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第2話

遼も打ち合わせが始まった頃だろうか。 生体認証装置に右手を翳し、再び極寒サーバールームへ足を踏み入れた。 所狭しと並ぶサーバーラックは顔も知らない他部署のものだろう。 けたたましく鳴るファンの音が心地良かった。 「さて…。とりあえずイチから見直すか…。」 カフェラテで温まった身体が寒さを感じる前には帰りたい。 印刷したマニュアルの最初にある「前提条件」の項目を見ながらサーバーを操作する。 本当に一つずつ、藁にも縋る気持ちであたり前だと思っていることに見落としがないかチェックをしていく。 前提条件を一つでも満たしていなければ、正常に動作する保証は取れない。 「……問題なし。…そんな上手くいくわけないよなぁ〜…。」 何か間違っていてくれと願ったが、特に問題も無く最後までチェックが終わってしまった。 バックアップ設定を一から見返そうと紙に指をかけるが冷えて上手く動かない。 息を吹きかけて、手を擦っていると…。 コンコン 入り口の窓ガラスをノックする音が聞こえて振り返ると、笑顔で手を振る見知らぬイケメンがいた。 背後には「あけろ」と口パクする遼も。 ガチャリ 「どうも、はじめまして。」 「あ…。どうも。」 内側から扉を開けると長身の爽やかなイケメンと遼がサーバールームへ入ってきた。 ただでさえ狭いサーバールームに高身長の二人が入ってきて一気に窮屈になる。 「遼、こちらの方は…?」 「スペシャリストの市村さん。」 説明を求めるように遼を見ると、そんな返事が帰ってきて首を傾げた。 「杉原の先輩の市村清澄です。スペシャリストではないけど…。あ、名刺いる?同じ会社だからいらないよね?」 「大丈夫です…。」 「リカバリ、困ってるんだって?」 その言葉に目を見開いた。 先程の遼のやり取りが脳裏を過ぎる。 "ま、先輩とか詳しそうな人に聞くだけはしてやるよ。" コートを着たままビジネスバッグを床に置くと、市村と名乗った男は手近な椅子を引き寄せて座った。 初めて入るサーバールームをキョロキョロと見ている遼に心の中で手を合わせて拝む。 「詳しく教えてくれる?」 一人で行き詰まって絶望の淵にいた俺にとって、優しく笑いかける市村さんは救世主だった。 自然と熱くなる目頭に力を入れながら、説明を始めた。 「ッ!…ここなんですけど…!」 サーバーを操作しつつ、出来てないことや今までに試したことを順序立てて説明した。 「ちょっと触っていい?」 「どうぞ、どうぞ!」 市村さんはサーバーラックのモニターの前に立つと慣れた手つきで操作を始める。 OSのバージョンやらネットワークの状況、見慣れぬ画面を色々立ち上げては消していく。 さっきまで俺がマニュアル片手に確認してた部分を何も見ないで的確に目で追っていくのが分かった。 あまりにサマになってて、カッコ良くて、助けて貰っているという立場も忘れて見惚れていた。 「…ダメな所はありそうですか?」 「これと言っては無いかな…。修正情報は最新まで当てた?」 「大型の修正は当ててます。細かいのは開発してるシステムに影響あるかもしれないので避けてます。」 「そっか…。このサーバーはいつ客先に出すの?」 「明後日の金曜には搬出です…。」 「うわ、それは焦るね〜。」 市村さんはまた微笑んだ。 その柔らかな笑顔にドキリとする。 「えーっと、杉原の同期だっけ?」 「はい。高丘です。」 「高丘くんね。じゃあ、三年目くらいかな…?」 市村さんの視線に答える。 印刷したマニュアルに気づいた市村さんがペラペラと捲っていく。 データがあるにも関わらず紙で印刷してしまうことが、自分がアナログ人間だと主張するようで猛烈に恥ずかしくなった。 「まずはさっき僕に説明してくれたこと、そのまま上にエスカレーションしてみよっか。」 ボールペンと付箋でいくつもチェックが入ったマニュアル。 市村さんはくるくると丸めるとポコッと優しく頭を叩いた。 「ホウコク・レンラク・ソウダン!」 目をパチパチとすると、市村さんはまたふわりと笑ってマニュアルを返してくれた。 「君達は少し仕事が出来るようになると、すぐ報告忘れるからなー。特に行き詰まってハマってるとき!なっ!杉原?」 「…その節はホントにスミマセンでした。」 身に覚えがあるのか、遼が固まる。 「全然力になれてないけど、ザッと見た感じは問題無い感じだし…。さっきの説明で大丈夫だから、一人で抱えずさっさと人を巻き込んで解決すること!…もう少し付き合いたいけど、今日は帰らないといけなくて…ごめんね?」 「とんでもないっ!部署も違うのにありがとうございました!!」 「いえいえ。ホントに何もしてないし!お疲れさま。」 「お疲れ様です!!ありがとうございました!!」 腕時計を確認すると市村さんは手を振って足速にサーバールームを出て行った。 「……。…かっけぇ…。」 ガチャリと鍵が閉まっても、市村さんが消えたドアから目が離せない。 「リョウ!リョウ!ねぇ、あの人は何者!?」 「ハァ…。ウチの部署の二大稼ぎ頭の1人で、昇進間違い無しのエリート様だよ…。」 「いや!でも他部署のヤツが困ってようが普通助けねーだろっ!金になるわけでもないのに!!」 「ホントにな。俺もあの人より仕事できる人…。…見たことねーわ。」 「何、そのビミョーな間…。」 溜め息を吐きながら遼は口を開いた。 遼の部署はシステム開発をメインにやってる俺の部署とは違い、サーバーやネットワークといったインフラ環境の構築をメインにしている。 その部署で大型案件を受注してくる稼ぎ頭が2人いる。 「一人目が市村清澄。二人目が橘圭佑。」 「タチバナ ケイスケ…。…ん?」 「そう。"例の"橘さんだ…。」 「へぇ〜!…。……スゲーなぁ。」 「そうなんだよ…。あれで仕事は完璧なんだからなぁ…。」 第三者から問題なしと言われて安堵すると同時に集中も見事に切れた。 これ以上できることもないので帰宅の準備を始める。 「違う違う。オレはお前がスゴイって言ってるんだよ。」 「…は?」 「そんな人と肩並べて仕事できるんだからさ。やっぱ遼は流石だな〜って…。」 随分と嫌味っぽい言い方になってしまった。 アナログ人間はSEなんて向いてない。 俺を表したような紙のマニュアルを鞄に押し込み隠す。 遼に嫉妬したんだと思う。 昇進したいとか、偉くなりたい訳じゃない。 ただ一人の戦力として認められて、仕事を任せられるっていうことが、どうしよもなく羨ましくて…。 文系だから向いてないと言い訳をして、努力もしない自分が一番嫌だった。 「アキ…」 「ごめん!無しッ!今のは聞かなかったことにしてッ!!」 湿っぽくなるのがイヤで、無理矢理話を変えた。 「あー…。それで、橘さんはどんな人なの?」 「見たことなかったか?」 「最近、この部屋か客先で執務フロア行ってないからなぁ…。」 「だったら明日分かるよ。報告するんだろ?」 明日の予定を考えて死んだ顔になる遼に首を傾げた。 「俺と一緒にいる派手な人が橘さんだ。」

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