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2「故郷」と「業火」 6

 イルフィとハヴェルが育ったのは、辺境にある深い森の中。  王国の民のほとんどが存在すら知らない、隠れ里の村だった。  その村が世間から身を隠すように歴史を刻んできたのは、村人達に流れる血が全ての理由である。人でありながら身の内に異形を宿す血筋。その血とは獣よりもケダモノとして恐れられる悪の化身。  ――魔物、と呼ばれ忌み嫌われる種族の力を、代々受け継いできた人々なのだ。  人間と魔物の間に生まれた人々を「半魔」と呼ぶ。  肉体が歳を取るので、魔物ではなく人間である。  しかしわずかながら魔力をもつため人間からは恐れられ、迫害された。半魔の人々は暗い森の中に逃げ込み、隠れ里を築いた。  長い年月の間にその存在を忘れた国の民達は、「あの森は魔物の巣窟」と村を隠す森そのものを忌避し、一方村の人々は、外に出ていかないよう子ども達に言い聞かせつつ、自分達の血がもつ異能の力――魔力を封じながら、『人間』として生き続けてきた。  当時十八歳だったイルフィには、村長を務める年老いた両親と「弟」がいた。  病によって両親を亡くして引き取られた、幼いハヴェルである。  本物の兄弟ではないが、一人っ子だったイルフィはハヴェルを実の家族のように慈しみ、またハヴェルも孤独を埋めてくれたイルフィに心を委ねるように懐いていた。  忘れられた村の中で、それでもイルフィ達は健やかに生きていた。  穏やかで幸福な日々がいつまでも続くと信じて疑わなかったのだ。  ――――あの日突然、「魔物討伐」を掲げた王国の軍隊が森に攻め入ってくるまでは。 ■  イルフィが森の屋敷に連れてこられてから、早数週間が過ぎた。  別れていた長い年月を埋めるかのように、ハヴェルはイルフィを連日抱き続けている。好きだとか愛しているだとか、オスがメスを恋う睦言を囁きながら、ハヴェルはベッドに縛りつけたイルフィを気絶するまで抱き潰した。  吸い跡に噛み跡、手首と足首には縄の跡。イルフィの白い肌のあちこちには、所有の証と呼ぶべき薄紅色の跡が無数に散っている。  縄は数日前にやっとほどかれた。イルフィに逃げ出す気がない(魔力がなくては逃げ出す術もない)ことを、ハヴェルが悟ったからだ。なのでこうして一人、屋敷の中を歩き回ったり、庭に出たりすることくらいは許されている。  情事の香りが色濃く残る裸の体を、イルフィは朝焼けの冷涼な空気の中に浸していた。  太陽がまだ顔を出しきらず、空気が青に染まっているような早朝である。屋敷の庭の下生えは朝露に湿り、裸足の裏をしっとりと濡らす。  不意に庭を囲む木立が揺れ、朝焼けが滲み始めた空へ一羽の鳥が飛び出した。イルフィはその鳥影に向かって手を伸ばす。操るべく念じて内なる魔力を呼び起こそうとする――が、鳥はイルフィに気づくことなく彼方へと飛び去っていった。 「やはり、駄目か」  『魔王』の魔力を持ってすれば、獣は元より格下の魔物を操ることすら造作もないというのに。ハヴェルに隠れて何度か魔力封印の解呪を試みてみたが、一向に手応えがない。彼の施した術は、予想以上に強固なようだ。 「『魔王イルフィニアン』は、本当に倒されてしまったようだな」  自嘲に唇の端を歪めたイルフィは、殺風景な庭を見渡した。  庭といっても、一目の視界に収まってしまうほどのただの広場である。  オブジェとも呼べない不自然な形の――割れた大きな石が乱雑に一つ二つ、隅の方にも三つ四つ転がっているが、それらは一様に煤けている。根元や枝が炭化した木も幾本か見え、つまりかつてここで破壊と火災とがあったことを示していた。  イルフィの胸に迫り来る、愛しさと悲しみと、懐かしさ。  ここは惨劇の記憶を閉じ込めた箱庭なのだ。  『魔王』となったイルフィが取り戻すまで誰にも顧みられなかった悲劇の跡地。  かつてここに、イルフィとハヴェルの故郷があった。 「王様は容易くここを領地にくれたんだ。自分達が焼き払った村があった場所だっていうのに」  笑っちゃうよね、と声がして、気づけば屋敷からハヴェルが出てきたところだった。  笑っていない目で乾いた笑い声を立てるハヴェルは、イルフィの横の石に腰を下ろす。  それは黒く煤けた長方形の石で、かつては村の広場でベンチとして使われていたものだ。 「寝ていたんじゃないのか」 「横にイルフィがいなかったから、起きちゃったんだよ」  昨夜もハヴェルに散々求められ、気絶するように眠りに落ちたのは明け方のことだ。もうやめてと最後は懇願を口にさせられるほど、彼の求愛は激しく、果てがなかった。 (可哀想なハヴェル。あの時も……今だって)  彼の執着と肉欲は、満たされない子どもの愛着が膨れ上がったものに違いない。両親と死に別れイルフィの家に引き取られてきた時にも、ハヴェルはイルフィとずっと触れ合っていることでようやく平常心を保っていた。  魔物と人間とに種族が別れた自分は、もう彼と同じ時間を生きていくことは出来ない。突き放してやるのが彼のため。しかし、彼に哀憐の情を抱いてしまっている自分は、そして魔力を取り上げられてしまった無力な自分は、そんなことすらしてやれない。  初めこそ、弟同然の彼に犯されることに強い忌避感を抱いていたものの、体を許すことで彼を『捨てた』償いになるならばと、今は身勝手な贖罪の意識の方が強い。  陵辱のように犯されながら感じるのは、罪悪感。  彼をこんな大人にしてしまった自分に対する、自責の念ばかり。

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