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第12話

「中野、話がある」 いつものように消灯時間に近くなってから部屋に戻ると、堀井がそう声をかけてきた。けど僕はあれ以来、堀井の存在をまったく無視してる。 シカトして風呂に入ろうと、クローゼットを開け着替えを取り出した。 「中野」 堀井がもう一度呼びかけてくる。 僕はクローゼットを閉め、風呂と続いてる洗面所のドアへと向かった。堀井がその前に回り込んできた。 「聞け、中野」 「どけよ」 堀井の横をすり抜けようとして腕をつかまれた。とっさに振りほどこうとしたけど出来なかった。ギッとにらみ上げた。 「放せよ」 「おまえが話を聞くまで放さない」 しばらくじっとにらみ合った。 堀井の目の色に押された。つい、視線をそらした。 「心配だったんだ」 堀井が口を開いた。 もう一度堀井を見上げた。 「確かに上村からはおまえが荷物の中にタバコや酒を隠し持ってないか、そしてそれをやってないか注意しろとも言われた。だけどそれよりもおまえのことが、おまえ自身のことが心配だったんだ」 「…………」 「上村にしたってそうだ。おまえが今度何かやったらもう後がない。だとしたら、そうなる前に全て未然にふせがなきゃならない。だから俺に言ってきた」 「放せよ」 「最後まで聞け」 堀井はもう片方の腕までつかんできた。 「上村は俺が春に事件を起こした時も、退学にならずに済むように働きかけてくれた人間だ」 「だから恩があるってわけだ」 「中野」 「わざわざ心配してくれてありがとう。俺は酒もタバコもシンナーも持ってきてないから大丈夫。もう騒ぎは起こしませんからご安心ください───って、そう言っといてよ」 僕は淡々とそう言うと、やんわりと堀井の手をはずし、洗面所のドアを開け、そして後ろ手にきっちりと閉めた。 (あなたはお父さまの側にいてあげて、佑) そんなこと言われなくても、僕がかあさんについて行けるわけないじゃない。血が繋がってないんだもの。 (おかあさんは一人でも大丈夫だから) ウソつき! 僕知ってるよ。かあさん、一人じゃない。あの人がいるじゃない。あの人が待ってるんでしょ!? (あなたは強い子だわ) かあさん、僕が強がってきたこと知らないの?それとも気づかないふりしてるの? (いい子ね、佑。いい子ね) かあさん、僕一人になっちゃうよ。待ってよ。ねえ、かあさん。僕一人だよ。ねえ、お願い。一人にしないで。僕を置いて行かないで。 おいて……行かないで……。 ヒクッと喉が鳴った。こめかみと鼻の横を冷たいものが流れていった。 寝返りをうって枕に顔を押しつけて、それを吸い取らせた。 顔を上げて窓のほうを見ると、カーテンの向こうがうっすらと明るくなりかけている程度だった。起きる時間にはまだ早そうだった。 ため息をついて、再度寝返りをうって、ふと隣を見た。 いない。ベッドはもぬけのカラ。 その時、ノブを回す音がした。何故かとっさに寝たふりをした。 静かにドアを押して入ってくる気配。そして息を殺すようにそっと閉める。 もしかして、走ってきた? 足音を忍ばせて堀井は僕のベッドの足元のほう、洗面所のドアへと向かい、立ち止まり、ベッドを回って枕元のすぐ横に立った。 呼吸は静かだけど、堀井の体からは熱気が伝わってきた。 「佑」 ささやくように呼ばれた。動く気配がして、髪にそっと触れてくるものがあった。おそらく、堀井の指先。 「おまえ、原には名前で呼ばせてるんだな」 少しかすれた、ひどく頼りなげな声。 僕の心臓が勝手に大きく打ち始めた。 堀井の指先が僕のほおをすべった。ふわりと熱気が動き、それが顔のすぐ近くで止まった。 堀井の息がほおにあたる。 原の言葉が頭に浮かび、心臓がひとつ大きく跳ね上がった。 寝たふりを続けるべきか、今すぐ目を開いて堀井の体を突き放すべきか迷っていた数瞬のあと、小さく息をはくのが聞こえたと思ったら、熱気も指先も離れていった。 僕は、洗面所のドアが閉まる音が聞こえてから、大きく息をついた。 一人になれる場所にむかった。 転校すると、あまり間をおかずに一人になれる場所探しをするのがクセになっていた。ここでも広大な敷地の中ですでにいくつか見つけていた。 そのひとつ、本校舎ですぐに鍵がはずれる窓がある。 ここは外に対してのセキュリティは厳しいみたいだけど、中はそうでもない。 薄暗い校舎の階段を屋上まで上がる。 水槽タンクを囲ってあるフェンスにもたれてすわり、自販機で買った缶コーヒーと、途中たまたますれ違った面識のない生徒から匂いをかぎ取り、金を渡して手に入れたタバコを取り出した。 火をつけて、深く吸い込む。 いつものように一定の距離を取り続けるつもりだった。 それなのに堀井も田上も、いつの間にかすっと僕の側に並んで立ってて、まるでずっと前からそうしていて、それが当たり前のように、そこにいて……。 ホントに、いつもいいタイミングで僕の気持ちをすくい上げてくれてたから……。 最初は嬉しさ。堀井や田上となら、伊藤や渋谷とも、こいつらとならうまくやっていけるかもしれない、っていう。 次は恐怖。こいつらに僕の前のことを知られた時の、そのあとの反応。今までみたいに手のひらを返すような態度をとられたら……。 期待はしてはいけない。期待をしなければいい。 そう自分に言い聞かせていながら、バカだった。もう懲りてるはずなのに……。 堀井は、その辺の奴らとは違う事件も経験してて、家庭も普通とは違ってて、こいつならわかってくれるかもしれない、って、いつの間にか期待してたんだ。 堀井が僕に近づいて来れば来るほど、知られた時の反応を心配して、その自分の弱さにイラついて……。 お笑い草だ。 相手はとっくに知ってたっていうのに───! タバコを吸い込もうとして、喉の奥がつまった。 震えがきた。 マズイ。こんな所で……。 タバコを捨てて、ポケットを探った。取り出した物の刃を押し出した。 視界が揺れる。 震えがきてる手で、その刃を左手に持っていこうとした。 「……なかの」 ひそめたような声が聞こえた。 ダルくなりつつある首を回すと、田上がすぐ側にいて、ゆっくりとした動作で片膝をつき、僕と目線の高さを合わせてきた。 視界がクリアになって、震えが収まってきた。 田上の目がチラリと僕の右手に握られている物に動いたのがわかった。 「……違うよ、田上。そうじゃない」 かすれたけど、声が出た。 僕は大きく息をついて、フェンスに体をあずけた。 「隣、いいか?」 田上のおさえた声。僕はわずかに首を動かして横のコンクリートの床を示した。 田上が静かに僕の隣にすわる。 まるで小動物を驚かさないようにでもしてるような動作に、苦笑して手にしたカッターの刃を引っ込めた。 田上の僕をうかがうような気配を感じながら、もう一度大きく息をついた。 「昔……」 「ん……」 「何気にカッターで手を切ったんだ」 カッターをポケットにしまった。 「そうしたら、痛みと共に頭の中がクリアになった気がした」 左腕に視線を落としても、まだかすかに残るいくつもの小さなキズ跡は袖に隠されて見えない。 「その頃は、頭の中にもやがかかったようになることがよくあって、毎日に現実味がなくて、自分が自分じゃないみたいな……」 チラッと横を見ると、田上は初めて見る真顔で僕を見ていた。 「カッターで傷つけると、現実感が戻ってくるんだ。だから、いつもポケットにカッターを入れてて……。人に使ったことはないよ。これは自分用」 田上がわずかに笑みをうかべてうなずいた。 「俺、ストレスに弱い体質だったみたいで、そういうのがかかると震えがきて、めまいや呼吸困難になったりして、病院に担ぎ込まれたこともあって……」 自分の弱い部分をさらけ出すのは勇気がいった。でも田上は、下手な相づちなんかうたずに、ただじっと僕を見ててくれた。 「そういう発作が起こり始めた時にも、カッターで傷つけると収まることがあって……。ここ、一人になりたくて来たはいいけど、こんなとこでこんな時間に発作起こしたらヤバいって思って……」 「苦しいの!?」 田上があわてた様子で聞いてきたので、笑って首を振った。 「もう収まった」 田上がホッとしたように息をついた。 「以上がカッターを手にしてた理由」 僕が出来るだけ軽い調子で言うと、田上はニッと笑って、 「じゃあ、今度から一人になりに行く時は、オレにメッセすればいい。そうしたら、もしもの場合はかけつけるよ。中野は安心して一人の時間を満喫すればいい。どう?」 田上の笑顔を見てるうちに、泣きたいような気分になってきた。 その笑顔から顔をそむけ、屋上の柵の外へと視線を向けた。 「田上、おまえ、お人好しって言われることない?」 違うだろ。もっと他に、言わなきゃいけない言葉が……。 「そーだなぁ、いい人ねって言われたことは…」 「ごめん…」 押し出した言葉と共に涙が落ちた。 「ごめ……」 沈黙のあと、ふせた僕の頭に手が置かれて、引き寄せる力が加わり、そっと田上の頭とぶつかる。 「俺……」 言葉を発しようとしたら、頭に置かれてた手が、ポンポンとまるで子供をあやすように動いた。 「田上って、ホント、いい奴だよ。サンキュ……」 泣き笑いの状態で言った。 「一歩間違うとストーカーだけどね」 え? 「そう言えば、田上はなんでここに?」 頭を起こして聞くと、田上はちょっと言いにくそうに、 「あー、中野を見かけて追ってきた」 と言った。 「確かに」 僕の言葉に、今度は頭を小突かれた。

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