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第1章 11
ゲラゲラ笑っていた蒼空が、ふいに「あ」と言ってテーブルの上を指差した。そこに置いていた俺のスマホが音を立てて振動しており、画面に砂原壱星の文字が表示されている。せっかくの再会を邪魔されたくなくて、手に取ったそれをそのままポケットにしまうと、蒼空が不思議そうな顔をした。
「……電話だろ?出ないの?」
「いや、別にいいかな……」
「そういうとこも相変わらずかよ。ちゃんと後で掛け直せよ?マイペース過ぎると友達なくすぞ」
そう言うと蒼空はトレーを持って立ち上がった。
「じゃ、俺は行くわ。カレー旨かった。ごちそうさま」
「もう行くの?」
「うん。学科の奴らに食堂の席取っといてって言われてるし」
「今飯食ったじゃん。ってかここに呼べば?」
「ここだと皆が遠いだろ。いつものとこ行くよ」
皆か……。当然、そこに俺は入っていない。
懐かしさに浮かれていた俺は急に現実を突き付けられたような気持ちになりながら、蒼空の後を追って返却口へと歩き出す。
「そういえばさ、智暁、マジでできたの?彼女」
「え?」
「さっき否定しなかっただろ。サークルの人?」
トレーを置いた蒼空が俺を振り返り尋ねた。
「……いや、何ていうか……まぁ、そんなとこ」
彼女なんていねぇよ、そう伝えるか迷ったけど、蒼空に見栄を張ってそう答えた。俺にも新しい生活があるんだって見せてやりたかった。
「そっか。おめでと。大事にしてやれよ」
でも、蒼空の笑顔に胸が痛い。別に俺に彼女がいようがいまいが、蒼空にとっては大した問題じゃないはずなのに。
「……なんだよ。彼女いたことあるからって先輩面?」
そんな俺の強がりに蒼空は「まぁな」と言って、やっぱり楽しそうに笑った。その笑顔は昔と何一つ変わらないのに、俺たちはこれから別々の場所へと向かおうとしている。
「じゃーな、智暁。また今度ちゃんとした店に飯でも行こうぜ。俺の合格祝いに」
「蒼空の奢りならいいよ」
「何でだよ。ってか、お前……。あっ、やべ、もうマジで行かないと。またな!」
蒼空はスマホを見ると、間もなく2限が終わりそうなことに気が付いたようで俺に手を振って走り出した。
その背中をしばらく見つめた後、すぐそこにあったベンチに腰掛けて、今出てきたばかりの建物の入り口をぼんやりと眺める。
そうか。蒼空は染谷さんと別れたのか……。もう1年も前に。
まだ胸が痛い。「女に現抜かしてるから」と俺が言ってしまったこと、それが別れの原因の一端を担っているという罪悪感とともに、どうにもソワソワと落ち着かない気持ちがある。
蒼空はたぶん、今誰とも付き合っていないんだろう。そのことに何かを期待してしまう自分がいる。
本当はわかっているはずなのに。蒼空は俺のことなんか、男である俺のことなんか、好きになるはずなんてないのに。それなのに、俺はどうして――。
「智暁君、ここにいたんだ」
「……壱星、お前、いつの間に」
気が付かないうちにガヤガヤと周りが騒がしくなっており、俺は肩を叩かれ声を掛けられるまで、隣に壱星が腰掛けていることも認識していなかった。
「2限ちょっと早く終わったんだけど、智暁君、電話出ないから探してたんだ。何してたの?」
「いや、別に何も……」
少し距離を開けて座る壱星は、手だけを俺の方に近づけて指先でそっと太ももに触れてきた。
「そっか。ねぇ、智暁君。お昼どうしよっか。昼休み始まっちゃったから、どこも混んでるだろうしコンビニで何か買う?」
壱星の顔を横から見ると、長いまつ毛が一層際立つ。大きな瞳がチラッと俺を見て、それから恥ずかしそうに口元に触れた。
「どうしたの、智暁君。何でじっとこっち見て……」
蒼空に「皆」がいるように、今の俺には壱星がいる。
「壱星、飯の前にさ」
俺は人目もはばからず壱星の手を握ると、耳元に顔を寄せた。
「な、何?智暁君、こんなとこで……」
「キスしたい。ってか、ヤリたい。今すぐ」
「……は?」
見る見るうちに耳まで赤くなる壱星がすごく可愛い。
「智暁君、何言って……」
「3号館のトイレなら誰も来ないだろ。そこ行こう」
そう言いながら立ち上がると、壱星は俺の手を振りほどいて顔を伏せた。
「わ、わかったから……。智暁君、人前ではやめて」
やっぱり、壱星は俺を拒絶しない。どんなことでも受け入れてくれる。俺はそんな壱星が好きだ。傍にいてくれない蒼空よりも、俺はこいつのことが――。
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