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第2章 11

 ゆさゆさと体を揺さぶられて目を覚ます。 「智暁君、起きて。そろそろ大学行かなきゃ」 「んー……でも今日3限からだろ?今何時?」 「12時。もうお昼だよ。おはよ、智暁君」  12時だと……?眠い目を擦りながら起き上がると、すっかり身支度を終えた壱星の姿が目に入る。こいつはだらしない割に朝だけは強い。いや、昼だけど。 「……壱星、もう着替えてんのか」 「うん。智暁君が起きなくて暇だったからコンビニで朝ごはん買ってきたよ。それともどっか食べに行く?」  そう言って壱星が見せてきたのは、俺の好きなクリーム入りのメロンパンとカフェラテだった。 「んー、メロンパンがいい。俺これ好きなんだよね。言ったっけ?」 「うん、何回も聞いた。だから買ってきたんだよ。智暁君、覚えてないの?」 「いやー、全然。ま、とりあえず顔洗ってくるわ」  床に散らばった物を避けながら洗面所へと向かう。 「ねぇ、智暁君。これとこれどう?智暁君が今日着てくやつ」  先日買ってもらった服は、親に怪しまれないためここに置いてある。壱星は嬉しそうにそれを手に持って洗面所へと付いてきた。 「おー、いいんじゃない?」  俺の適当な返事に壱星は満足そうに笑う。 「あ、智暁君、ここ寝癖ついてる」 「んー?まぁ、別にいいだろ。誰も俺の頭なんか見てないよ」 「そんなことないよ。直してあげる」  壱星は洗面台にあったスプレーボトルを手に取ると、背伸びをして俺の頭に吹きかけた。俺がわざと体を傾けると、バランスを崩した壱星が洗面台に手をつく。 「あっ、ねぇ、動かないで。届かないんだけど」 「はは、やっぱチビだな」 「ちょっと、もう、智暁君。ふざけないでよ」  顔を顰めながらも、壱星は楽しそうな声を上げた。  服を着替え、俺がメロンパンを食べている間に髪をセットしてもらってから大学へと向かう。壱星は子犬みたいにはしゃいでいて、何度も俺のことを「カッコいいね」と褒めてくれた。  まるで、昨日俺に首を絞められたことなんて忘れてしまったかのようだった。いや、それどころか、壱星はいつも以上に俺に浮かれているように思える。  俺も本気で壱星を傷つけようと思っていたわけじゃないし、壱星が気にしていないならそれでいいんだろうか。 ◇◇◇ 「ねぇ、智暁君。智暁君のお誕生日って6月1日だよね?去年は何もできなかったけど、今年はお祝いにご飯行きたいな」  授業が始まる前、教室で壱星にそう言われた。 「あー……いいよ。俺の誕生日って何曜だろ」 「火曜日だよ。バイト入れないでね。智暁君、何か食べたいものある?」 「うーん……何でもいいけど、海鮮とか?」 「お寿司?」 「いや、そんないいもんじゃなくていいよ。普通ので」 「わかった。智暁君、エビ好きだもんね。俺、お店探してみるね」 「サンキュー。期待してるよ」  俺の言葉に、壱星はニヤけているのを隠すように俯いた。他人の誕生日をこんな風に楽しみにできるなんて、壱星は変わってると思う。成長してからは、自分の誕生日だって待ち望んだことはないのに……。  そう言えば、次の誕生日で俺は20歳になる。酒やタバコが合法で楽しめるというわけか。  ふと、いつだったか蒼空とした会話を思い出す。  ――確か高3の今くらいの時期の、部活帰りの電車の中で。 「なぁ、蒼空。俺が20歳になったらその日に居酒屋行こーぜ」 「え、それだと俺だけ酒飲めないじゃん」 「何?待っててほしいの?」 「当たり前だろ。たったの3日くらい我慢してよ」  蒼空の誕生日は6月4日だ。 「しょーがないな。じゃあ、お前の誕生日でいいよ。その代わり蒼空の奢りな」 「いや、負けた方が奢ることにしよ。いっぱい飲んだ方が勝ちで」 「はぁ?それ危ないやつじゃん」 「なんだよ、智暁。急に真面目かよ。それとも俺に負けるのが怖いわけ?」  肩で俺を小突いた蒼空の子どもみたいな笑顔も、焦げ茶色の癖っ毛も、仄かに漂う制汗剤の匂いも、電車の揺れる単調な音も、窓から見える雲ひとつない青空も、何もかも鮮明に浮かんでくる。  あの頃の俺は、20歳になったその時、自分の隣には蒼空がいると信じて疑っていなかった。そうじゃない未来があるなんて考えもしなかった。  蒼空もそうであってほしい。今さらそんなことを願っても仕方がないけど、せめて、あの頃の蒼空は、俺のことを――。 「智暁君」  顔を上げると、人形みたいに大きな瞳とサラサラの黒髪が目に映る。  そうだ。今の俺には壱星がいる。でも……。 「智暁君、襟折れちゃってるよ。直してあげる」  壱星の白くて華奢な手がこちらに伸びてきたその瞬間、昨日のことを思い出した俺は思わずそれを払い除けた。 「……ご、ごめん。でも、自分でできるから」 「そうだよね。ごめんね、智暁君」  なぜか壱星に触れるのが怖かった。触れてしまえば、欲望に飲まれた俺がまた何かしてしまいそうで恐ろしかった。

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