8 / 21

第8話

田辺耕造って政治家は、ここのところニュースや新聞を見なくなった僕だって知ってる。衆議院議員で以前、何かは忘れたけど大臣を務めて、党の中ではまだ若いけど、いずれは党首つまり総理にって……。 一言で言えば大物だ。 「ピンとこないよ」 今の僕の正直な感想だった。 「だって堀井は、無愛想で口が悪くて、態度デカくて可愛げなくて、いちいち頭にくる奴で、それから…」 「わかった」 もっと言い募ろうとした僕を、田上が両手を上げて止めに入った。 「わかった。もういいよ」 そう言った田上の目元が笑ってた。 その時、ドアがドンドンと鳴った。堀井が手がふさがってて開けられないのだろう。 「おたくならそう言うだろうと思ってた」 田上が立ち上がってドアへと向かいながら言った。 戻ってきた堀井の顔を、僕はそっと盗み見た。 テレビで見たことのある政治家の顔と頭の中で比べてみたけど、堀井は母親似なのかもしれない。 ついチラチラと何度も見ていた僕の視線に気づいて、堀井がいぶかしげな顔をする。 「あ、そうだ」 そこで田上が声を上げた。 「中野におみやげがあったんだよ」 そう言って脇に置いてあった紙袋の中から紙包みを取り出して、僕に投げてよこした。 軽い。 「開けてごらんよ」 言われて包みを開けると、出てきたのはステンレス製のマグカップだった。 「これ……」 「そ、堀井とおそろい」 田上が嬉しそうに言う。 なんかドッと疲れる一言。 「……ありがと」 言いながらも笑いがひきつってしまう。 いいけどね……。 堀井は僕がカップを持ってないせいか、僕が来てから一度も棚にあるカップでコーヒーを飲んでるところを見たことがないから。 「今度オレの部屋に来てごらんよ。コタツがあるから」 「コタツ?」 夕飯をすませて寮に帰って来て、階段を上り始めたところで田上がそう言った。 「そんなもの持ち込んでいいの?」 驚いてたずねると、 「いけないという規則はない。上村は渋い顔してたけどね」 田上は平然と、だけど後半は声をひそめてそう言った。 「堀井」 その上村の声が玄関のほうからした。僕はドキリとして振り返った。田上も同じだったようだ。僕たちより遅れて、堀井はちょうど階段に足をかけたところだった。 「中野はいるか?」 上村の声。 堀井はチラリと僕のほうを見上げてから、 「ええ、いますよ」 と答えた。 「呼んでくれ。お母さんが面会にみえてるんだ」 かあさん───? 僕は階段をかけ降りた。最後の二、三段でコケそうになって、堀井に抱き止められた。 “ごめん”と謝って玄関のほうに目を向けると、上村の後ろに驚いたような顔のかあさん───いや、島岡冴子さんが立ってた。 「元気そうね」 玄関ホール脇の応接室のソファに僕と彼女は向かい合ってすわった。 「さっきの子は同級生?」 「え?ああ、堀井?そう、寮で同室なんだ」 なんとなく照れくさくて、僕は彼女の顔をまともに見られないでいる。 「ずいぶん大きな子ね。佑ともたまに会うとすごく大きくなったと思ってたけど、同じ年であんな大きな子もいるのね」 彼女は感心したようにそう言った。 「わがままとか言って、迷惑かけてない?」 「かけてないよ」 「ホントかしら」 彼女の笑いながらの探るような目に苦笑する。その彼女の目元から笑みが消えた。 「驚いたのよ。多恵子さんに連絡したら、ここに移ったって聞いて」 僕は一瞬唇をかんだ。 僕が小さい頃からウチで働いてくれてる多恵子さんは、かあさんと仲が良かった。 「佑、メッセでも何も教えてくれないんだもの」 「ごめん、心配かけて」 僕は顔を上げて笑顔を見せた。 「でももう大丈夫だから」 「本当?」 「うん」 僕がうなずくとやっと笑みをうかべた。 「そう、それならいいけど……」 彼女はちょっと首をかしげた。 「ねえ、佑。お父さま、あれでも佑のこと心配なさってるのよ」 「わかってる」 声が固くなりそうになるのを必死でおさえた。 「あまり心配ばかりかけては、お父さま、可哀想よ」 「……うん」 笑顔が強ばりそうになる。 「大丈夫だから。僕のことより、かあさんはどうなの?島岡さんとは仲良くやってる?」 「ええ…」 彼女は戸惑ったような笑みをうかべた。 「そう、良かった」 僕がそう言うと、その笑みははじらいを含んだようなものに変わった。 「あ、忘れてたわ、これ」 彼女はそう言って紙の手さげをさし出した。 「おせんべいなの。お友だちと食べなさい」 「サンキュ」 島岡さんを駐車場の車の中に待たせてると、そのあとになって言い出した彼女を僕は早々に帰した。 「お帰り」 部屋にもどると、堀井がそう声をかけてきた。堀井はまたベッドで参考書を広げてた。 「食べる?」 僕は持ってた手さげを堀井のベッドの上に置き、自分のイスに腰をおろした。 「おまえは?」 「今いい……」 堀井は包みを開け始めた。 「コーヒー飲むか?」 堀井がベッドから降り、棚のほうに歩きながら言った。 夕飯に出かける前に、田上が買ってきてくれたカップを洗っておいたのだ。 「うん」 「お袋さん、美人だな」 「うん、結構ね」 僕はそう応じた。 「中野はお袋さん似だな」 堀井の言葉に、僕はコーヒーをいれてるその背中を見た。 それって、僕もビジン…ってことか? 僕は苦笑して、堀井が振り返るのを待った。そして、カップを持って歩いてきた堀井にさらりと言ってやった。 「そんなわけないよ。継母だもん」 堀井は僕にカップを差し出したまま眉をひそめた。 僕は“サンキュ”と言ってカップを受け取った。 「俺の母親、俺産んで何ヶ月かで死んじゃっててさ、さっきのかあさんが俺が三つの時、親父と再婚して俺を育ててくれたわけ。だから、継母って言っても俺にとっての母親はあの人一人だけど」 「そうか……」 堀井は僕のほうを向いて自分のイスにすわった。その堀井に、僕はもう一言つけ加えた。 「今は他の人の奥さんだけどね」 堀井がハッと目を見はったのがわかった。 僕はなんでもないことのように少し笑みをうかべて見せてから、カップを口に運んだ。 今まで家のことを話した奴はいない。 以前一緒にツルんで悪さをしたことのある奴らにも、誰にもしなかった。 けど、堀井には話してもいいような気がした。 僕ばっかりが田上から堀井のこと色々聞かされて、フェアじゃないような気もしてた。たとえ、田上から“聞かされた”だけだったとしても。 それになんとなく合点がいった。なんで田上も堀井も僕になんにも聞いてこないのかって理由が……。 今まで何度か転校をくり返して、その度にまわりの連中は僕のことを根掘り葉掘り聞いてきた。 それがあの二人はほとんど何も聞いてこない。そしてあの二人と一緒にいたおかげで、他の人間に色々聞かれることがないままに日が過ぎて、改めて僕に何か聞くのは“今さら”って空気が出来てしまっている。 あの二人が何も聞いてこないのは、堀井が普通とはちょっと違う過去があって、もしかしたら僕と同じような思いをしたことがあるから。 そして田上もそういう堀井を知ってるから。 あれ?そう言えば、田上はなんで堀井のこと色々知って……。 「よっ」 「わあッ」 肩をたたかれて、つい声を上げてしまった。 本校舎の廊下である。 「ど、どしたの?」 たたいたのは田上で、田上のほうが驚いていた。 「いや、なんでも……」 僕は笑ってごまかした。 「眉間にしわ寄せて歩いてるからさ、何かあったのかなぁ、と思ったんだけど」 田上が笑みをうかべながら、上目遣いに僕を見る。 コイツはホントに良く見てるよなぁ。 「別に、何もないよ」 「ふぅん。ま、いいや。で、今日もこれから図書室?」 「そう」 僕は苦笑してうなずいた。ここ数日、放課後は図書室に行っている。 「堀井にアホ呼ばわりされたのが、そんなに悔しかったわけ?」 「それもあるけどね」 僕はそうボソッと言った。 「中野って前の学校じゃ成績優秀だったんだ」 「え?」 「じゃなかったら、普通悔しくなんかないし、勉強頑張りだしたりしないでしょ?」 田上はホント勘がいい。 「当たらずとも遠からず、だね」 僕の言葉に田上がキョロっと僕を見る。 「前の学校じゃなくて、ず〜っと前の学校でね」 僕はそう言うと、ヒラヒラと手を振ってその場を離れた。

ともだちにシェアしよう!