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第4章 8
壱星の口から蒼空の名前が出てきたことで、俺は動揺して言葉を失ってしまった。
俺が蒼空のことを好きだと知っている、壱星は今そう言った。そして、俺には壱星を責める資格がないと……。
確かにそうだ。だから俺は壱星と別れようと……。
「智暁君って、ほんと自分のことしか見えてないよね。卑怯で優柔不断で自分勝手……」
壱星はキッチンにもたれ、前屈みに立ちながら、少し苛立ったような口調で話し始めた。
「ねぇ、俺たちもう終わりにしようよ。ここに置いてる荷物は郵送するから」
「な、なんだよ、その言い方。俺はもっとちゃんと話をしようと……」
別れ話をすれば、泣かれるんだと思っていた。「捨てないで」って縋られるんだと思っていた。
でも、壱星は泣くどころか、まるで厄介払いをするかのような態度で言葉を投げかけてくる。
「今さら何か話すことある?最初からずっと、俺のことなんて見てなかったでしょ?俺も――」
「い、いい加減にしろよ!全然意味わかんねぇよ!重森との関係は何なの?俺との関係は何だったの?俺のこと好きだったんじゃねぇのかよ?!」
逆に俺の方が縋りついてるみたいだ。いや、縋りついている。壱星との時間全てを否定されるのが怖くて、こんな風に喚いている。
少しの沈黙の後、長い睫毛が持ち上がって、大きな瞳が俺を見上げる。いつもは作り物のようだと思っていたガラス玉みたいなその瞳に、今日はなぜか熱が籠っている。……そんな気がした。
「今でも好きだよ、智暁君。でも、もう必要ないから」
「必要って……何だよ、それ。重森がいるからか?あいつ、さっきお前のこと皆のものとか気持ち悪いこと言ってたけど何なの?」
「真宙さんは俺の全てだよ。俺は真宙さんのためなら何でもする。俺の体が誰のものかなんてどうだっていい。真宙さんがそう言うならそうなんだよ」
壱星は首を動かしてベランダの方を覗き込んだ。俺も釣られてそちらを見ると、俺たちに背を向けて立つ重森の背中が見えた。
褪せたような灰色のニットにワイドパンツ……今ようやく気が付いたけど、あれは壱星が俺に買ってくれた服だ。なのに、俺なんかあいつの方がよりよっぽど似合っている。初めからあいつの物だったみたいに……。
蒼空はネックレスのことしか言っていなかったけど、壱星が俺に買い与えたものは全て重森を意識して選んだんだろうか。
初めから壱星はそのつもりで俺に近付いたのか?重森の代替品として?
「俺と一緒にいたのも重森のためだって言うのかよ」
「ふふ、そうだね。智暁君と一緒にいたのは真宙さんを安心させるためだよ。誰でもよかったけど、見た目も好きだし、それに、智暁君も縋るものが欲しかったんでしょ?智暁君は扱いやすかったし、見てて飽きなかった」
壱星は一切悪びれる様子もなく、むしろ楽しそうに笑っている。細い人差し指が俺のことを頭からつま先までなぞるように動く。
「ふ、ふざんけんなよ……あんな風に嘘ついてまでお前は……」
「智暁君って嘘にこだわるよね?自分は平気で嘘つくのに。ねぇ、俺がここまで智暁君の傍にいたのは智暁君のためでもあるんだよ」
そう言いながら、壱星は口元に手を当てた。俺の反応を見て喜んでいるみたいだ。
悔しくて壱星から顔を背ける。
「何で俺のためなんだよ。……俺は本気でお前のこと悩んでたのに」
壱星はその言葉を鼻で笑うと、「だって」と言って下から顔を覗き込んできた。
「智暁君はきっとまた同じことをするから。俺にやったことと同じ……嫌なことがあれば逃げ出して、嘘ついて、他人を踏みにじって、きっと笹山さんを傷つける。そうすれば智暁君も傷つくでしょ?だから2人がくっつかなければいいと思って」
「なっ……何だよ、それ?!」
思わず壱星の胸倉を掴むが、その途端、こいつの首を締めた時のことを思い出してしまい、すぐにその体を突き放した。
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