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前編
華の金曜日とは言いつつも、ハラスメントに敏感な最近の世の中では就業後に連れ立って居酒屋へと向かう光景はずいぶんと減った。
定時を迎えると俺の周囲の人たちは次々に席を立ち、お疲れ様でしたぁと間延びした声を出してフロアを去っていく。俺もその流れに乗りたいところではあったが、あいにく週明け朝イチで使う資料を完成させておく必要があった。
「高橋、まだ帰れそうにない?」
同期の斉藤が帰り支度をしながら声を掛けてきた。
「そうだな、まあでも終わる目処は立ってるから大丈夫そう」
「ならよかった。んじゃ、お先するな」
「お疲れ」
入社して同じ企画課へと配属になった斉藤とは持ちつ持たれつな関係だ。お互いに仕事の進捗を確認し、手伝えることがあったら手分けして作業する。波長も合った良い同期に恵まれ、斉藤のおかげで今までもずいぶん助けられた。
フロアは一気に人が減り、残業しているのは10名くらいだろうか。キーボードを叩く音や電話対応をしている声が一気になくなると、がらんとしたフロアになんとなく開放的な気分になる。
給湯室でインスタントコーヒーを淹れてデスクに戻り、8割ほどできあがった会議資料と対峙し気合を入れ直した。
「よし、あと少し」
ひとり呟いて作業を再開した。今日は金曜日、帰宅したら歳下の恋人が待っているはずだ。心なしかキーボードを打つ手が速くなる。
資料作成はつつがなく終えることができた。データを保存し、パソコンの電源を落とす。フロアにはまだ2、3人程度残っていたので、声をかけてようやく帰路つく。
帰宅ラッシュはずいぶん前に過ぎたであろう電車内は、残業終わりの疲弊した身体を電車の揺れに委ねる会社員や、居酒屋で晩酌を済ませたほろ酔いの大人たちでまあまあの混み具合だった。
ドア付近の手すりに身を預ける格好でスマホを覗くと、新着メッセージを知らせる通知がきていた。アプリを開くと、自分が送った残業を伝えるメッセージの下に了解のスタンプ、続けて「気をつけて帰ってきてね」という一文が添えられていた。他愛もない恋人とのやり取りに、仕事の間引き締めていた表情がようやくゆるんでいく。
電車を降りたらもう22時になろうとしていた。
帰宅途中のコンビニに寄り、真っ直ぐにデザートの冷蔵ケースへ向かう。お目当てだったクリームの乗ったプリンと、新発売のシールが貼られたショコラムースをカゴに入れた。お酒はまだ冷蔵庫にあったはず…と、うろ覚えな自宅の冷蔵庫内の記憶を呼び起こし、紙パックのお茶とペットボトルの水をカゴに入れる。
レジへ向かう途中、コンドームを買うべきか…と一瞬迷ったものの、たしかまだ残っていたはずだと曖昧な記憶を無理やり確信へと変えて会計を済ませた。
コンビニから自宅へ向かう間もやはりコンドームを買うべきだったろうか、と少々後悔した。大人としてのマナーを守りたい気持ちと、コンドームから連想される行為に期待している自分を否定したい気持ちが拮抗していた。
こんなくだらないことを気にしてしまう自分に嫌気が差し、仕事の疲労で判断力が鈍って気弱になっているだけだと言い聞かせて、少々大股に歩いて自宅へ向かう。
「…ただいま」
「あ、おかえり!」
恋人のハルキが奥からひょっこりと顔を出し、俺の姿を目で捉えるなりタレ目が特徴的な満面の笑みで出迎えてくれた。大型犬さながら近寄ってきて、しっぽがあったら千切れそうなほど振りまわしている様子が想像できそうなほどだ。
俺よりも15センチほど背が高く、着痩せするらしい身体は抱擁すると意外としっかりした厚みを感じる。
ハルキはもうシャワーを済ませたのか、栗色のさらりとした髪の毛からシャンプーの香りがして、どきりと胸が高鳴ってしまった。
「残業お疲れ様」
「ん、ありがとな。デザート買ってきた」
「やった! 冷蔵庫入れるね、あとで一緒に食べよう」
ハルキは俺の手からコンビニの袋を受け取り、夕飯も簡単に準備してたよと言いながら部屋の奥へと戻っていった。
ハルキと付き合ってからもう4ヶ月が過ぎたらしい。合鍵を渡してからは度々このように夕飯を準備して俺の帰りを待ってくれたりする。この前三十路を過ぎてオジサンへの一途をたどる俺を好きだというハルキはまだ大学生だ。いつもダダ漏れの感情をまっすぐぶつけてきてくれる歳下の彼を、可愛く、愛しく、心地よく思っていながら、まだ彼の愛情を完全に享受しきれずにいる。
「今日ね、店長がまかない多めに作っちゃったって、お裾分けもらったんだ」
「へえ、からあげ? ハルキのとこの料理美味しいもんな」
「あとレバニラも! ショウヘイさん、ご飯どれくらい食べる?」
「普通盛りで」
スーツのジャケットをハンガーに掛け手を洗ったりいている間、ハルキが夕飯の準備をしてくれて、ローテーブルにお裾分けのお惣菜とご飯を並べておいてくれる。2人掛けの簡易ソファの右側にハルキが着席し、左側に俺が着席。なんとなくこれが定位置になっている。
「いただきます。…あ、そうだ。来週出張入っちゃって、出掛けるの無理になった」
「ええ、そっかあ、仕事ならしょうがないか…」
ハルキがしょぼしょぼと残念そうな顔をして、耳としっぽが垂れていくのが見えるかのようだ。惚れた弱みか、それがまたかわいく見えてしまう。
「でも再来週、有休もらうことにしたからさ、そのとき出掛けよう」
「まじ? やった! 俺もバイトのシフト確認する、また日にち相談しよ!」
今度は一瞬にして表情を明るくし、優しい垂れ目がこちらに向けられる。俺の右側に座るハルキは纏う空気すら振るわせるほどに感情表現が豊かで、その一喜一憂する姿を見てついつい楽しんでしまう。こういう隠せない性格が、ハルキの良いところで俺も安心できる。
目の前の壁側に鎮座するテレビからはニュースが流れているが、音量は控えめ。時事ネタを掴むよりも、ハルキがバイトしている中華料理屋の話を聞いたり、大学の友達の話を聞いたり、たまに俺の仕事の話をしたり…ささやかな夕飯は心も空腹も満たされていく。
「ごちそうさま! 食器洗っておくから、ショウヘイさんシャワー浴びてきなよ」
「いや、俺が洗うよ」
「いいから、残業で疲れてるでしょ」
にこやかにそう言われ、ありがたく甘えることにした。
時計はだいたい23時を表示していて、夜はまだこれからなのだ。ハルキと最後に身体を重ねたのは、ちょうど一週間前。まだ付き合いたての俺たちは、それなりに相手を求めたい時期でもある。身体を重ねることで、ハルキがこんな俺を求めてくれることで、繋がっていることで、自分の存在を確認し安心できる。
10も離れた若き恋人がずっと自分と一緒にいてくれるとは限らない。そんな不安が消えずにいるのも、歳上として余裕がないなといつも思う。
熱めのシャワーで身体を流しながら、これから抱いてもらうであろう身体を清めた。今日は残業で待たせたうえに夕飯だって準備してくれて、いつも素直になれない俺にまっすぐぶつかってくるハルキを想えば、はやく全身で受け入れて気持ちよくしてあげたい…。
そろりと臀部に手を伸ばし、まだ硬くすぼまっているそこをゆるゆるとなでる。つぷり、と中指を沈め、ゆっくり動かした。
自分が気持ちよくなりたいという思いより、ハルキのものではやく満たされたい。そしてハルキを気持ちよくさせたい思いが膨らんでいく。これからベッドの上でいやらしくまさぐられる様を想像し、期待してひどく興奮している。指の動きが激しくなり、熱が集まって充血した屹立は涎をこぼし始めた。
「んっ、ん…ハル…」
体温はみるみるうちに高くなり、荒くなる呼吸に紛れて声が漏れる。
指が1本しか入らなかったすぼまりは、いくらか強引に3本入るほど柔らかくなり、中を掻き回しながらもう片方の手で己の屹立を扱く。先走り汁でぐちぐちと卑猥な音を立てながら、先端をグリッと強めに擦れば呆気なく吐精してしまった。
後ろもだいぶほぐれはしたが、まだまだ足りない、欲しい快楽はこんな表面的なものではない。かえって身体のうずきを助長させてしまい、こんな淫らな自分を恥じた。
洗面所で身体を拭いて、髪も大まかに乾かしたあと、ハルキを迎えるところに少しローションを塗り込んで洗面所を後にした。
浴室から戻ると、ハルキはソファでスマホ片手にくつろいでいる様子だった。
下準備のついでに達してしまったのがバレないよう平静を装いながらハルキに声をかける。
「ハルキ、シャワーは?」
「ショウヘイさん帰ってくる前に済ませた」
もう分かりきっていたことを聞きながらキッチンに立ち水を飲む。そうでもしないとどう声をかけていいのかもよく分からない。しかし本当は、こんなやりとりをする時間すら惜しいほどに、身体はさっきからハルキを求めている。
夜はまだ、これからなのだ。
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