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第2話

村外れの森に男の魔女が住んでいる。 臍の緒や胎盤を煮込んで、媚薬を作っている。 そんな噂が近隣の村や町に出回り、ダミアンは鬱々と塞ぎこみ、貴方はせめてもの慰めにと傍らでヴァイオリンを弾いて過ごします。 もはや黒い森の師弟と親しく口を利く村人はおらず、誰も薬を乞いにきません。 失意のどん底のダミアンは、同居する貴方すら遠ざけるようになりました。 「図鑑の整理?手伝うよ」 「ひとりにしてくれ」 地下室へ消えてく背中に突っぱねられ、階段の上に立ち尽くします。 「絶対に覗かないで」 「師匠……」 「決まりごとを破ったら追い出す。本気だ」 木戸には閂が下り、師の心も閉ざされました。 以来、ダミアンは地下室にひきこもります。中の様子はわかりません。たまにゴトゴト音がします。 重苦しい日々が続いた夜。 ダミアンの図鑑の写本中、机に突っ伏して居眠りしていた貴方は、戸を開け閉めする音に目覚めました。 「ダミアン?」 夜半にどこへと怪しみ、こっそり尾行します。 最近のダミアンは酷く窶れて足取りも覚束ず、夜の森をさまようすがたは幽霊さながら存在感が希薄でした。 やがて村の入口にさしかかります。 一軒目。 ダミアンが懐から何かを出し、窓辺や戸口に置きます。なんでしょうか? 入れ違いに覗き込み、キツい匂いをまき散らす野草の束に言葉を失いました。 悪魔の鉤爪に似て先端が尖った葉っぱ。 鈴なりにしなだれた、真っ黒で歪な実。 強烈な幻覚作用を引き起こす毒草。 ダミアンは夜闇に乗じ村の家々を回り、一軒一軒毒草を置いていたのです。 魔女の誹りを免れない奇行でした。 さて、貴方はどうしたでしょうか?答えは簡単、見て見ぬふりです。ダミアンが向かうさきを確かめず、森の小屋に飛んで帰り、知らんぷりを決め込んだのです。 しかし遠からず限界が訪れます。 ダミアンは何してるんだ? あの毒草のブーケは何なんだ? もし本当にダミアンが魔女で、嫌がらせした村人に呪いをかけてんなら、弟子の俺が止めなくちゃいけない。 待てよ。 本当にそれが正しいのか。 ダミアンの復讐は正当じゃないか。恩を仇で返されたんだ、怒って当然だ。 ハンスの恩知らずな仕打ちは許せない、自分から泣き付いてきた癖に。 他の村人もそうだ、ダミアンが役立たずと判明した途端手のひら返して追い詰めて……。 ダミアンは悪くない。 俺だって悪くない。 俺たちはただ森の奥で寄り添い合って暮らしてただけじゃないか、ひっそり息を潜めて生きてただけじゃないか、俺はずっとずっと平穏な日々が続けばいいと願ってたのに。 毎夜軒先に置かれる毒草の束に村人たちは恐れ慄き、ダミアンの仕業じゃないかと噂し合います。 「呪術の一種?」 「目印を置いて回ってるんだよ」 「縁起でもねえ、竈で焼き捨てろ」 ひそひそ、ひそひそ。 村人たちが集団ヒステリーに陥る一方で、家畜はどんどん病み衰え数を減らしていきます。 遂には百姓たちが飼っている鶏が消え始めました。泥棒がいるのです。 「病んだ鶏なんか盗んでどうすんだ?」 「生き血で魔方陣を描くんだよ、でもって悪魔を召喚する」 「犯人は……」 広場や道端に老若男女が寄り集まる都度憶測が飛び交い、ダミアンへの疑惑が深まります。 森の入口から小屋の方角にかけ、点々と滴る血を見たと証言したのはエルマー親方です。 貴方は親方に食ってかかりました。 「赤子殺しの次は鶏泥棒かよ、ふざけんな!」 「実際地面に血が落ちてたんだ」 「どうせお前らが仕組んだんだろ」 「あ?」 「一緒に住んでるけどなあ、鶏の鳴き声なんかちっとも聞いちゃいねえよ!師匠が鶏盗んだのがホントならおかしいじゃねえか、その前に病気の鶏の卵なんか食えっかよ!」 「騒ぐ元気もねえってこったろ、それか途中で絞めたかうろんな草で酔っ払わせたか」 真っ黒な実を付けた毒草。 めまい。 幻覚。 「でたらめぬかすな!」 最後まで聞いていられず取っ組み合い、されど叩き伏せられ、絶望的な気分で森に帰りました。 しめやかな衣擦れ。密やかな足音。今夜もまた扉が開き、ダミアンがどこかへ出かけていきます。 行き先は村でしょうか。ブロッケン山でしょうか。サバトでしょうか。山羊の姿をした悪魔と交わり堕落するのでしょうか。 待って。 行かないで。 ひとりぼっちにしないで。 夢とも現実とも判じかねる闇の中、遠ざかる背中に手を伸ばします。 疑心暗鬼に苛まれ、夜もろくに眠れず、そんな日々が三か月ほど続きました。 「ダミアン!」 遂に声を上げました。 「毎晩どこ行くんだ」 「散歩に」 「こんな遅くに?苦しい言い訳だな。知ってんだぞ、村中の家に毒草の束置いて回ってること」 「……」 「ありゃなんだ。まじないか。俺とアンタの仲で水臭い、教えてくれよ。恩知らずのハンスにくそったれエルマー親方、いけすかねえ村人呪ってんの?」 「違、」 苦しげに顔を歪めて否定するダミアンを見た瞬間、激情が弾けました。 「行くな」 怯えた声で引き止めます。 「……すまない」 ダミアンは小声で謝罪し、闇の彼方へ駆け去ろうとしました。 すかさず肘を掴んで引き戻し、縺れるように倒れ込んで、唇を奪いました。 「アンタ、魔女なのか?」 ダミアンはぽかんとしました。 当たり前です。 今まで弟子と思い育てた少年が下剋上を企て、自分に跨ったのですから。 「ハンスの赤ん坊を殺したのか」 「……かもしれない」 「断言できねえのかよ」 「教会の教えに背いたから」 「で、なんで罪もねー赤ん坊が罰されなきゃなんねーんだよ。ていうか、さ、それなら俺も同罪だろ。お前の言いなりで臍の緒切った」 俺は魔女の弟子だ。 もういい。 それでいい。 ごめん、母さん。 拳でダミアンの胸を叩き、やるせない表情で思いの丈をぶちまけます。 「どうして頼ってくんないんだ、全部ひとりでしょいこもうとするんだよ!俺はお前の弟子だ、二年間毎日読み書き習って薬草を仕分けした、だったらまじないの片棒も担がせろ!仕返ししてえっていうなら手伝うよ、恩知らずなハンスやエルマーをぎゃふんと言わせてやろうぜ、連中が憎いのは俺も一緒だ、きちんとやり方教えてよ!村人んちに置いて回る毒草の意味は?本当に鶏盗んだの?二年間一生懸命勉強したんだ、全部アンタが教えてくれた、今じゃ綴りを間違わず名前を書ける、アインス・ツヴァイ・ドライ以上の勘定だって余裕だ、魔方陣だって描ける!サバトでもどこでもお供する、ッ、から」 喉も裂けよと叫びます。 「ちゃんと俺を巻き込んでよ!!」 村人たちはダミアンの献身に悪意で報いました。村に貢献したダミアンを迫害しました。 「あんな奴ら、死んで当然だ」 嗚咽を詰まらす貴方を毅然と見据え、敬愛する師が無表情に告げます。 「でてけ」 事実上の絶縁宣言でした。 「ツィゴイネルに情けをかけたのが間違いだった」 「師匠」 「もううんざりだ。疲れたよ。君ときたら僕の本性も知らずうるさく纏わり付いて、正直イライラした」 紫色の双眸に狂気を滾らせ、いざ胸ぐらを掴み返し、普段の温厚さをかなぐり捨て。 人間性の極北といえる、醜悪な形相で。 「薄汚いツィゴイネルを家においたのは生贄にする為、我があるじへの捧げものとして家畜のように飼いならしたのさ。下ごしらえに二年もかかったのは誤算だった、どのみち茶番はおしまい、村の連中に怪しまれちゃ潮時だ。口が減らない役立たずの顔なんて二度と」 たった十五年の人生において最も満ち足りていた歳月を否定され、衝動が爆ぜました。 即座にダミアンの着衣を剥ぎ、きめ細かい肌を愛撫します。 「何、を」 「教会が禁じてんのは産婆だけじゃねえ、男色もだ。男が赤ん坊を取り上げるのが罪だってんなら、これだって罰されてしかるべきだよな」 色恋沙汰に興味ないのかと聞かれ、ないと答えたのは半分嘘。 ずっとダミアンに惹かれていました。 「師匠でも弟子でもねえなら遠慮はいらねえ、追ん出る前に美味しい思いしたってかまわねェよな」 日に日に深まり募った憧憬と思慕が執着に裏返ったのは、ダミアンに手のひら返しで厄介払いされかけた時。 「なあダミアン、まさか俺が童貞だって思ってたの?おめでたいな」 ダミアンの四肢を組み敷き、ねっとり囁きます。 「ロマのガキの一人旅だぜ。旅費稼ぐにゃ身を売るしかないって、世間知らずでもわかりそうなもんじゃねえか」 そうです。 貴方は処女でも童貞でもない、両方とも子供の時分に奪われていました。 「あの日雨ん中追われてたのは、ヤッたあと殺されかけたからだよ」 行く先々で悪意が牙を剥いた。 独りぼっちだった。 手をさしのべてくれたのはダミアンだけ。 「離れ、ろ」 「嫌だ」 「聞き分けて」 「抱かせて」 ダミアンは食事が喉を通らず痩せ衰え、片や貴方は成長し体格で上回ります。 「痛ぐ、あ」 ダミアンは貴方の全てだ。 失いたくない。 「俺の知らねえとこで魔女や悪魔とまぐわってたの」 異形の悪魔や妖艶な魔女と師が絡む痴態を妄想し、嫉妬に狂って口付け、貧相な胸板を切実に撫で擦り、形良い陰茎を捏ね回します。 「よせ、うッぁ」 「悪魔とヤんのがそんなにいいの。俺だって上手いよ。絶対気持ちよくする」 「手をどけ、て、あッふぁ、そんなところさわるな」 「一緒に堕ちたい」 嗚呼、それほどまでに彼を。 「アンタと契りゃ、はれて魔女の眷属だ」 ダミアンは泣いていました。 何度も貴方の名前を呼び、離れろと懇願しました。 しかし貴方は無視し、ひくひくもたげ始めた陰茎が分泌する雫をすくい、会陰に塗り広げてよく揉み込み、上品な色合いの後孔をこじ開けました。 「ァっ、ああっ、ぁうっ」 破瓜の痛みに仰け反るダミアンを押さえ込み、両膝を掴んで割り開き、激しい抽送を開始します。 「愛してる。好きだ」 「ぅ、ひぐっ、ンぁあっ」 青年の腰が上擦り、お互いの顔が赤らみ、絶頂が近付いてきました。貴方は夢中でダミアンの唇を吸い、赤く芽吹いた乳首を抓って刺激し、涎をたらして喘ぐ顔にまた催し、奥の奥まで突きまくりました。 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッぁあ」 ダミアンが果てるのと貴方が達するのは同時。 しっとり汗ばんだ茶髪を散りばめ、射精の余韻で痙攣するダミアンの目から、理性の光が蒸発していきます。 直後、小屋の扉が蹴破られました。 「リルケ村の薬師ダミアン・カレンベルク、異端の容疑で逮捕する」 怒涛を打って雪崩れ込んできたのは異端審問官の一行。 陣頭指揮にあたる男が朗々と罪状を読み上げ、役人に命じてダミアンを捕縛し、貴方を引き離しました。 下半身を露出した貴方を苦々しげに一瞥、審問官が吐き捨てました。 「噂は本当だったか、汚らわしい」 ダミアンがなりふり構わず暴れ狂い、押し倒された拍子に撒かれた薬草を暖炉に蹴り込みました。 刹那、ボッと炎が膨らみました。 「逃げろ!!」 審問官たちが気圧された隙を突き、全速力で部屋を突っ切り、窓から脱出しました。 「魔女の下僕が逃げた!」 「捕まえろ!」 貴方は逃げた。 師匠を見捨て。 ……落ち着きました? あ~あめちゃくちゃですよ、こんなに散らかしちゃって。アインス・ツヴァイ・ドライで指ぱっちん、元通り。 誤解なさらず、責めてるんじゃありません。 貴方は錯乱していた。 力ずくで事を終えた後、愚にも付かない罪悪感に駆られたんでしょ? そんな時に異端審問官ご一行様に踏み込まれたらそりゃあねえ、びびってケツ捲って逃げ出しますよ。 ダミアンは体を張って可愛い弟子を逃がした。 彼が暖炉に蹴り込んだ草の実は火中で弾け、審問官一行を脅かすのに成功した。 小屋を後にした貴方は夜通し道を駆け、逃げて逃げて逃げまくりました。 飲まず食わずでどれだけ歩いたでしょうか。峠道で行き倒れた所に、同胞の馬車が通りかかったのは僥倖でしたね。 親切な旅芸人一座は衰弱しきった貴方を介抱してくれました。 一週間もする頃には回復し、体を動かせるようになります。 人心地付いた貴方がまず真っ先に心配したのは、異端審問官に囚われた師匠の安否でした。 貴方は旅芸人一座に男魔女の消息を聞きました。すると簡単に所在が割れました。 「ああ、リルケの村外れで薬師をやってた若いのだろ?今は修道院の牢に捕まってるよ」 「自白したのか」 「さあねえ、そこまでは」 ダミアンはまだ生きていました。辛うじて。 心の底から安堵しました。貴方は師の救出を誓い、旅芸人一座と別れた足で隣町へ赴き、夜闇に乗じて修道院に忍び込みます。 潜入に際しては一人旅をしていた頃に培った、コソ泥の技術が役立ちました。 修道院の間取りはどこも似ています。 牢屋は大抵地下です。 柱から柱へ物陰を縫い進む最中、ふいに固い靴音が聞こえてきました。 「審問官様の気まぐれにゃまいるよなあ」 「人払いしてじっくりお愉しみだとさ」 「随分とあの男魔女にご執心じゃねえか、個人的な因縁でもあんのかね」 ダミアンは地下牢にいる。 審問官と一緒に。 どうようもなく不吉な胸騒ぎが募り、衛兵たちが離れるのを待って素早く移動します。 もうすぐ会える。 どうか無事でいてくれ。 狂おしく念じて石段を下り、饐えた匂いがする牢屋に辿り着きました。 鉄格子の奥には闇が立ち込めています。 「ダミアン・カレンベルク」 威圧的な声が殷々と反響し、ランプの仄明かりに恐ろしい光景が浮かび上がりました。 ああ、それは。 それは恐ろしい光景で。 「いい加減白状する気になったか」 地下牢の中には二人の人間がいました。片方は壮年の異端審問官、片方は上半身裸で逆さ吊りにされたダミアン。 足と腕を縛られ、樽に浸けられていました。 「うぐっ、げほっ、がっ」 審問官がゆっくりリールを巻き上げます。 無骨な鎖が軋み、ダミアンの顔が水面上に出ました。裸の上半身には鞭打たれた痕が痛々しく刻まれています。 「しな、い」 「そろそろ胃袋がはち切れる頃合いだが、まだ飲み足りないらしい」 審問官が酷薄に笑い、またしてもダミアンを水に沈めます。腕と足を縛られていては抵抗できません。 がぼがぼ、がぼがぼ。 やめてくれ。 もうよせ。 認めちまえ。 魔女だと認めさえすれば拷問は終わるのです。 「強情な男だな」 再びリールを巻き上げ、濡れ髪を張り付かせたダミアンと向き合い、審問官があきれました。 「さっさと告発しろ」 え? 「……しら、ない。魔女は僕だけ……あとは普通の人間……」 「そんなはなずない。ヴァイオリン職人の娘はどうだ、男に色目を使うのが好きな」 「彼女は、普通の、女の子だ。最近失恋した」 「ハンスの上の娘は」 「あの子も普通、の……きょうだいの面倒をよく見る……」 息も絶え絶えに言葉を紡ぐダミアン。業を煮やした審問官が舌を打ち、捕虜を石床に落としました。 ダミアンはとうに魔女だと認めていました。 拷問が長引いているのは、隣人の告発を拒んだから。 「お前を告発したのはそのハンスだぞ。赤ん坊を呪ったそうじゃないか」 「違、ぐっ!」 脇腹に靴の先端がめりこみました。あばらが折れたかもしれません。審問官は暴力がもたらす高揚に酔い痴れ、続けざまダミアンを蹴り飛ばします。 「男の身で産婆術を物し媚薬を煎じるとは、カトリックの教えに背く悪しき振る舞いだ。悪魔と乱交したか?家畜と番ったか?」 「がほっ」 鎖が這いずる音が響き、ダミアンが激しく噎せ、大量の水を吐きました。 まだだ。 まだ駄目だ。 地下牢は施錠されており、今飛び出した所で共倒れは避けられません。 手のひらに爪が食い込む痛みで理性を保ち、息を殺して機を伺い続ける貴方の耳に、審問官のため息が届きます。 「頑固だな。一週間ぶっ通しで痛め付けて吐かないとは、あのツィゴイネル女以来だ」 落雷のような衝撃が背筋を貫きました。 ランプの明かりが暴いた審問官の素顔は、数年前に見た、母の敵のものでした。 石床に倒れたダミアンの顎を上向け、審問官が囁きました。 「ヤツも最後には折れた。息子を拷問にかけると脅したら効果覿面。さんざん嬲りものにしても靡かなったのに」 魔女狩りの対象にはツィゴイネルも含まれました。 貴方のお母上は異端審問官に捕まり、一週間の拷問の末、火炙りに処されました。 当時滞在していた村の人間に告発されたのです。 いうまでもなく冤罪でした。ゾラさんの美貌を妬んだ主婦の計略。 身内から魔女を出したキャラバンは解散を余儀なくされ、魔女の息子は追放されました。 疑わしきは罰せよ。 それが魔女狩りの不文律。 ダミアンの顔を手挟み、審問官が猫なで声で言い聞かせます。 「可哀想に、凍えてるじゃないか。水責めはこたえたろ?たらふく飲んだものな」 それからまた離れ、炉で炙った焼き鏝を持って戻り、裸の背中を踏み付けました。 「温めてやる」 焼き鏝が灼熱の蒸気を噴き上げます。 地下牢に絶叫が響き渡り、真っ赤な烙印を捺されたダミアンがのたうち回ります。 「さあ吐け」 「しら、ない。関係ない」 「誰が魔女だ」 「僕だ。僕だけだ」 「他にもいるはずだ。庇い立てするな」 ジュッ。肉が焼ける音。絶叫。真っ赤な烙印。鼻孔を突く悪臭。こみ上げる吐き気。 貴方は階段の側壁に隠れ、地下牢で行われる惨たらしい拷問に目と耳を覆い、時が過ぎるのを懸命に待ち侘びました。 どうして。 わかりません。 あの村の連中に庇い立てする価値などないのに。 「うっ、ぐ」 えずくダミアンの肩甲骨に、背中の中心に、臀の丘陵に烙印が捺されました。 「ネタは割れてるんだぞ。お前が飼ってたツィゴイネルの小僧……アレも悪魔だろ。どっちが先に誑し込んだ?お前か、アイツか?村の連中が証言したぞ、アイツもお産を手伝ったそうだな、臍の緒は呪術の材料にしたのか」 「あの子は、赤の他人だ」 君は僕の弟子だ。 「何年か前に拾って、とるにたらない雑用を任せてたんだ。恩を売った分だけタダ働きしてくれて、使い勝手のいい下僕だったよ。ああそうだよ、召使いにするんじゃなきゃ誰がツィゴイネルなんか……所詮強請りたかりを生業にする野蛮な連中だ、あんな餓鬼に魔術の深奥がわかるもんかサバトに列する資格もない!」 ダミアンが狂った哄笑を上げ、脂汗と汚れにギト付く顔で宣言しました。 「よく聞け審問官、あの村の魔女は僕だけだ!僕こそ赤ん坊を呪い殺した張本人、村がおかしくなった元凶はダミアン・カレンブルクをおいて他ない、愚鈍な村人や居候は一切関係ない、連中が魔女なんて馬鹿も休み休み言えよ、あんな単細胞どもに他人を呪い殺す力と知識があるわけないだろ、これは我が主が僕にだけ授けた特別な力、神をも凌駕する万能の権能だ!凡愚の浅知恵で貶めるとは恥を知れ!」 凄まじい剣幕に気圧された審問官が、フンと鼻を鳴らしました。 「よろしい。ならばサバトの様子を申し述べよ」 「……」 「どうした。早く。悪魔と交わったんだろ」 低い恫喝。 ダミアンは俯きます。 「僕、は、悪魔と交わった」 「具体的に」 「……真っ黒な山羊の姿をした悪魔と……十年前から……最初は夢に現れて、それ、で」 「尻を貸したのか?」 「抱かれた」 「何回?」 「何度も。数えきれない位。毎晩のように身を捧げた」 「おさかんだな。居候は気付かなかったのか」 「彼は何も……ッ、ぐ、隣のベットで。僕、は、犯された」 「悪魔のイチモツはさぞでかいだろうな。人間と同じ形状をしてたのか」 「牡鹿の角、のように、固く、て、瘤がゴツゴツして、絶頂が止まらなッ、い」 審問官が舌なめずりし、ダミアンの後ろに回り込み、両脚をこじ開けました。 「どれ、調べてやる」 「~~~~ッあぁっ」 見たくない。 やめてくれ。 願い虚しく視線の先でダミアンが凌辱されます。 審問官が肛門にツプリと指を突き立て、前立腺のしこりを意地悪くピストンします。 「初物ではないな。やはり小姓と……」 「ちが、うっ、相手は悪魔、だ」 「村人たちが噂してたぞ、夜な夜な背徳に耽っていると」 「誤解だ、ッあンっぐ」 「助手は建前、本当は稚児じゃないのか。お前たちは出来ていた。故に所帯を持たず、夜毎乳繰り合っていたのだろ」 今漸く、ダミアンが独り立ちをほのめかした理由を悟りました。 異端は罪。 男色は罪。 男の身で薬師を務めるだけで白い目で見られるのに、この上師弟の仲まで疑われたら打撃を被るのは貴方。 下世話な噂話が届かなかったのは、ダミアンに守られていたから。 「これは異端審問だ。お前が悪魔と番ったかどうか、奥の奥まで暴いて確かめてやる」 鎖が軋みます。 審問官がリールを操り、再びダミアンを吊るし上げ、勃起した男根を打ち込みました。 「あッ、が」 「淫らな体だな。悪魔が虜と化すわけだ」 次第に喘ぎ声が高まり、抽送のスピードが上がっていきます。 審問官は時折ダミアンの背や臀を鞭打ち、それと連動する括約筋の食い締めを楽しみ、固く太い剛直を根元まで埋め、かと思えば真っ赤に爛れた烙印をぴちゃぴちゃ舐め回し、萎縮しきった青年の陰茎を律動に合わせしごきたてます。 「ぁッ、ぁッ、ふぁんっ、ぁあっあ」 魔女が被虐の官能に目覚め、肛虐の快感に慄き、陰茎が雄々しくそそり立ちます。 鈴口からは粘り気帯びた濁流がとぷとぷ滴り、赤らんだ顔は淫らに蕩け、肉棒が抉り込まれる都度鎖が複雑に絡まり、水浸しの裸身が艶めかしく踊り狂います。 「魔女め。何をした」 「靴職人、のッ、ふぁ、ハンスの息子、のッ、あ゛ぁ゛っ、ペーターを呪い、ました」 「それから」 「ハンスの、ンん゛っ、奥さんのッ、マルガレーテを、ぁああッ、呪いましたっ」 「それから」 「村人、たちのッ、ぁあ゛ンっ、家に、ぁあっああっ、まじないをかけました」 「それから」 「夜な夜な家畜小屋に忍んで、ンっぁっ、鶏を盗みまし、たッ」 「それから」 「生贄の血で、ぁがッ、ぁ゛ああッ、魔方陣を描いて、ふう゛っ、悪魔と契約、しました」 喘ぎ声。 打擲音。 絶叫。 水音。 貴方は泣いていました。 膝を抱えて。壁に凭れて。完全に子供返りして、ただ泣いていました。 無理矢理言わされてるんだ。 全部全部本当じゃねえ、真っ赤な嘘だ。 ダミアンは優しい人で、大好きな師匠で、あそこで鞭打たれてよがってる魔女とは違うんだ。 目を背けないで。 ほら、審問官がダミアンを抱え上げて股をこじ開けます。 「これぞ魔女に与える鉄槌だ!」 審問官は三度ダミアンの体内で果てました。 男色は異端。 しかし、誰も見ていなければ? 相手が魔女なら。 罪人なら。 これから火炙りにされる人間なら、よしんば舌を抜いてしまえば、何をしようが口外の心配いらず。 欲望赴くまま捕虜を凌辱し尽くした審問官は、ぐったり倒れ伏した青年に唾を吐き、地下牢の鍵を開けました。 「処刑は明日だ」 硬質な靴音が近付きます。樽の影に隠れやり過ごし、審問官を見送って地下牢に駆け寄り、鉄格子に縋り付きました。 「しっかりしろ。生きてるか?」 「ぁ……」 呼びかけに応じて薄っすら目を開き、鉄格子の隙間から手を伸ばし。 「ごめん、俺……ひとりで逃げた……」 ボロボロの手を両手で包み、額に押し当てた刹那、か細い声が聞こえました。 「ゾ、ラ」 久しぶりに聞く、母の名前でした。 「ごめん。守れなかった」 ダミアンの下肢は血の赤と精液の白に彩られていました。 「愛してた……本当に……」 ダミアン・カレンブルク。 まさかと思いました。 亡きお母上の旅路を遡った理由は巡礼にあらず、実の父を捜す為。 ゾラさんを孕ませた男を突き止め、復讐するのが目的でした。 だってそうでもしなきゃ、ててなし子を産み育てた苦労が報われず、魔女として処刑されたゾラさんがあんまり哀れじゃないですか? ダミアンが貴方の手を握り、目を閉じ、囁きました。 「僕のことは忘れて。逃げるんだ。どこまでも」 最後に息子の名前を呼びます。 「なん、で。今さら」 弟子でいたかった。 慕っていたかった。 憎悪の苗床に殺意が芽吹き、なのに想いは遂げられず、ダミアンの首に添えた手はまるで力が入らず。 「愛してる、から」 血痰が絡んだ声で。 「もういって。見回りが、来る」 男色は異端。 近親相姦は異端。 息子が父を犯すのは当然異端。 残酷な現実に耐えきれず、またしても逃げました。 母の形見のヴァイオリンを取りに戻る暇はありません。よしんば既に押収されたか壊されたかで原形を留めてないはず。 山をこえ谷をこえ逃げて逃げて川を渡りまた逃げて、物乞いをし体を売り旅費を稼いでまた逃げて、実の父を抱いた悔恨と恩師を見殺しにした罪悪感とまだ断ち切れない未練からもひたすら逃げ続けて。 十年後、村に帰りました。 森の奥の小屋は既に廃墟と化し、蔦と雑草に飲まれようとしています。 嘗て賑やかだった村は流行り病で滅び、ひっそり静まり返っていました。 ダミアン・カレンブルクは十年前に隣町の広場で処刑され、遺灰は川に流されました。 貴方が生き延びたのは偏に幸運の賜物。 体を売り、物乞いをし、数年経った頃にツィゴイネルのキャラバンに拾われ、そこでヴァイオリンを弾き始めました。 現在はキャラバンの子供たちに読み書きを教えています。教え子がたくさん出てきました。誰が貴方の一番弟子か競い合っています。 ダミアンの言うとおり、読み書きや算術を身に付けたおかげで世渡りが上手くなりました。 住人が死に絶えた村の跡地を歩き、自然豊かな森に踏み入り、嘗て暮らした廃墟にたたずみます。 瓦礫をどけて探したものの、やっぱりヴァイオリンは見付かりません。 小屋は骨組みだけになっていましたが、石段の先の地下室は現存していました。 崩落寸前の階段を慎重に踏み締め、半ば外れた戸を蹴破り、十年ぶりに貯蔵庫を開放します。 「!ッ、」 瘴気を可視化した黒い霧が吹き抜けました。 否、違います。 高音域の奇声を上げ、地下室に巣食っていた蝙蝠とネズミの大群が逃げ出したのです。 勇を鼓して敷居を跨ぎ、埃っぽく黴びた空気に咳き込み、朽ちた梁にぶら下がる蜘蛛の巣を薙ぎ払います。 床には干からびたネズミの死骸や糞が散らばり、嘗ての面影など偲ぶべくもなく荒廃しきった惨状に胸が痛みました。 ダミアンは……当然いません。 天井に張り渡されたロープにはボロボロに乾燥しきった薬草が干され、調合用の窯は錆び、炉には堆く灰が嵩んでいました。 図鑑も写本も全て異端審問官に押収されてしまったようです。 足元を見下ろし、息を飲みます。 石床に黒ずんだ塗料で記されていたのは、円と五芒星に呪文を組み合わせた魔方陣です。 ダミアンは地下にこもり、これを描いてたのか。 だから立ち入りを禁じたのか。 試しに縁をなぞり、鼻に近付けて匂いを嗅ぎ、塗料の正体が古い血だと看破します。 人間の? 否。 「|魔女《ヘクセン》」 家畜泥棒はダミアンでした。 彼は鶏の首を切り落とし、滴る血で魔方陣を描き上げたのです。 あの人は、師匠は、やっぱり魔女だったのか? 悪魔や家畜と交わり、邪悪な術を行使して、村を滅ぼした元凶なのか。 牢でよがる裸身が瞼に浮かび、|邪《よこしま》な疑念に動悸がします。 魔方陣の中心に立ちぐるりを見回すと、北壁の一部に違和感を覚えました。 『僕なら予め隠し場所を決めて、それでやりとりするかな』 『たとえば?』 『地下室北側の壁のへこみ。一か所だけ煉瓦が緩くなってる』 もしやと手をかければあっさり外れ、空洞から羊皮紙の束が出てきました。 それは魔女として裁かれた男の手記でした。 ダミアンの奇行には理由がありました。 彼は村に大繁殖したネズミが病原菌を媒介してると見抜き、ネズミが苦手とするハーブを家々に置いて回ったのです。 日中出歩けば石を投げられる。 ならば隠密行動しかない。 毒草は使い方次第で殺鼠剤になる。 大前提としてダミアンは魔女と疑われており、親切心からハーブを配り歩いても追い払われるのがオチ。夜中に忍んでいくしかありません。 手記にはご両親の馴れ初めも書かれていました。 出会いは二十五年前、彼が住む町にゾラさんのキャラバンが訪れました。 領主の三男坊ダミアン・カレンブルクは、祭りで歌い踊るゾラさんに一目惚れします。 ふたりは相思相愛でした。 「嘘だ」 まだ続きます。 当時十四歳のダミアンは世間知らずな少年でした。身分違いの恋に落ちた挙句、ツィゴイネルの娘と結婚したいと掛け合った事で父の逆鱗にふれ、キャラバンは追い立てられました。 ダミアンが知った時には既にゾラは去っていたのです。 ああ、漸く腑に落ちました。 ダミアンと愛し合い孕んだとして、それを認めてどうなります? 町の住人に穢された被害者から一転裏切り者と謗られ、親子ともども追放が関の山。 ツィゴイネル女に入れ上げた不肖の息子を、領主は修道院に放り込みました。 しかしダミアンは諦めず、ゾラさん会いたさに修道院を脱走し、すぐ路頭に迷います。 その後薬師の老婆に拾われ、修道院で育てていた薬草の知識を生かし、仕事を手伝うようになりました。 『ゾラの名前はロマの言葉で夜明けをさす。綺麗な響きだ。僕たちの子にもロマの名前を付けたい』 『あの子の名前は僕が考えた名前と同じ。偶然だろうか』 『ハンスの赤ん坊が死んだ。僕は無力だ』 『こんな事になるなら立ち合わせるんじゃなかった。責められるのは僕だけでよかった』 『また救えなかった』 『教会の教えに背いたから?間違った事はしてないはずと信じたい。目の前に助けを求める人がいて、応じる知恵さえあれば、それをさしだすのは正しいことだ』 後半に行くに従い筆跡は千々に乱れ、汗と涙の跡がインクの字を暈し、苦悩の色合いを強めていきます。 『すまない、巻き込んでしまって』 『許してくれ』 それは懺悔録でした。 『体を売ってた事は最初から知っていた。下半身に酷い裂傷を負っていたから』 『やっぱりゾラと似ている。気のせい?わからない……初恋の人の面影を重ねてるだけ?』 『彼女は今どうしてるのかな。どこか遠くで幸せに暮らしていてほしい』 『僕の事なんか忘れて幸せになってほしい。駄目だ、やっぱり覚えていて。忘れないで』 『村の人たちに頼ってもらえるのは嬉しい、居場所ができた感じがする。でも……本心から打ち解けあうのは難しい。昔からそうだった。僕は引っ込み思案の人見知りで、言葉の裏を読むのが下手だ。あの子といる時だけ心が安らぐ』 『僕は間違ってない』 『間違ってない』 『間違ってない』 『間違ってない』 『ごめんなさい』 『キスしたから?触れたから?』 『間違っていた、かもしれない』 『巻き込んですまない。どう償えばいいかわからない』 羊皮紙を握る手が小刻みに震え、ぽたぽた雫が弾けます。 『でも、愛していた』 息子のように。 『愛してる。今でも。たとえ僕が魔女で君が魔女の弟子でも、この気持ちには偽りない』 羊皮紙を握り潰し。 「アンタが間違ってんなら、そんな世界滅ぼしてやる」 地獄で焼かれるさだめでも。 「|魔女の弟子《ヘクセン・シューラー》の名にかけて」 十年前、地下牢で目撃した光景が忘れられません。 師を辱め火炙りにした審問官に報復を。 報復を。 報復を。 地獄すらぬるい報復を! 斯くして、貴方は呼ばれました。 顔を上げなさい、ダミアン・カレンベルクの一番弟子……ミルセア・カレンベルク。 『魔女に与える鉄槌』の著者、ハインリヒ・クラーマーの暗殺を企てた男。 気の毒に、暗殺は失敗しました。下調べは万全だったのに時と運が味方せず、ね。 貴方は獄死した。 遺灰は川に流された。 お父上と同じ末路です。 そうですか、思い出しましたか。 貴方は復讐の炎に身を焼き焦がし、魂を悪魔に売り、息絶える間際に願ったのです。 ハインリヒ・クラーマーに与える鉄槌を。 僕は、ね。こうみえて誠実なんです。あの男には死さえぬるい。簡単には殺しません、それじゃ貴方や犠牲者が浮かばれない。 ハインリヒ・クラーマーの晩年をご存知ですか? 結論から言えば、あの人ちょーっと調子に乗りすぎたんですよ。神と教会の威光を騙り、好き放題やりすぎた。 容赦のない拷問、弁護の禁止、審問記録の改竄。 クラーマーが処刑した魔女の中に一体どれだけ本物がいたんでしょうねえ? クラーマーの悪行は市井の人々のみならず貴族や王族の反発を招き、ブレッサノーネの司教ゲオルク二世ならびにゴルザーの不興を買い、立ち退きを要求されました。 晩年のクラーマーは耄碌して狂ってるように見えたと、ゴルザーは友人に宛てた手紙で語っています。 スンミス・デシデランテス・アフェクティブス。 このうえない熱情をもって願わくば。 魔女狩りの発令にあたり、インノケンティウス八世が教皇勅書にしたためた序文です。 このうえない熱情をもって願わくば。 世界が復讐を望むなら、悪党の脳髄を焼き滅ぼすなどお手の物。 ハインリヒ・クラーマーに安息はいらない。 瞼を閉じるたび地獄を見て、仮初の死を死んで、永遠に苦しみ続けるのがお似合いです。 |夜明け《ゾラ》が生んだ|世界《ミルセア》、それが|貴方《ロマ》の本当の名前。 美しい名前を貰いましたね。 既に契約は交わしました。貴方の願いは叶った。どのみちクラーマーほどの大物なら僕のお仲間がほっとかないでしょうが、それはそれとして。 アインス・ツヴァイ・ドライ! 一曲弾いてください。 待て、なんでこれがここにあるのかって?え~それ突っ込むかあ、面倒くさいなあ絶対怒るし。 怒んない?約束する?本当? ……じゃあ言いますね。 僕ね、ダミアンと取引したんですよ。 貴方たちが一線こえる前夜に。 貴方はダミアンの潔白を信じてた。 実際彼は能うかぎり清く正しく在ろうとしましたが、先代はそうでもない。 彼女こそ生粋の魔女。 ダミアンこそ本物の魔女の弟子。 さしずめ貴方は魔女の又弟子ってところでしょうか。 しかしダミアンはもうどうにもならなくなるギリギリまで、師匠直伝の魔術に頼ろうとしなかった。 禁忌を破り悪魔を呼び出したのは、愛弟子の助命を嘆願するため。 『僕は魔女の弟子として裁かれるけど、ミルセアには人として生きてほしい』 『もったいぶった言い回しですねえ。お弟子さんを助けてほしいと?』 『そうだ』 『貴方のお弟子さんは明日異端審問官に捕まって獄中死する運命ですよ』 『それを変えてくれって頼んでる』 『代償は』 『僕の魂。寿命全部』 あはっ、今頃お気付きになられました? 例の魔方陣はね、僕を呼び出す為に描いたんですよ! ダミアンは貴方の代わりに死んだ。 ええそうです。 本来死ぬべきは貴方、男魔女として裁かれるはずだったのはツィゴイネルの私生児ミルセア。 何故って、条件は揃ってるでしょ? お母上は魔女として火炙りになった。赤ん坊の臍の緒を切った。貴方が来てからダミアンはおかしくなった。ツィゴイネルのガキが誑し込んだと村人は勘繰る。 何より村中の女の視線を独占するほど美しい。 美もまた異端の証、災厄の先触れなのです。 靴職人のハンスが告発したのはダミアン・カレンベルクでなく、その弟子のミルセアでした。 さすがのハンスも長年世話になった恩人を売るほど落ちぶれちゃいなかったんですよ。 僕はダミアンに頼まれ、人々の記憶をすこぅし書き換えました。 地下牢で目撃した光景は、審問官に拷問されるのは、本来貴方のはずだったんですよミルセアさん。 ねえ、本当に気付いてます? 「愛していた」とゾラさんを過去形で語った彼が、「愛してる」と貴方に言ったわけが。 どのみち身代わりは立てなきゃいけない。ふたりとも救うのは不可能。 幸い……というべきか否か、地下室の魔方陣が決定的な証拠になってくれました。 でっち上げの手間すらいりません。 貴方の師匠は貴方を助ける為に悪魔に魂を売って、魔女になったんですよ。 ……はは、ははははははははははははははははっはははっはは! 殴って気が済みましたか?次はどうします、首でも締めます!?それで気が済むならお好きにどうぞ、僕の頭をかち割ってご覧なさいな!ダミアンがいなきゃね、貴方は十年生きられなかった! 僕にしちゃあ全くあっぱれな大盤振る舞いですよ、あれっぽっちの寿命足しにもなりゃしない、だからヴァイオリンかっぱらったんです! ぶっちゃけファンだったんです、こっそり聴いてたんです、だけど残念僕には演奏の才がない、貴方が弾かなきゃコイツはただのがらんどうだ! ……はあ~、あてが外れました。折角苦労して手に入れたのにがっかりです。 ダミアンは今どこに? 知りたい? 地獄、とでも言えば満足ですか。 そりゃま、悪魔と取引したんだから地獄に落ちるのが妥当ですね。覚悟の上ですよ。 鎮魂歌を一曲いかがです? ……嗚呼、至高の調べだ。貴方のヴァイオリンは世界を音楽に訳す。 全くもったいない。 与えられた十年を使って、ヴァイオリニストでも目指せばよかったのに。 復讐がくだらないとは言いません。 でも僕は、貴方が紡ぐ世界をもっと聴きたかった。ファンだもの。 あるいはダミアンもそれを望んだのか。 貴方がいかに優れたヴァイオリン弾きでも、一介の薬師風情に推薦するコネはない。 そこいくとエルマー親方は腕っこきのヴァイオリン職人、贔屓筋には音楽家が多い。 調律の延長で彼等に演奏を聴かせる機会があれば、職人以外の道が開ける可能性もないとはいえない。 過ぎたことですけど。 目を閉じて。 風を感じて。 麦穂が揺れる。馬車が駆ける。馬が嘶く。エリカの丘陵を吹き渡る風が大小無数の村や町を抜け、村外れの小屋の戸を叩き、今漸く在るべき場所に帰ってきました。 「ミルセア」 懐かしい声が響きました。 言ったでしょ? 弾けないヴァイオリンなんて無用のガラクタ、驚異の部屋には要りません。 そこでコペルニクス的転回、悪魔的発想の帰結。 |希少価値《レアリティ》を高めたくば、高潔な魂を封じれば良いのです。 守護霊が弾き手を選ぶヴァイオリンとくれば、驚異の部屋の展示物に十分な資格です。 僕は悪魔です。 とはいえ、血も涙もある。 選択肢を提示します。 二人揃って地獄に落ちるか、共にヴァイオリンに宿って驚異の部屋に飾られるか。 どっちでもいいですよ。 地獄に落とせなきゃ僕の手柄になりませんけど、その代わり超レアなヴァイオリンが手に入るんで、ぶっちゃけどっちに転んでも美味しいっていうか損はない取引です。 答えが出たようですね。 ま、「世界」というには些か手狭ですけど退屈だけはさせないってお約束します。 此処は|驚異の部屋《ヴンダー・カンマー》。 時にお客様を送り出し、時に展示品に替え、飾り直す場所。 またのお越しを心よりお待ちしています。

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