼を寄せられている。  勇者は岩の隘路を進み、その圧倒的な剣技でもって襲いくる魔物達をなぎ払うと、ついに魔王の待つ最深部へとたどり着いた。 「なるほど。勇者よ、噂どおりなかなか腕が立つようではないか」  魔王の威厳ある声が静かに響き渡る。  そこは洞窟の中とは思えないほど開けた空間だった。玉座の周りにはかがり火が燃やされているものの、その灯り以外はほとんど暗闇に覆われている。  岩の玉座に足を組んで腰掛ける魔王は、一見若く美しい女性のようだ。黒い鎧から伸びた素足はなまめかしいほどにすらりと白く、人間でいえば二十歳前後の瑞々しい体躯である。光り輝くような銀髪は腰まで豊かに伸び、しかし髪よりさらに目を引くのは、宝石のように透き通る赤い瞳だった。  赤い目は魔物の証だ。  魔力をもたない人間からは魔性の象徴として恐れられるその瞳を、魔王は周囲を照らす松明より爛々と輝かせて、不敵に微笑んでいる。 「しかし剣の達人とはいえ所詮は人間。私の魔力の前では、その刃も役に立たないことを教えてやろう」  魔王が座ったまま手を伸ばし、剣を構える勇者へと掌を向ける。しかし勇者はまったく怯むことなく、一直線に魔王へと駆け出した。 「愚かな。人間ごときが魔王に抗えるか!」  掌に集まった赤い光が、燃えさかる炎となって勇者へ飛ぶ。  その瞬間、勇者が口の中で何事かを呟いた。  同時に剣が赤い光に包まれて、 「え?」  驚愕に目を見開いた魔王の前で、炎が刃によって斬り払われた。  まるで剣の光に飲み込まれるように火球は消滅し、それはすなわち、勇者が魔王と同等の力――魔力を使ったことに他ならなかった。 「……さすが魔王、強力な魔術を使うね。でも、僕も同じくらい強くなったんだよ、イルフィ」  剣を下ろした勇者が、何故か嬉しそうにそう言った。  イルフィ。かつての――人間だった頃の懐かしい名前を呼ばれて、魔王イルフィニアンことイルフィは、目の前に立つ青年が誰なのかを悟った。 「そんな、まさか……ハヴェル?」 「――――やっと会えたね、イルフィ」 ■  人々を襲い国に災厄をもたらす魔物達の王・魔王イルフェニアンが、勇者により討伐された。その報せは瞬く間に王国中を歓喜の色に染め上げた。  王都への勇者凱旋は国民達により熱狂的に迎えられ、城では王から直々にねぎらいの言葉がかけられた。 「よくやった、勇者ハヴェル。おまえこそまことの勇者よ」 「すべては王のお力添えあってのこと。お役に立てて光栄です」  片膝をついた勇者が謙虚に頭を下げるので、王はますます感激に打ち震える。 王が傍に控える姫に目配せすると、王国一の美貌と誉れ高い姫は頬をほんのり赤く染め、はにかみながらもこくんと頷いた。 「どうだ勇者よ。我が姫の夫となり、次期国王の座についてはくれないか。私からおまえに与えられる、最大の褒美だ」  居並ぶ臣下達からどよめきが起こる。  勇者は魔王から国を救った英雄に違いないが、どこの馬の骨とも知れぬ身だ。そんな男が姫の婿にして次期国王とは、王はちょっと早まり過ぎではないのか。  そんな臣下達の穏やかならざる心中を知ってか知らずか、当の勇者は王に向かってまた深々と頭を下げると、 「もったいないお言葉です。ですが、私は王の器ではありませんし、麗しの姫にはもっと誠実で賢く、位の高い方こそが相応しいでしょう。私の役目は、魔王を倒した時点で終わりました」  なんと潔い。王をはじめ、人々が驚きに目を見開く。  臣下達はむしろ感心を深めたが、姫は心なしか憂いを帯びた表情だ。  それもそのはず、魔物達に毅然と立ち向かう勇者ハヴェルは、微笑みひとつで国の女性達を虜にしてしまう美貌の持ち主でもある。  王国では珍しい漆黒の髪は襟足と前髪がやや長く、それは無精ではなく色香を彼に添えている。精悍な顔立ちでありながら、黒目がちな垂れ目は人好きのする甘さを印象づけ、すらりとした長身とバランス良く身を包む筋肉は、武骨さよりも優美さと凜々しさを際立たせている。  そんな美丈夫な勇者は、控えめながらよどみなく王に語りかけた。 「しかし王様。もし私めの願いを叶えていただけるというのであれば、国の外れの森を領地としていただけませんでしょうか」  王は再び驚いた。  国の外れの森といえば、魔王の討伐された今もなお魔物が住み着く僻地にして魔境である。そんな危険なところを領地にと? 「だからこそ、私が赴くべきなのです。いずれは魔物の残党を平らげ、王が安心して治められる土地にしてみせましょう。どうか王様、あの森を我が住処としてお与えください」  重ねて懇願し頭を垂れる勇者に、王は反対の言葉をもたなかった。  彼の言うとおり、あの森は国の中にあって王の支配が及ばない特殊な場所だ。彼が魔物を――魔物に限らず不都合なものを駆逐してくれるのならば、王としては願ったり叶ったりなのである。 「よしわかった。勇敢にして慈悲深き勇者よ、おまえの望み、この王が確かに聞き入れた」  かくして勇者ハヴェルは王都に別れを告げ、国の外れの広大な森――そこに隠されていた魔王の屋敷を手に入れた。  この森の中の屋敷こそが、そしてそこに、実は生け捕りにしていた魔王イルフィニアンを閉じ込めることこそが、勇者の真の目的であるとは誰も知らないままに。

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