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第1話

平凡な人生を生きてきた。 そこそこの進学校からそこそこの大学へ進学して、大手企業へ就職した。 給料も悪くない。パワハラ上司もいない。 会社への不満も、人間関係の悩みも無い。 「…辞めたい。」 ただ理系の仕事と文系の俺の相性が絶望的に悪いだけだ。 高丘 暁良 25歳 職業:SE(システムエンジニア) 誰もが聞いたことがある企業で、カッコいい響きの職業。 就職活動をしていた文系の俺に人事担当者は言った。 "SEって文系出身者も結構多いんですよ。仕事も多岐に渡るので、個人的には文系タイプって思ってる人の方が向いてると思いますね!" それなりに知名度がある私立大学の文系学部だった俺は、その言葉を真に受けて国内大手ITベンダー企業に入社を果たした。 それから3年。 今日まであの人事担当者の言葉を忘れたことは一度もない。 「詐欺だろ!どこが文系に向いてんだよ!!」 大絶叫をしたところで反応を返す人は1人もいない。 ここは社内にいくつかあるサーバールームのひとつ。 社員でも顔認証を登録した限られた人しか入室が出来ない。 「リカバリできねーよ…。もー…わかんねー…。」 印刷したマニュアルと仕様書を広げて絶望に打ちひしがれた。 放熱するサーバーの温度を下げるため、サーバールームの室内は常に20度以下に設定されている。 1時間もすると身体の芯が冷えてくるが、暑そうにシャツの腕まくりをしている姿は我ながら異様だと思う。 開発しているシステムのデータバックアップとリカバリのテストを任せられた。 万が一の時にデータを復元できるようにするリカバリだが、今のところ全く元に復元しない。 停電だったり予期せぬトラブルが発生したら、客の会社は完全に営業が止まる。 問題解決の糸口さえ掴めないまま2日が経過していた。 「…。………ヤバイ…。」 その言葉を口にすると、極寒の空気と一緒にヒヤリとしたものが足先から襲いかかってくる。 焦りと絶望感を肌で感じ始めて、ドクリと心拍数が跳ね上がる。 少しでも出来ることを考えようとした瞬間、スマホの着信音が響いた。 着信:杉原 遼 スマホに表示された名前は見慣れた同期のもので、方っと息を吐いてからスピーカーで通話を開始した。 狭いサーバールームにようやく自分以外の声が響いた。 『おつかれ。』 「おつかれ…。」 『うーわ、声ヤバいね。癒してもらおうと思ったのに俺より疲れてるじゃん。』 苦笑混じりの優しい声に、張り詰めていた緊張の糸が緩んでいく。 『コーヒー奢ってやるから、とりあえず出てこいよ。』 「…おう。」 手短に通話を終えると、スマホだけを掴んでサーバールームの鍵を解除した。 11月も終わりに差し掛かるというのに、極寒の室温に慣れた身体に冬の気配は暖かく感じた。 フラフラとエレベーターに乗り込み社員向けのカフェフロアを選ぶと、壁にもたれたまま目を閉じた。 上昇する心地良い重力に意識を飛ばしそうになった所で、ポーンと到着を告げる音が響いた。 「おつかれ、暁良。」 柔らかい笑顔でネイビーのスーツをサラッと着こなした長身の男に片手で応える。 「ブラック?」 「…カフェラテがいい。甘いやつ。」 「珍しいな。」 「最近ブラック飲み過ぎてるんだよ…。」 「行き詰まってるな〜。じゃ、先座ってて。」 スタスタとカップの自販機へ向かう背中を見送って、カフェで一番手近な席に身体を預けた。 天井を見上げ、明るい照明から目を隠すように手の平で覆う。 アイマスクみたいで気持ち良い。 テーブルにコトリとカップを置く音で身体を起こすと、目の前に優男が座る。 杉原 遼 26歳 俺と同期入社。 国立大学の理系学部を卒業している。 「…それで?今どうなってんの?」 「データのバックアップはできてるのに、なぜかリカバリできない…。」 「そんなのサポートデスクに聞いたら解決するだろ?」 「まだサポートデスクの契約できて無いから使えない…。もう辞めるか…。」 遼が持つ紙コップから淹れたてのブラックコーヒーの良い匂いがする。 やっぱりブラックにすれば良かったと思うが、今更そんなことは言えない。 「…いただきます。」 「どーぞ。」 砂糖の甘さが身体に染みた。 「ちなみに…遼、やったことある?」 「別のバックアップソフトならあるけど…。俺をアテにするなよ?」 「それでも理系かよー!!」 「出た、理系神話。オマエ、ホントそれ間違ってるからな?理系だからって何でもわかる訳ないだろ!」 理系っていうだけで頭が良く見える。 入社後の研修だって何だかんだ理系学部卒の奴の方が理解が早くて、同期の中でも俺は成績が悪かった。 遼には随分と助けて貰って、こいつがいなかったら俺は既に会社を辞めていたと思う。 「ま、先輩とか詳しそうな人に聞くだけはしてやるよ。」 「そういうとこホント好き!愛してる!」 「はいはい。期待はするなよ?」 人気の少ないカフェフロアで、スマホの振動音が響く。 机に置いた遼からスマホに視線を向けた。 着信:橘 圭佑 「…お疲れ様です。ハイ…。了解デス、すぐ戻ります。………はぁ〜。」 通話を切った瞬間に腹の底から吐き出される溜め息。 「もしかして、例の先輩?」 「…そーだよ。10分後から打ち合わせだと。」 「エッ、今から?!」 死んだ目をする男の背後に見える時計は22:45を過ぎた所だった。 3ヶ月くらい前から一緒に仕事をすることになった橘さんの話を嫌と言うほど聞いてきた。 セットされた髪からして、恐らく客先から戻ってきたのだろう。 今日も愚痴りたかったのだろうが、オレに受け止める余裕も無さそうなのを察して諦めたのだと思う。 「オレも会社辞めるわ…。今回はマジで辞める。」 そう言いながら遼は席を立った。 遼とこんな会話をしたのは今日が初めてじゃない。 入社して3年。 何十回、何百回と言ってきた。 遼もオレも、きっとまだ辞めない。 「頑張れよ。」 「お前もな。」 本当に辞めるときは、案外誰にも伝えないんじゃないかと思う。 席を立つ遼の目に先ほどとは違うギラついた光が灯っているをこっそり確かめた。 俺にもあんな光があるのだろうか…? (無いな…。) 野心や向上心もなく、ただ現状にもがいてるだけ。 「あま…。」 凝り固まった首をグルグルと回したりして、甘すぎるカフェラテを一気に飲み干した。

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